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チェリスト 阪田宏彰のBlog

日々感じたこと、おすすめなモノ、お気に入りなど

改めてオリーブガーデンコンサート!

2018-10-23 | ひとりごと
9月30日、台風直撃のために延期されていたオリーブガーデンコンサート第10回。
気を取り直して、10月24日。
いよいよです!



今回もちょっと前まで雨マークが出ていて随分ヤキモキしましたが、もう大丈夫。
雨は降りません!
もうすっかりお馴染みになった四十路カルテットの面々と共に、より濃いプログラムをお届けします。

昨年は「出茶屋の小屋」オープン記念でしたが、今年は一周年。
すっかり地元に定着した「小屋」は、18時に開場です。
19:15の演奏開始まで、暖かい珈琲(アイリッシュコーヒーがオススメ!)やホットサンドでお楽しみください。

すっかり秋も深まり、朝晩は冷え込みます。
昼間は暖かいようですが、防寒対策をしてお出かけください。

今年もオリーブガーデンコンサート!

2018-09-29 | ひとりごと
珈琲屋台の出茶屋さんで仲良くしてくださったおじいちゃん、山下さんに言われるがままに野外コンサートを始めてはや10回目。
まさかこんなに続くとは・・・!

今年もやります。


ここ数年、毎回出てくれている四十路カルテットの面々も、これで5回目。
もう小金井市民ということで良いのじゃないだろうか。

今年は「ボヘミア」特集。
プラハの歓迎に気をよくしたモーツァルトから、ドヴォルザークを通ってクイーンのアレまで。

で、いつやるのかというと、明日9月30日!
なんでこんな間際に告知なのか、というと、告知しようと思ったら台風24号が発生したために迷っていたのです。
そして大変厳しい状況です。
9月30日は暴風雨!

本日9月29日の昼過ぎには、開催か延期の決定をします。
延期の場合は、10月24日になるかもしれません。
このブログか、出茶屋さんのホームページをご覧ください!

※追記(9/29)
やはり台風直撃の様子です。お天気には勝てません。
残念ながら延期です。
10月24日(水)夜19時くらいになるようです。
詳しくは、またこのブログか、出茶屋さんのホームページをご覧ください!


シューベルトの弦楽五重奏曲

2018-05-16 | ひとりごと
5/18にこんなコンサートに出演させていただきます。



シューベルトの遺作にして、室内楽史の最高峰の一つであることは間違いない名作です。

「はけの自然を大切にする会」主催のこのコンサートは、プリマヴェーラ弦楽四重奏団の演奏で毎年開催されています。
愛する地元小金井のコンサートですし、Cello Ensemble 008のメンバー横山二葉が出演していることもあり、これまでも度々客席で拝聴しています。
とても温かい雰囲気に包まれたコンサートで、毎回大ホールが満席になるイベントです。

今年はシューベルトのこの名作を取り上げるにあたり、僕もゲストとして参加させていただけることになりました。

大学生活の後半、この曲にどハマりして同級生たちと明けても暮れてもこの曲を合わせていた日々が蘇ります。
光景も、音も、手や体の動きまでも、蘇る感覚に支配される瞬間があります。

この曲はチェロが2パートという珍しい編成です。
弦楽四重奏よりも少し重心が低いことはご想像の通り。
シューベルトの意外なほど見事なオーケストレーションで、終始穏やかな緊迫感に包まれます。
ヴァイオリンは、オーケストラでも弦楽四重奏でも、2パートあるのは当たり前ですから、「この曲は2ndしかやったことない」とか、「1stならやったことある」という言葉をよく聞きます。
両方やったことがあればあったで、瞬間的に去来する音が別なパートの音だったりすることもあり、中々大変なようです。

いつもはこのヴァイオリンの2パート問題は他人事でどこ吹く風だったのですが、今回は自らに降りかかっているのです。
学生の頃、体に刷り込んだのは1st.Celloのパート。
今回は、2nd.Celloを担当していて(自分で選んだのですが)、ふと気がつくと1st.Celloのパートを弾いてしまう自分がいます。
蘇る感覚で郷愁を楽しみたいところですが、本番は明後日!
急いで2nd.パートを刷り込まなければ。


他に、弦楽四重奏に伴奏していただく「白鳥」とか、ピアソラの「イ調のメロディ」など、気軽にお楽しみいただけるプログラムもございます。
ギリギリまで寝ていても間に合う地元の仕事は、年に数回あるかないか。
ベストコンディション?の演奏会にご来聴いただけたら嬉しいです。


