名古屋美味しいもん、不味いもん食べある記

美味しいものは、自分の脚と舌で探すもの。ガイドブックやフリーペーパーは全て広告。本当にいいものを見つけよう。

料理を知っている人ならどちらを選ぶ?《和楽なかしま》《山海串幸房彩串楽》。

2012年08月24日 | 日記
《なかしま》のオーナーは、名古屋では有名な、池下の【よしかわ】の板長だった人。
それなりにしっかりした料理が作れるはず。
しかし、料亭というところで育った彼には、あまりにもきちんとした料理を造り、個性が無いのが気になる。
最初は、豆腐料理の専門店という触れ込みだった。
でも、湯葉も寄せ豆腐も個性が無い。
もっと端的に言うならば、既製品と変わりなく思えてしまう。
腕は確かでも、商売上の戦略には欠けると思う。
今では、単品の居酒屋と変わりないようになってしまっているが、もっと接客などに気を使えば、固定客が増えるとは思うのだが・・・・。
よしかわの時の影響だと思うが、個人客より、団体客を大事にするところがあり、それが災いしているのではないだろうか。

《彩串楽》は個人的にはあまり感心しない。
少なくとも、本物の味を知っている人には物足りないというか、満足できる料理ではない。
あくまで個人的な意見ではあるが、この近くに俗称【問屋スーパー】という業務用スーパーがあるが、そこで冷凍の枝豆などを買い込んでいる。
それが店の中におくだけで、「長野から取り寄せた枝豆」に変わってしまう。
中国産も、インドネシア産も、全て国産の特上食品に変わってしまう。
これも、商売上の作戦かもしれないが、わかる人にはわかる素材ばかりなのが気になる。
あまり、料理を知らない人しか満足できないと思うのは、僕だけなのだろうか?
酒の選び方も感心しないし、商品構成も、僕にはよく理解できない。
料理にストーリーが無いからだ。
まぁ、いい意味で、現代的というか、食べなれてない人を相手にしている分にはいいかもしれないが、
客の成長とともに、離れていくのではないかと心配している。

近くには日本料理・和食の店が色々ある。
どうせなら、食べ比べて、どこが本物を使って、どこが自分の舌に会うかを確かめて欲しいと思う。
食べログのやらせ投稿では、何の基準にもなるはずが無い。

【千貫家】【こもれび】【しょうわ】【高尾】【新一】【徳一】などなど。

《なかしま》《彩串楽》が他の店に比べて、少なくとも優っているとは思えない。

食べログの評価はやらせ?。そう思いたくなる一社の《常楽飯店》《青龍苑》《らんたん》。

2012年08月21日 | 日記
不味いもんの代表だなんて言いすぎだろうか?
少なくとも、個人的見解だが。
いつ行っても味が違ったり、あまりにもいい加減な調理。レバニラは、レバもニラも半生で出てきた『常楽飯店』。
やり直してくれといったら、不愉快そうな顔で文句を言われた。
子袋も、ピータンも、少なくとも、日本ではとても売れないだろうと思う。
ここで安心して食べられるのは、生ビールだけ。
もう一度言うが、あくまで個人的見解。
ザーサイを頼んだら、「キムチならあります」
韓国料理じゃあるまいし、中華や台湾の店で、キムチがメインだなんて考えられない。
この店がウマイと言っていく人がどれだけいるか?
一社で降りて、小腹を満足させるための店。
それでも、個人的には不満だ。

『青龍苑』は、定食屋だと思えば腹が立たない。
中華料理だと思い込んでいる人なんていないのだろう。
それでいい。
わざわざ出かける店ではないと思うが、近くの会社の人たちがランチを食べに行くなら、それで十分なのかもしれない。

『らんたん』も、行く度に味が違う。
ここも、ランチの店。
少なくとも、わざわざ行く店だとは、僕には思えない。

ところが、これらの店が、食べログで大絶賛している事がある。
投稿者の投稿数は、一店のみ。
どう考えても、やらせだと思うが、あまりにもいい加減な情報が巷に飛び交っている。

『嘉苑』と食べ比べて、各店の味を比べてもらいたいものだ。

鶏料理、東区の《なかがわ》。納屋橋堀川沿い【鳥久】

2012年08月20日 | 日記
伏見から西に500メートル。堀川の西側に古い黒塀の《鳥久》がある。
仲居さんが取り分けてくれる水炊き鍋のダシは絶品である。
鶏のダシというのは、ガラから摂るが、骨についた肉をキレイに取り除かないと、
時間が経つと、アクが出たり、臭みが出てしまう。
丁寧に時間をかけない限り、こんなスープは出来ない。