ちづるちゃんと僕の8ヵ月

2018-05-13 | ひとりごと
前回ブログを書いてからずいぶん経ってしまいました。
毎回この出だしで始まっている気がする・・・。

とても多くの方からお返事いただいた前回のブログ。
その後ちづるちゃんは元気にしているだろうか、と気にしてくださる方もあったのですが、報告が今日になってしまいました。

ちづるちゃんは、5月9日の夜21時13分に旅立ちました。
普通ならば「謹んでご冥福を・・・」とか書くところです。
でも、時折僕の周りをちょろちょろしながら、僕のやることを観察しているように感じるのです。
まだしばらくちょろちょろしていてもらいたいので、ご冥福を祈るのは少し待つことにします。

前回のブログもまとまらない長文でしたが、ちづるちゃんがこのブログを目にすることを考え、あれでも色々と言葉を選んでいました。
今回はまだ整理がつかない8ヵ月の記憶を出てきた順に吐き出します。
とても長くなりますので、覚悟を決めてお付き合いください。


急性骨髄性白血病を発症したちづるちゃんは、お兄ちゃんからの骨髄の移植を受けて、昨年の6月に退院しました。
9月にはCello Ensemble 008の釧路公演を見に来てくれて、僕と出会いました。
前回のブログでもお気づきの方もあったと思いますが、その後札幌の病院に戻ることになったのは「再発」したためです。
もうその時点で彼女の将来は短く辛いものであることはおおよそ分かっていたのだと思います。

前回のブログでは、あまり公にするものではないとは思いつつも、医療行政の在り方に一考を促したい思いで、ちづるちゃんとの出会い、ご家族の苦労を綴りました。
その後、ちづるちゃんとの交流が深まっていくところからが今回の主題です。


前回のブログを公開してほどなく、ちづるちゃんから「Cello Ensemble 008のCDを10枚売ってください!」というお手紙をもらいました。
Cello Ensemble 008の公演で感動してくれたことを綴った手紙を添えて、Cello Ensemble 008のCDをたくさんの町の図書館や学校に寄付をしたいとのこと。
売り物のCDを無償で配布することの問題点まで分かった上での、丁寧なお願いでした。
ちづるちゃんからお金を取るのは気が引けたので、「10枚くらいなら僕たちから寄付できるよ」と伝えました。
でもちづるちゃんは使えていないお年玉をここで使う!と言って聞かず、ご両親の了解を得て次々と寄付を始めました。
多くの反響があって、ちづるちゃんはお年玉の前借りまでしてどんどんCDを購入しては寄付していきます。
彼女自身が行うことに彼女の喜びがあるのであれば、仕方ありません。何か申し訳なく思いながらも発送し続けました。

この頃、ちづるちゃんからのお手紙や、お母さまからのメッセージで、どうやら自分がちづるちゃんの王子さまになっていることを知りました。彼女の寄付活動は、Cello Ensemble 008やYAMATO String Quartetを宣伝することだけでなく、とにかく僕を北海道に呼びたかったのだそうです。
僕は、間違いなく人生最初で最後の「王子さま役」を全力で演じ切ることを決めました。


前回のブログで書いたように、札幌医科大付属病院での演奏を実現させるために幌延と稚内の方に約束を延期してもらっていました。
その方々に会うために再度北海道に行ったのはクリスマス間近の寒い日でした。
12月22日、ちづるちゃんに会いに札幌にも寄りました。

自分がクレジットされたCD・DVDを思い出して買い集め、やったこともないラッピングに四苦八苦したプレゼントを持ちました。
不器用な年増の王子様は、勇気を奮って病院に向かいます。
待ち切れずにエレベーターホールまで迎えにきてくれたちづるちゃんと病室に入ると、部屋中を飾り付けて待ってくれていました。
定位置に座ると、やおらウィッグをとって「ほら!」
周りに気を遣われるのが嫌いな子でした。
「お。頭の形が綺麗だねぇ!」と答えると、満足そうにそのままお話を始めました。
2018年9月15日にYAMATO String Quartetの中標津公演が決まった頃でした。
ちづるちゃんに報告すると「ちい、それまでに治して釧路に戻れるようにしたら聴きに行けます!」とはしゃいで喜んでくれました。
後でお母様から「9/15はちづるのお誕生日なんです」と聞きました。

病院の方々も、僕が音を出しても良いようにお医者さんの待機部屋を空けてくれていました。
そこでチェロを出して、彼女が気に入ってくれていた曲をいくつか弾いた後は、ちづるちゃんの質問タイム。
「YAMATOで演奏しているDeep Purpleの『紫の炎』のチェロの激しい刻みはどうやってるんですか!?」
病院にお見舞いに来ているとは思えない爆音を響かせました。