5000円くらいのコースから。
ただし、一品料理はそれほどおすすめではない。
揚げ方も焼き方も、決して上手いとはいえない。
あくまで、鍋が中心だ。
すき焼と、味噌鍋と、水炊きがあるが、鶏のダシの味を堪能するなら、水炊きを薦めたい。

いまどき、冷凍食品で調理したものしか出てこないような居酒屋でも、少し飲み食いが進めば、5000円くらい使ってしまう。
それを考えれば、すごく安いと思う。

大事な客や、大事な人とのデート、家族のイベントなど、ここぞというときのためにも、ぜひ知っておいて欲しい。

また、大衆的な鶏料理と鍋を食べるなら、東区高岳の《なかがわ》がいい。
【鶏のくわ焼き】【みぞれ】【水炊き】など、手軽な価格で楽しめる。
サラリーマンが多いが、女性も気軽には入れる店だ。
ランチは、客が並ぶ。
宣伝もしないのに、近くのサラリーマンたちの人気店でもある。
ランチなら1000円強、夜でも3000円強で楽しめる。
ただしこの店も、揚物は上手いとはいえない。
鍋とくわ焼きが最高にウマイ。

もともと、くわ焼きは、名東区の《しょうわ》の看板メニューだった。
食べ比べるとその差がわかる。
油で炒めて水分を足してキャベツの上に乗っけるなかがわと、
肉の脂を落としてからダシで煮るしょうわとの違いは面白い。

ぜひ、日本古来の食べ物である、鶏料理を味わって欲しい。

大切な人とのデートや会食には、ウェスティンナゴヤキャッスルの《西の丸》。

2012年08月19日 | 日記
是非一度は行って頂きたい場所。
それがウェスティンナゴヤキャッスルの地下にある【西の丸】だ。

季節感を大切にした日本料理だ。

デートや会食には、前もって、個室を予約すればいい。

ランチは3500円くらいから。
夜でも、5000円くらいからある。

出来るならば、もうひとつ上のクラスにすると、見栄えはまるで違う。
大事な人との会食にはここをすすめたい。
この店で食べるというだけで、みんなそれなりのお洒落をしてくる。
肌を出したり、へそを見せたり、レギンスやジーンズなどは見られない。
同伴する相手の常識度も計り知れるというものだ。

料理長の斉藤さんは、2005年には「愛・地球博」の迎賓館和食部門を担当するなど、日本でも有数な料理人である。

懐石の楽しさやすばらしさを知る上でも、すすめたい店である。

月に一度の贅沢は、すごく勉強になる。
料理という概念を知ることになる。

料理と何ぞや?

そんな事を知ってしまうと、価格ではなく、価値ある食事に目覚める事が出来ると思う。

《山本屋本店》と《山本屋総本家》。あなたはどちら?

2012年08月18日 | 日記
久しぶりに【山本屋本店】に行った。
僕は、【山本屋総本家】よりも、本店の味が好きだ。
サービスも良いし、接客も本店のほうが慣れている。

味は好みだが、本店のほうが、ダシの香りが残っているのと、コーチンなどの料理もダシやタレを使っているのがいい。

ご飯のお代わりとか、漬物のお替りが無料というのも、若い人には魅力かもしれないが、それ以上に、【もどき】を使っていない。

僕は、こういう店に入ると、まず、お酒と【板わさ】を注文する。
それで、店の姿勢がわかるからだ。

徳利の質や、お猪口の粋さ加減を知れるからだ。
さらに【板わさ】。
蒲鉾は本当にピンキリだ。
100円未満のものから、3000円以上もするものもある。
本店のかまぼこは、質の高いものを使っているのが嬉しい。

以前、【藪蕎麦】で板わさを頼んだとき、がっかりした事を思い出す。
500円の金に見合うものを出す店がいい。

椎茸も国産のものを使っているし、玉子もプリプリのものが入っている。

味噌煮込みは、「高い」という人がいる。

【まことや】は高い。
味も素っ気も無い。
サービスも接客も良いとは思えない。

本家は違う。

自家製の漬物と、アツアツの鍋。
ご飯もまぁまぁ。
最後にはお茶を入れ替えてくれたり、以前は、最後にお絞りも替えてくれた。
今は、そういうサービスはなくなったが、これでこの価格なら決して高くは無い。
ふと食べたくなることがある。