この歳の暮れ、先の小児病棟コンサートに協力してくれた鳥居はゆきさんが経営するカフェ「Lakura」の最後のお客さんはなんとちづるちゃんだったそう。チェロを出して、鳥居さんの伴奏で「白鳥」の練習。
素敵な年末を過ごしたそうです。


ある日、ちづるちゃんが「病気の子供をだしにして阪田先生が売名行為をしている」と言われるんじゃないか、という心配をしているということを聞きました。
おそらくそれを臭わせるようなことを口にした大人がいたのかもしれません。
実際、「あれだけCDの売り上げもあったんだから、もっと会いに行ってボランティアでコンサートをしてあげて」というようなメッセージをいただいたこともありました。
その後の彼女との交流についてはブログに一切上げていなかったので、「何もしてない」と思われたのでしょう。
全ての交流はやりたいからやったことで、義務的な活動を「何もしてない」と言われればそうかもしれません。
でも、よく知りもしないで迂闊な言葉を発して子供を傷つけるのはいつも大人なんだなぁ、と今後の自分の言動に一層の責任を感じました。


年が明けて、家のある釧路に転院することと、余命3か月程と告げられたことを聞きました。
札幌でしか治療できないために札幌に入院しているのに、釧路に転院するということが何を意味するか、子供でも分かったでしょう。
それでも釧路への転院すら可能かどうか分からない状態で本人に伝えるわけにはいきません。
大人が伝えられないでいることを、知らないフリをしてあげる優しさがあったちづるちゃん。
釧路に無事転院した後、ご両親はこれ以上彼女に気を遣わせるのをやめて、正直に余命を伝えることにしたそうです。

ちづるちゃんから「中標津のコンサートをとっても楽しみにしていたけれど、ちいは約束が守れないかもしれません。」という、いつもの明るい内容とは違う手紙をもらった時、僕の中でも何かが壊れる音がしました。
なりふり構わず、力を貸してほしい人には遠慮なく協力をお願いするようになった僕は、自分でも驚くほどの勢いで次々と動きました。

まず旭川のファンクラブの皆さまにお許しを得て、ファンクラブの主催で行ったコンサートの録画から1曲ずつ10枚のDVDを焼きました。
それぞれの曲に合わせて、滅多に書かない手紙を書き、いつも素晴らしいお花を用意してくれるPetal.さんに演奏と手紙を見てもらって、お花をアレンジしてもらいます。
このセットが10日に一度、病室に届きます。
ちづるちゃんがこの先味わうはずだった人生を、楽しいことも悲しいことも書きました。
恋をする段を書いた手紙を送ると、貴婦人のようなドレスを着た写真を返してくれました。
結婚する段を書いた手紙を受け取ると白いドレスを着た写真を送ってくれました。
いつも素敵なブーケを持って。


免疫が極端に落ちているちづるちゃんに大人数で聴かせることはできませんが、病室でネット中継でYAMATO S.Q.の演奏を見てもらいたいと考えました。
仲は悪くはないものの、いつも必要以上のことはほとんど話さないYAMATO S.Q.のメンバーに、勇気を出して「9月15日の公演を楽しみにしてくれていた女の子のために・・・」とお願いしました。
全てのメンバーから即座に「OK!」「やれ」との返事をもらった時には、24年間やってきて本当に良かった、と涙が出そうになりました。
しかし急な話です。メンバーがひねり出してくれた日程と、演奏会場の予定がどうしても合いません。
最短でも5月14日の後援会コンサートになってしまいました。これでは間に合わないかもしれません。

次に考えたのは、オリーブガーデンコンサートでお馴染みの40`s Quartet。
高橋暁、柳川ひろこ、梶谷裕子の3人はいつも飲んだくれている仲間。いつもから無茶なお願いしかしていないので、僕に振り回されるのは慣れたものです。
オリーブガーデンコンサートを聴きに来てくれたご近所のソーセージの名店「ケーニッヒ」の社長島崎さんから「うちでもいつかやりましょう!」と言われていたことを思い出しました。
島崎さんに、「いつかじゃなくて、すぐ!やりたいんです」と事情を含めてお願いしました。
しかも「ちづるちゃんのことをあまり表に出さず、普通に楽しんでいただくコンサートとしてやりたい」という注文付き。
ちづるちゃんに見て欲しいのはしんみりしたコンサートではなく、お客様が楽しんでいるコンサートなのです。
短い期間、一緒に悩みながら公演を作っていただきました。

4月14日のコンサート当日は、ドイツ風石造りの素敵な店内に予想以上のお客様。
狭い空間で、ちづるちゃんに余すところなく中継するべくカメラと三脚を持ってくれたのは、出茶屋さんで珈琲友達の磯部さん。
短い指令で状況を察すると、開演前から休憩中、終演後まで、楽しいコンサートの一部始終を送り届けてくれました。
ちづるちゃんは起き上がっていることがつらい状況だったのに、2時間ずっと背筋を伸ばしてニヤニヤして見てくれたそうです。
ちづるちゃんから、ケーニッヒにもお手紙が届いていて、メンバー一人ひとりにお手紙のついた花束も貰いました。
後から知ったのですが、コンサート会場で僕に花束を手渡すことがちづるちゃんの夢だったそうです。


5月に帯広に行く用事ができると、すぐさまピアノの鳥居はゆきさんに連絡しました。
「釧路に行って、ちづるちゃんはまだ生で聴いていない『小児病棟コンサート』を再現したいのだけど、また協力してもらえませんか?」
「もう私は勝手に行くつもりでした。」
というやり取りで、5月11日に病院にお邪魔して演奏するために動き出しました。
しかし既に4月半ば。
「近い時期は飛行機高いね~」なんて言ってたら、鳥居さんがお知り合いの作曲家、石丸基司さんに声をかけてくださって、5月11日に釧路芸術館でのコンサートが決まりました。
元々行く予定だった帯広でも、5月10日に帯広音楽鑑賞協会の楠村さん、シーズカフェの工藤さんがコンサートを企画してくださり、「それなら!」と鳥居さんのお店Lakuraでのコンサートが5月9日に決まりました。
しかし、ここでも「ちづるちゃんのことをあまり表に出さず、普通に楽しんでいただくコンサートとして」という制約を設けたために各地の主催者の皆さまには随分とご苦労をかけました。
それでも、Cello Ensemble 008のツアーを決めるのに長い準備期間をかけていたのがバカらしくなるようなスピードです。


現地に入るまで鳥居さんとリハーサルが出来ないので、お互いに質問事項やテンポ指定を譜面に書き込んで、写メ打ち合わせを進めている頃でした。
4月28日に、ちづるちゃんのお母さまから「あと1~2日かもしれないと診断されました。5月11日を楽しみにしていたのですが、申し訳ありません」という連絡が来ました。
この時、僕と鳥居さんのどちらからともなく「明日行ける?」という言葉が出てきました。
翌日の「ちづるちゃんだけのためのプライベートコンサート」が決まりました。
急遽、Petal.さんに「明日、飛行機で持っていけるお花」に全てを詰め込んでもらいました。

4月29日、ほとんど寝られないまま釧路で合流した僕と鳥居さんは、ストレッチャーから動けないとはいえ意外なほど元気そうなちづるちゃんの顔を見て嬉しくなりました。
でも元気そうに見えたのは、お医者さんが「最後にやりたいこと」を完遂できるように、投薬のピークをその時間に合わせて処方してくださったからなのだそうです。

5月11日に披露する予定のプログラムを半分ほど演奏した後、僕は残る手紙とDVDとお花を、鳥居さんからはアリスの本と鳥居さんのパートナー了ちゃん作成のちづるちゃんの名前入り革製キーホルダーをプレゼント。
すると彼女は僕たちに一輪のバラを手渡してくれました。
「阪田先生にコンサートで花束を渡すのが夢だったの」と聞いて、本当に来て良かったと思いました。
僕がもらったのは赤い一輪のバラ。
「先生には赤いワンポイントが似合うと思う」と教えてくれました。

「5月11日にまた来るからね!」と言い残して帰ってから、毎日恐る恐る携帯電話を開けても悲報は届きません。
あとで病院の方から、余命2日宣告の後にちづるちゃんとご家族を覆っていた隠しようのない暗い影が、「明日阪田先生たちが来るって!」という報告でパァッと明るくなったと聞きました。
そのせいかどうか分かりませんが、まだ頑張ってくれていることに嬉しくなり、鳥居さんと「来週はちづるちゃんが驚くくらい完成度を上げて臨まなければ!」と張り切りました。
そして「赤いチーフ」をポチっとしました。


5月8日の夜、旅に出る支度と5月14日のYSQ後援会コンサートの準備に追われている最中に、ちづるちゃんのお母様から電話が鳴りました。
「容態が悪くなり、痛みと痙攣を抑えるために薬で眠らせることになります。残りの時間は眠りながら過ごすことになるので、少し声を聴かせてもらえたら・・・。」というお電話でした。
覚悟を決める暇もなく、「ちづるちゃん、明日から北海道行くよ~。あと少しだから待っててね~。」なんて間抜けな声かけをしました。
もう返事は出来ないと言われたのですが、その後の様子をお母さまが動画に撮って送ってくださいました。
幸せな寝言のように「阪田先生、大好き」。
この動画は、王子様役としての僕の宝物です。