僕は、チェーン店では料理など出ないと思っている。
混ぜる、調味料を振りかける。
ダシなど使っていない。

それが料理とは思えないからだ。

しかし、本店は、それなりにしっかりしていると思う。

総本家には、壇渓通りの店に入った事がある。
ここは良くなかった。
接客が仕事のはずのオバちゃんたちが、大きな声で笑い合い、客に対してもあまりにもぞんざいだった。

この店だけなのかもしれないが、1500円出すからには、もっときちんとして欲しいと願う。

【サガミ】の味噌煮込みは、味が薄い。
僕は本来うす味が好きなのだが、味噌煮込みだけは、八丁味噌で作った濃いスープがいい。

【山本屋本店】【山本屋総本家】【まことや】【サガミ】。
それぞれに客質が違うが、一度は食べ比べをして欲しい。
僕は【本店】を薦めたい。

好みというのは、味だけでは決まらない。
自分の人格というか、生活習慣にあったところがいいと感じるものだ。
作業着で入った店に、正装をした家族が上品に食べている店では落ち着かない。
逆に、懐石料理に慣れている人が入った店の女の人が、
「あいてるとこに座って」なんて、やや乱暴に言うと、もう来たく無いと思ってしまう。

好みの店とはそうやって決まってしまう。
自分の立場で行きやすいかどうかということだけだ。

ただ、どちらの店が、きちんとダシをとっているのかということがわかるようになっていただきたい。
そうなれば、大切な友人や、大切な仕事関係の人と行くときに、どの店がふさわしいかがわかるからだ。

客質で店の品位や、素材の良さがわかる。

2012年08月17日 | 日記
冬ならば、ツイードの高級スーツを着た人や、幼い子供までが、正装を身につけている家族などが客に多い店は、この店は信用ができる。

僕が取材にかかわっていた時代には、そういうところには行かなかった。

タレントが通ったり、宣伝上手な店ばかりが取り上げられていた。
調理場を覗くと、そこには、冷凍食品の詰まった箱や袋が散乱している事も珍しくない。
価格が安く、一般的に《お値打ち》とか《経営努力》などといわれている店ほど、その傾向は強い。

少し前、和牛のユッケで食中毒死が話題になった焼肉チェーン《えびすや》の例を挙げるが、
和牛が200円台で食べられるはずがないのだ。
和牛は、少しましな肉でも、100グラム1500円ほどする。
ユッケなら、一人分2000円したって不思議ではない。
そんな事は消費者でも理解できるはずだ。

要するに、まがい物を売っているだけだ。

《手作り》《企業努力》なんて触れ込みをしている店にまともなところはない。
生ビール中ジョッキ100円なんて、ありえないのだ。
300円で仕入れて、100円で売る店などない。
家賃、駐車場代、光熱費、通信費、宣伝費、車の維持費、人件費、材料代、消耗品、保険など、店の経営には多額の資金が必要だ。
それを考えれば、相応の価格にならないと、店の経営は成り立たない。
お米は、一合で原価が100円かかる。
それに、手を加え、食器を使い、光熱費を使い、人件費や仕入れの手間などを考えれば、ご飯一杯300円取られても当たり前の事だろう。
500円のお代わりし放題なんて店は、何を使っているのか想像すればいい。

ホームページもそうだ。
本当にいい物を売り、いい客がついている店に、自画自賛の呼び込みなど必要ないのだ。
地元の名店というのはそういうものだ。
地元の、そこそこの人が集まる店こそ信用ができる。

まず、客を見てみよう。
回転すし屋に、高級スーツを着た夫婦や、ドレスアップした上品な夫人などいない。
レギンスにタンクトップを着てへそを出した人たちや、行儀やマナーを知らずに走り回ってる自分の子供に、注意ひとつしない客ばかりだ。
そこでまともなものを食べようというのが間違いだ。

一度、栄にある《ワインバー》に行ったことがある。
「ここは落ち着いて、高級」という知り合いの触れ込みにだまされた。
サンダル履きの若者や、大声で騒ぐ客。
女の子に立ち上がってナンパするのを楽しみに来ている若者。
男に声をかけられるのを楽しみで来ている女性たち。