5月9日、札幌は鳥居さんのお店「Lakura」でのコンサート。
鳥居さんが集めてくれた温かい雰囲気のお客様の中、後半の3曲目を演奏している時に2階で物音がした気がして「僕のハンガー落ちたかな?」なんて思ってましたが、その後はいつも以上に集中して演奏できました。
リラックスした空気の中で、コンサートを終えたその時に知らせは届きました。
「21時13分に穏やかに息を引き取りました・・・・」
僕は霊感も無いですし、お化けとか超常現象の類は一切信じていません。
でも思念が時間や空間を超えることはあるのかもしれません。


5月10日。
この日からは、鳥居さんのパートナーで調律師の了ちゃん(山口了路さん)と一緒でした。
運転から搬入・調律まで、八面六臂の大活躍。
そして僕たちより先に泣く了ちゃん。
帯広のシーズカフェでのコンサートも、とても良い雰囲気の会場でした。
もうちづるちゃんに余計な心配をさせないために、ちづるちゃんのことには極力触れないという禁はもう存在しません。
ちづるちゃんとのことを思い出しながら、ちづるちゃんに話しかけるように喋り、ちづるちゃんの存在を感じながら演奏しました。
いつも絶対人前で涙を見せることが無い僕が、いつの間にか泣きながら弾いていました。


翌日の釧路では、まずはちづるちゃんに会いに行きました。
明るく楽しそうなご家族に囲まれて、幸せそうに、今にも起きてきそうな寝顔でした。
しかし、バックにかかっているのはCello Ensembnle 008が演奏するLed Zeppelinの「天国への階段」や、YAMATO S.Q.が演奏するDeep Purpleの「紫の炎」。
思わず笑いだし、「これはさすがにお客さんがびっくりするでしょう!?」と言ったのですが、「でも本人は喜ぶので」と。
持参していた昨年のYAMATO S.Q.のサントリー公演からシューベルトの「ロザムンデ」の録画(他には一切出しません)に替えてもらい、ようやく笑わずに思い出を話せる空気になりました。
本当にいたずらっ子で、僕の前ではネコを被っていたそうです。
たくさんの写真とエピソードを教えてもらい、明るい彼女の周りで、お医者さんも看護師さんも楽しく辛い日々を過ごしたことが良く分かりました。

彼女とそっくりな小さな妹ちゃんは、お布団の中のちづるちゃんの足に触ってお姉ちゃんの存在を確かめてはニコニコしています。
骨髄を提供したお兄ちゃんに「痛かったでしょう。よく頑張ったね!」と声をかけたら、それまでニコニコしていたお兄ちゃんがちょっとうつむいて「でも効かなかったから・・・。」と。
そんなことはない! 骨髄移植して釧路に帰っていなかったら、Cello Ensemble 008の釧路公演を聴くことも、僕と出会うことも、僕たちの8ヵ月の全て無かったはず。
この8ヵ月の間に僕に振り回された全ての人たちも、ちづるちゃんのこの8ヵ月に関わることができなかったことになるのです。


その夜、釧路芸術館でのコンサートは、作曲家石丸基司さんが企画してくださいました。
会場にはちづるちゃんを知る人も多く、既に訃報に接した方も多かったと思います。
もう収拾がつかないくらい感情が爆発した僕の演奏の最後は、石丸さんがこの日のためにリアレンジした作品「青空に」でした。
この日はちづるちゃんの存在を体内に力強く感じて、ちづるちゃんがお世話になった皆さんに残す気持ちを語りきれたと思います。

翌朝の告別式でも、急遽演奏でお見送りする機会をいただきました。
会場に入ると、Cello Ensemble 008の「銀河鉄道999」がかかっています。
もう笑いません。どこまでも力強く登っていく名曲のテーマはここに合っているようにすら思いました。
この日はちづるちゃんは僕の中にはいませんでした。
みんなに見送られて、ちょっと恥ずかしくなっていたかもしれません。
僕自身がちづるちゃんに向けた思いだけが響いたと思います。
まさに一点の曇りもない「青空」の下、彼女を乗せた車は去っていきました。


小手先の技術に頼りがちなチェリストだというコンプレックスを持っていた僕に、僕の演奏をまっすぐに好きだと言ってくれたちづるちゃん。
自分の中に生まれてくる衝動を音にする機会を次々と貰ったことで、僕自身や僕の音楽が変化して演奏も変わりました。
ちづるちゃんが遺してくれた「ちづるちゃん」は僕と僕のチェロの中に息づいていると感じるのです。
ちづるちゃんと出会えたこと、この8ヶ月間一切の後悔を残さずに走り続けられたのは本当に幸せなことでした。
ちづるちゃんはもちろん、ご両親や鳥居さん、お友達の皆さん、僕に振り回された全ての方々に感謝しています。


話は少し戻って5月11日の釧路芸術館でのコンサートが終わった時、赤いほっぺの少年が僕の前に立ちました。
さらに顔を真っ赤にして「白鳥を上手に弾けるようになりたいので教えてください!」と一気に言うと、ボロボロ泣き始めました。
ちづるちゃんが大好きだったそうです。
せっかく涙をこらえていたのに一気に涙腺が崩壊し、一緒に泣きながら「いいよ!」答えながら、心の中では(任せろ! 絶対僕より上手くしてやる)と叫びました。
後ろで「え!? そういう話だったの!?」とあたふたするお母さん。
あれ? 8ヵ月前にも見たような光景です。

ちづるちゃん、やったな・・・。絶対その辺でニヤニヤしているに違いありません。

演奏する意味

2017-09-30 | ひとりごと
およそ僕らしくない深刻な題名です。
今回は内容も真面目なんです。

先日、Cello Ensemble 008の釧路公演の後、サイン会に並んでくれたお客様の中に一人の少女が居ました。
彼女は僕の前に立つと、突然言いました。
「札幌医科大学付属病院で弾いてください!」

彼女の後ろではお母さんらしき人が驚き慌てている様子。
でも彼女は至って本気なのです。
全く逸れることがないその目を見たら、
「はい。」
という言葉が口をついて出ていました。

この時はまだ、「来年も再来年もおそらく北海道には来るだろう。札幌に寄る機会はいつかあるだろう。」
と考えていました。

後で周囲の大人たちから聞きました。
可愛らしい依頼主は、ちづるちゃんというチェロを弾く女の子でした。
ちづるちゃんは白血病で、つい先日までその病院に入院していたそうです。
チェロが大好きな彼女は、入院中チェロを弾くことも、聴くこともできませんでした。
抗がん剤で免疫が弱っているために、病院で慰問コンサートが開かれても、その会場に行くことを許してもらえないのです。

ちづるちゃんはようやく退院して、僕たちのコンサートを聴いてくれました。
感動してくれたのです。
彼女は、自分のためではなく、一緒に入院していたお友達にチェロの音を聴かせてあげたいと願っているのです。
分別のありそうなちづるちゃんが、僕を見込んで、勇気を出してこのお願いをしてくれたことが本当に嬉しかった。
実は音楽家ほど、自分を必要とされることに弱い人種はいないかもしれません。

状況は変わりました。
いつか、ではなく今すぐ行かなければなりません。
ちづるちゃんのお友達が退院する前に。
しかも病院に行けば良いのではなく、小児ガンの子ども達も入院している小児病棟に入れてもらって演奏する必要があります。
たくさんのハードルを乗り越えて全力の演奏ができなければ、これまで北海道にたくさん呼んでもらった意味も、チェリストを続けている意味もありません。



このミッションの遂行に燃えた瞬間から、多くの方々に後押ししてもらいました。

僕は9/20までのCello Ensemble 008ツアーの後、来年以降の準備のために一人北海道に残る予定でした。
病院と連絡を取りながら各地を周ります。
23日には、釧路のジュニアオーケストラの子ども達の公開レッスンがありました。
可愛い妹のために骨髄を提供したお兄ちゃんのチェロも聴きました。
病院との交渉の結果、決まった日にちは25日。
この日は、幌延と稚内にお邪魔する約束がありました。
幌延と稚内の担当の方に事情を話すと、「是非!そちらに全力を尽くしてください!」と温かいお言葉をいただきました。

何年も前からお世話になっている、お洋服とカフェのお店「Lakura」の鳥居はゆきさんにピアノをお願いしました。
彼女は土田英順さんというチェリストと、震災後の被災各地をチャリティコンサートで周っていた方なのです。
「私でいいんですか?」
なんて言いながら、ボランティアであること、心でする仕事であって上手下手ではないことを伝えると、
「それは私かな~」
と。

当日まで会場に行けない僕に代わって現地を見てくれた鳥居さんから
「小児病棟にあるエレクトーンでは無理!」
と緊急連絡が来たのは23日。

今度は、札幌の音楽制作会社「セプト」の社長、國廣さんにお願いです。
「持ち込める88鍵の電子ピアノある!?」
口の悪さと裏腹に、いつも親切な國廣さん。
「ないよ。そんなもん。」
と言いながら、スタッフの佐々木さんのお嬢さん所有の楽器と共に佐々木さんを派遣してくれました。
昨年の旭川クリスタルホールでの公演後、朝まで僕に付き合ってくれた強面のおじさまです。