これが、《いい店》《魅力ある店》《人気店》だというのだ。

安心できる店。
いい素材を使っている店。
それを確かめるのは、客質を見るのが一番だ。

やたらおべっかを使う店は、客を選んでいない。
やたら素材の能書きを言う割りに安いのは、嘘が多い。

箸をきちんともてる、上品な家族や女性同士の客が多い店のほうが信用できると考えてほしい。

日泰寺西にある老舗料亭《松楓閣》。

2012年08月16日 | 日記
大切なお客様や、リッチなデートには、ぜひ薦めたい店。
下足番がいて、昔ながらの料亭の雰囲気が楽しめる。
別室でお薄をいただき、そのあと、席に案内してくれる。

懐石ではなく、天麩羅が狙い目。
特においしいとは思わないが、かなり高級感が漂うので、それなりの満足できる。

天麩羅は、個室が準備してあるので、ぜひ体験してほしい。

確か、10000円で少しお釣りがくる程度の価格だったと思う。

こういうところで食べた事がないと、街中のおいしくない天麩羅屋が最高だなんて思ってしまう人がいる。
体験を深める意味でも、ここで食べてほしい。

今までの天麩羅がいかにレベルの低いものであったかがわかるだけでも、すごく大きな収穫だ。
今まで感じていた事に恥ずかしさを感じるようなら、もっともっと成長するはずだ。

天麩羅ならJRセントラルタワーズ13階《綱八》を基準に。

2012年08月15日 | 日記
名古屋には、天麩羅専門店が少ない。
それだけに、選択肢も少ない。
天麩羅というのは、基本は《海鮮》である。
いけすに泳がせている鮮魚を、目の前で揚げてくれるのだ。
こういう店が名古屋には少ない。
野菜の天麩羅は天麩羅とは言わない。
《惣菜》なのだ。

カウンターに座り、お好みで食べられる店が少ないようだ。

JRセントラルタワーズ13階の《綱八》は東京が本社。
新宿には、本店以外に、以前のマイシティーにも入っていた。
伊勢丹には殆どあると思う。

ハマグリやアワビは絶品だし、刺身やつまみもある。
まず、この店で、お好みてんぷらを食べてから、他の店と比較してみてほしい。

白ごま油で揚げるてんぷらは香りも良く、締めの天茶漬けも最高だ。

価格も意外とお値打ちだ。
一人5000円もあれば十分だ。
あくまでも、定食ではなく、お好みで食べてこそ、てんぷらの価値がわかるというものだ。

身近なお客や、名古屋駅で待ち合わせた親しい人などを接待するにはちょうどいい。

お酒もワインも、質のいいものが置いてある。

数々の専門店の中では、まず基本にしてほしい。
この店の価格で、これ以上美味しいところがあれば教えてほしいものだ。

回転寿司の楽しみ方と、本物の寿司屋との違いを考える。

2012年08月14日 | 日記
回転寿司の人気が衰えない。
土日には、夕方からは、車の渋滞が起こるほどの混雑振りで、1時間ほど待つのは普通だという。
僕は、回転寿司屋が料理を提供しているなんて思ったことはない。
《寿司まがい》だと思っている。
だからあえて、店名など出さない。

ただ、こういう文化を否定はしない。
これが寿司だと思ってもらっては困るが、回転寿司を楽しんでもらえればいい。
回転寿司を、うまく活用すればいいと思う。

ただ、本物の寿司とは、明らかに違うということを知ってる人には、
今から書くことを理解してもらえるが、
回転寿司屋の寿司が、本物の寿司だと考えている人や、
本物の寿司を食べたことがない人にとっては、これこそが、寿司だと考えているのだろう。

テレビの情報番組でも、寿司の違いを言うことなく、ただただ商業広告の一環として宣伝するので、日本人は、自らの日本伝統食文化さえ、区別できなくなりつつある。

まず、開店寿司屋を活用するには、
●一人で気楽に入れる。
●安い、
●腹を膨らませる手段として活用する。
●子供を遊ばせておいても、誰からも文句を言われない。
●行儀が悪くても、大声で騒いでも、とがめられることはない。

などなど。
小さい子供がたくさんいる家族や、食べ盛りの子供がいる家族なら、月に一度はいいかもしれない。
しかし、本物の寿司屋のカウンターにも行くべきだと考えている。

こういう寿司屋が、食べログなどで褒めちぎってるのは僕には不思議だ。
本当に寿司を知らない人の話か、サクラだとしか思えない。

では、何が違うのか?