当日は佐々木さんに搬入から設営までおんぶにだっこ。
LINEのビデオ通話を使って、釧路に居る僕の可愛い依頼主に、演奏を実況中継してくれたのもこの佐々木さんです。



入院中のお子さんたちは、食い入るように見て聴いてくれました。
17歳の男の子が、「僕、将来の夢ができた!」と言ってくれたのが本当に嬉しかった。
まだ抗がん剤の影響が残る彼女のお友達の女の子は、一緒に写真を撮って喜んでくれました。
そして0歳児のお子様の多いこと!
子ども達だけではなく、ご家族の姿も多く、ご家族も仕事や家庭を投げ打って全力投球されていることがよく分かりました。

人生最高レベルで気持ちを込めた演奏の後でした。
ちづるちゃんと入院中のお友達がビデオ通話で会話しています。
「私、29日にそこに帰るからね~!」
と聞こえた時は、胸が締め付けられるとはこのことか、と思いました。
また辛い闘病生活が待っているのです。



終わってみて思ったことが二つ。

子どもたちが親元近くで治療できること、ご家族がそのサポートに専念できること、こういうことにこそ国民健康保険や税金を使ってほしい。

そして僕たち演奏家は、ただ面白おかしく演奏するだけではなく、本当に必要としてくれている人たちに音楽を届けるという大事な仕事があるということ。
そのために各地の文化事業費を使っていただきながら演奏してきたのだな、と。

これまで、「008の北海道ツアーいつまでも続けたいな~」くらいに思っていました。
今は「続けなければならない大事な事業なんだ!」と気が付きました。
毎年あの子たちに会えるように、これからも続けます。
各地の皆さま、応援よろしくお願い致します!


そしてちづるちゃん、勇気を出してくれて本当にありがとう。
また会いに行くので、治療頑張ってね!

ちづるちゃんからのお手紙。
「いつか阪田先生と一緒に弾けるようになりたいです。」
もちろん!待っているからね。
僕は還暦過ぎまで現役でいる覚悟を決めましたよ。


最後にもう一つ。
北海道でメンバーと苦楽を共にする間に得た、心でする仕事に即座に対応してくれる友人たちを心から誇りに思います。


おまけ:ちづるちゃんは、チェロを持って再入院することを特別に許してもらえたそうです!

リサイタル?

2017-09-07 | ひとりごと
音楽界の片隅で静かに生きるチェリスト阪田です。

こんな僕に向かって、「リサイタルやりなさいよ!」なんて言って驚かせる方が稀にいます。
目立つのが嫌いなわけではありません。
008のステージで、MCやアンコールのネタで笑われているのは大好きです。

チェロを演奏する時には、誰よりも簡単な仕事を誰よりも楽にこなしたいのです。
だからソロのコンサートの依頼を頂いたら、ピアニストやギタリストの指がちょうちょ結びになるくらい大変で、チェロは白い音符だけを弾くような曲を選びます。

そんな僕が、リサイタルみたいなことをします。
しかもショパンのチェロソナタなんて、およそ僕らしくない大作に手を出してます。

9月16日(土) 18:30開場/19:00開演
会場:じゃず蕎麦放哉(旭川市6条7丁目右1号ノムラビル1階)
¥3,000(ドリンク別)
チケットお問い合わせ:0166-85-6911
主催:阪田宏彰ふぁん倶楽部



話は遡ります。
昨年の9月、Cello Ensemble 008の2週間に渡る北海道ツアーの千秋楽は旭川の大雪クリスタルホールでした。
この立派なホールで演奏するにあたり、ゲスト出演で応援してくれたのが「マダム・ケロコ」さんです。
お客様もたくさん呼んでくださり、抱腹絶倒のMCと可愛らしい歌声でステージを盛り上げてくださって、終演後はご馳走にまでなりました。

このケロコさんのディナーショーがあると聞き、旭川までお客さんとしてお邪魔した時のこと。
「アンタ、ファンクラブができてるからね。その人たちと同じテーブルにするから仲良くしなさいよ!」とケロコさん。
ファンクラブ!
008のファンクラブが北海道にも!
これは精一杯ファンサービスせねば!
と乗り込んだ会場で案内されたテーブルには、お着物の女性がズラリ。
度肝を抜かれて萎縮していると、お隣の女性から「これなんです!」と渡されたのが、これ。


え!? 008は? 僕は裏方ですけど・・・?
と声にもできないまま、気がついたらリサイタルです。

お手伝いくださる方の一人から、「絶対オススメのピアニストがいるので!」と連れてこられたのは渋谷藍香さん。

決して彼女が可愛いから引き受けたわけではありません。
少しは嬉しかったけど・・・。

渋谷さんが本当に達者なピアニストなので、これはピアニストの見せ場を作らにゃ。
これが、やったこともないのにショパンのチェロソナタを選んだ理由です。。。


これまでリサイタルを薦めてくださったのに、僕に聞き流されてきた方々へ、長い言い訳でした。
旭川まで来てくだされば、やってますよ。

マダム・ケロコさんの爆笑前説付き!
渋谷藍香さんの超絶技巧も必見!
著名な音楽家もよくライブをする「じゃず蕎麦放哉」さんは、お蕎麦もとっても美味しいです!
問題はチェリストだけ!