●決して湿ることのない粉末茶。
●手で食べられない紙お絞り。箸で食べる寿司なんて存在しない。
●すべての客に共通のガリ。
●寿司屋の目的である《職人との会話。やり取り》がない。
●口の中で解ける柔らかい握りからは程遠い。お土産寿司の硬さだ。
●刺身が乗せてあるだけで、寿司本来の仕事がしてない。
●冷凍物、パック物が多い。
●徳利もないのは、日本人の食文化ではない。

こんなことさえわかっていない。

ついでに書いておくが、寿司屋にはもともと、熱燗と熱いお茶しかない。
口の中にある、油を落とし、口の中をさっぱりしながら食べるためだ。
そうでないと、寿司はおいしく食べられない。

今の子供たちが、これを寿司だと思い込むと、日本文化はますます衰退の一途をたどることになるだろう。

名東本通《小川屋》。上社《うな昇》。

2012年08月13日 | 日記
あっさりとしたうなぎの味がお酒にもあう《小川屋》。
ボリュームには、やや不満が残るかもしれない。
おつまみに注文する小鉢の類も、これが600円? というような量に驚くこともある。

個人的に評価するならば、僕は決して嫌いではない。
家族で行くには適している。

《いば昇》のような、迫力のあるうなぎではないが、これはこれでいい。
親しいお客様と一緒に行っても、それなりの価値はあると思う。

これといった目立った宣伝もせず、地域の客を確実に集めている点は立派だと思う。

ガイドブックが店選びの最大の武器だと考えている人たちには、この店にはなかなか行かないと思うが、本来は、地元の人たちが通う少し高めの店に、いい店が多い。


ただ、お酒を楽しみたい人には少し不満が残る。
酒の選定と、つまみの選定に若干問題ありだと思う。


《うな昇》は、フリーペーパーなどには積極的だ。
先代から引き継いだ2代目のとき、積極的に地域のフリーペーパーで宣伝を展開し、それが、功を奏したようだ。

ただ、本当にうまいか?といわれると。個人的には?と言わざるを得ない。
多くの口コミに、「本格派」と書かれているが、僕にはそうは思えない。
焼き方、味、商品構成、酒、お米など、僕にとっては不満が多い。
ガイドブックや、情報番組で店を探す人たちは、根本的に、いい店を知らないことが多いようだ。
おいしい行きつけの店を持っている人と、ガイドブックでおいしいといわれる店を探す人とでは、根本的に、経験値も味覚も違う。

名古屋のものが、全国に広がりを見せる中、名古屋の店だけは、他の地域の食べ方に否定的だ。
白焼きがその代表的な例。

今はどうか知らないが、以前《うな昇》で白焼きを注文したら、「できない」といわれた。
話をしてみると、食べ方も知らないのでは?と思えた。
勉強不足だと思う。

ちなみに、《しょうわ》では、土用の丑の日に毎年、うなぎの懐石をする。
白焼きのカボスポン酢、白焼きのツメのっけの握り、肝のう巻き、うなぎスライスちらし鮨、
うなぎの柳川など、いろんな工夫を見せてくれる。

そんなアイデアと、味の工夫がうなぎ業界にも必要なのかもしれない。

うなぎは、栄の《いば昇》が基準。

2012年08月12日 | 日記
いば昇は2店舗ある。
桜通りの方と、ナディアパークに向かったところにある《いば昇》本店だ。
僕はうなぎというのはこういうものだと思っている。
注文してから焼く。
だから時間がかかる。
その間、酒を飲み、肝焼きを食べ、う巻きを食べる。
分厚いうなぎが程よくこげ、少し甘い味が食欲を誘う。

しっかりとしたうなぎという意味では、僕はこの店を進める。

名古屋にはうなぎの店が多い。
どこで食べても、そこそこなのかもしれないが、うなぎを食べるなら、ここのうなぎと比較することで店の質がわかる。

接客が良いわけでもないが、うなぎはうまい。

うなぎを食する習慣は、奈良時代には始まっていたし、土用の丑という日本の大イベントは、日本人の大事な伝統食文化なのだ。
それほど大事な日本人のイベントを、コンビニの焼きうなぎや、ファストフードの冷凍うなぎで食するなんて、僕には考えられない。

第一、子供の教育にすごく悪い。

いいうなぎ屋の条件は、
●そこで焼いている。
●肝吸いが出て、吸い物の目的は口を洗うものだけに、極端な薄味であること。
●白焼きがあること。
●甘すぎないこと。
●肝焼きや、うざく、う巻きなど、うなぎの小鉢があること。
●半助があれば言うことなし。

注文して、5分もしないで出てくるのは、すでに焼き置きがあるということ。
白焼きがないということは、活きうなぎではないということ。
そんなことを見比べて欲しい。

僕は、《うな丼》や《うな重》は食べない。
長焼きとご飯と肝吸いを頼む。
たれが甘すぎると、せっかくのご飯が食べたくないからだ。
それと、おいしいご飯であるかどうかがわからない。

あと、数年もすると、宣伝だけでやってきた、いわゆる《人気店》の転換期が来るはずだ。
本当にうまいものと、ただ安いだけの店に分かれてしまう。

生き残るのは、きっと、人気店ではない。
ひつまぶしを置いてある店でもない。

本物のうなぎと、本物の味付けと、おいしいご飯を置いている店だ。

いば昇は、そういう意味で、必ず生き残る店だと思っている。

一社の寿司屋《すし八丁》、《徳一》。

2012年08月11日 | 日記
一社には多くの寿司屋があった。
少なくとも20年ほど前までは。
九重寿司、桜寿司、東寿司、美しま寿司、箱館など。
しかし今はそれらの姿はない。
そして一社の寿司屋は、寿司屋ではなくなってしまった。

《すし八丁》
これは、寿司もやっている居酒屋だ。
それでいい。
それでなくてはこの地域ではやっていけないのかもしれない。
ちょっと一杯引っ掛けて、ちょっとつまみを食べる。
いい店だと思う。
清潔とか、粋だとかのジャンルではない。
行きつけになれば心地いいかもしれない。
寿司屋だと思わずに気楽に入ること。
それが、酒を楽しむためと、この店を楽しむためのコツでもある。

客質は大衆派。
立派なスーツで来る人はいない。
上品な女性もいるわけではない。
ガッツリと食事をほうばるような店でもない。

酒好きな人がフラリと寄りたくなる店だと考えればいい。


《徳一》
まだ新しい。
美しま鮨の後にできた。
はっきり言って、寿司屋だなんて僕は思っていない。
刺身も、付け合せも、少し中途半端。
アマダイがあると思ったら、干物の一部を焼いて出す。
ハマチはコシがなく、ナマコはフニャフニャ。
ただ、価格は手頃。
味は好み。
これぞ!という看板メニューがないと、今後苦しいことになりかねないと思うのは、僕の老婆心であればいいのだが・・・・。

一社のチェーン店。《我楽多文庫》《ばんざい》《八剣伝》。

2012年08月10日 | 日記
これらの店が《おいしい》と評する人の舌の感覚は僕には理解できない。
目的は《安さ》以外にない。
もちろん、気軽に入れるのも、チェーン店のメリットかもしれない。

串焼きの《八剣伝》
大衆和食の《我楽多文庫》と《ばんざい》。

若い人が、安く楽しく騒ぐには、ここでもいい、という感じだ。

少なくとも、おいしいものを食べに行きたい人の行くところではない。
舌鼓を打つような食事を望むことは無理だろう。

名古屋の人は、個人店の味を追求した料理よりも、冷凍食品だろうが、化学調味料がたっぷり入っていようが、安いものが《お値打ち》という、普通では考えられない感性があるようだ。

ダシもとっていないのかと思われるような鳥鍋で、僕なら満足はできない。
解凍秋刀魚の塩焼きが、料理だなんて僕は思わない。

僕はこの中では、《ばんざい》が、それなりにがんばっているとは思う。

ただ、お客様や、大事な人を連れて行く店ではない。
あくまで、仲間との「ちょっと一杯!」感覚である。

刺身を頼むと、カジキ、シビがマグロという名前で出てくる。
冷凍イカや甘エビが乗っかっている。

少なくとも、本マグロや、天然ハマチなどは期待するほうが悪い。

それでも運さえよければ、ばんざいの刺身は、悪くないこともある。

大衆文化といえば聞こえはいいが、居酒屋とは《安酒屋》のことだ。
冷凍中国産の枝豆や、冷凍ブロイラーがおいしいと思う人は喜んでいけばいい。

自宅に帰るとき、一社で降りて、軽く一杯、という目的で使って欲しい店だ。

一社なら、一度は《千貫家》《こもれび》《しょうわ》にも行って、料理とは何かを知ってもいいと思う。
それを知った人が、この店を使うほうが、味に対する広がりが持てるはず。
こういう店しか知らない上に、これがおいしいと思うようなら、僕は悲しすぎる人生だと言いたくなる。

藤が丘駅の南の通り、《むらかみ》の庶民料理がイイ。

2012年08月09日 | 日記
昔は《鳥鈴》の藤が丘店だった。
独立して、親子3人でやっている。
20年前はすごく流行っていて、お年寄りから大学生のコンパまで、いつも大勢の客がいた。
しかし、こうこういう店は時代遅れになってしまった。
昔からの常連と思われる年寄りが食べに来る店になってしまった。

定食屋のようなテーブルは、若い人たちには好まれないのかもしれない。

注文が来てから作る煮魚や焼き魚、冷凍物を使わない野菜。活うなぎ料理、盛り付けのしっかりした造り。
どれをとっても、チェーン店では味わえない味覚と、丁寧な料理だ。

取材には無縁な店だからこそ、がんばってほしい。

料理店で一番大事なことは、
●旬のものを使う
●心をこめた調理をする。
●安易に作らない
●安心して食べられる素材

たったこれだけなのに、いまやほとんどの店がこんな条件さえクリアできないでいる。

冷凍物を安易に使い、加工品を疑問なく使う。
バイト学生でもすぐに作れる料理内容。
一律接客。客に合わせたものさえ作れない。

こんな店のほうが、味を知らない人には都合がいいのかもしれない。

作る側と食べる側のコミュニケーションのない店が存在することこそ不思議なのだが、
こういう店が淘汰されていくことにこそ疑問を感じる。
おいしい店、しっかりとした料理をする店が淘汰され、海外から輸入された冷凍加工食品を堂々と出して金を受け取るなんて、商人の風上にも置けない行為だ。

一度とは言わない。
何度も何度も、家族で、仲間で、一人の晩御飯に、こんな店を守るべく行ってほしい。

べらぼうにおいしいとは言わないが、少なくとも、価格だけで売っている店なんかとは雲泥の差だといっておきたい。

一社駅南に一本目を右。少なくなったコースのお店《こもれび》。

2012年08月09日 | 日記
コースで食べさせてくれる店が少なくなった。
本来、日本料理というのは、ストーリーのあるコース料理であるはずだ。
日本人が日本料理を知らなくなったのか、居酒屋のような冷凍食品が出てくる店が大好きなのかわからないが、今では貴重な店になってしまった。

客層はお年寄りというか、年配の女性の方がランチには多いようだ。
ただ、最近は若いカップルも増えてはきている。

大将の腕は確かだ。
蕪の葛煮や、うるち米の水加減などは、修行してきた人でなければできない技だ。

このあたりでは、女性やインテリの集まる《しょうわ》、少し高いが満足できる品質を維持している《千貫屋》と並んで、薦めたい店のひとつでもある。

男性には少し物足りないかもしれないが、こういう食事は心を落ち着かせてくれるし、勉強になる。
2階という恵まれない立地にかかわらず、常連客で維持しているというのは、しっかりとしたファンがいるからだろう。

欲を言うならば、もう少し、料理に合う酒の選定に気を配ってほしい。
そして、目新しいものが少ないということだ。

きっとまじめなご主人で、新しいものを取り入れていくことには不器用なのかもしれない。
それは、職人気質にこだわった千貫屋も同じだろう。

そして、もうひとつは、一人で気楽に行けるメニューを考えてほしいということ。

千貫屋は単品だし、しょうわはアイデアと味に対する感性が豊かなので、どんな客にも対応できる。

この店に求めたいのは、そういう器用さかもしれない。

若い女性が気楽に入っていける雰囲気は十分にあるにもかかわらず、メニューが追いついて行ってない。

しかし、数回足を運べば、この店の味の質の高さは理解できるはず。
予約にこだわらず、行きたいときにふらりと言っても大丈夫なメニュー構成を望む。

もちろん、コース料理で、ということは前提になるが。