エンドピンについて

2017-04-05 | ひとりごと
こんなことに興味がある人がどれだけいるのやら・・・。
誰の役にも立たない記事ですが、でも書くのです。

チェリストが親の仇のようにステージに突き刺している棒。
あれをエンドピンと呼びます。

あれは何の役に立っているのか?
実はチェリストの僕もよく分かっていません。

チェロがヴァイオリン族の三男として生まれた時には、エンドピンはありませんでした。
ヴァイオリンと同じように緒留めとしてのポッチがあるだけでした。
故に古楽器の世界では現代で言う所のエンドピンは使わない方が多いようです。

しかし、音楽の歴史と共に楽器も変化しました。
サイズは少し大きくなり、足で抱えるだけでは不安定になったのか、ニョキッとエンドピンが生えてきたのです。
オルゴールと同じように、硬い地面に接することで、より振動が伝わるようになりました。

エンドピンが発明された頃は、木材の棒を別に持ち歩いて演奏する時に装着していました。
これが内蔵式に変わり、技術の発達と共に金属の棒に変わります。
現在では、鉄やタングステン、カーボンなどの硬い素材で出来ていて、ホール横のネジで固定します。



エンドピンは、持ち運びのために出し入れできるようになっています。
筒状のエンドピンホールの中をエンドピンが通るということは、微妙に隙間があるということなのです。
ネジで締めても、止まるのは二点だけ。
他の方向にかかった振動は逃がしてしまいます。

〈通常のネジ止めエンドピンのイメージ〉





この問題を画期的に解決するエンドピンがこれです!

ピン自体は弓と同じフェルナンブコ材です。
そして、エンドピンホールは円筒形から円錐系に変わり、横から固定していたネジは無くなりました。

エンドピンを固定しているのはこの部品は、やはりフェルナンブコ材です。


固定する仕組みはこんな感じ。

〈上から見た断面のイメージ〉



〈正面から見た断面のイメージ〉




この仕組みによって全面から固定された弾力のあるエンドピンは、ボディの振動を無駄なく伝えられるようになりました。

僕にとっては画期的な発明ですが、どう考えてもチェリストしか興味を持てないですね。
でも、チェロという楽器の歴史に残る発明だと思います。

発明した某楽器店では、特許出願中とのこと!
子供の頃、折りたためるハンガーや伸び縮みする靴紐を想像しながら、数年後にその商品を見て何となく悔しかったのです。
特許取れば良かった!
生きている間に一回くらい特許取ってみたい!

なぜ「某楽器店」なのか。
円錐形がぴったり合うように一対づつ製作するため、量産できない上にかなりの手間らしく、あんまり作りたくないみたいなのです。
他所様で特許を取られてこの技術が使えないような事態になるのが嫌で特許を取ることにしたそうです。
そりゃこんなマニアックなもので儲かるわけないか・・・。

チェリストの興味をも拒否するこの記事。
何のために書いたんだ!
実はただの自慢だったんです。
ここまで我慢して読んだ方には本当に申し訳ない。
でも最初に何の役にも立たないって書いたでしょ?

明けましておめでとうございます

2017-01-08 | ひとりごと
だいぶ遅いですが・・・。

昨年、YAMATO String Quartet、並びにCello Ensemble 008をお聴きくださった皆様、お世話になった皆さま、本当にありがとうございました!

両グループ共に、今年からはいろいろと変化がある予定です。
態勢が整うまで、告知できる本番がありません・・・。

あんまりにも書くことが無いので、普段は載せないYSQ,008以外のお仕事の報告を。


昨年はスタジオで録音する仕事をちょくちょくいただき、ドラマや映画の録音に関わる機会がありました。
CD屋さんから「名前が出ている」と聞き、ドラマのサウンドトラックを購入してみました。

「逃げるは恥だが役に立つ」
仕事場で題名を見た時はとても覚えられませんでしたが、後から随分この名前を聞きました。



「家売るオンナ」
これはタンゴっぽい曲だったので、楽しんで演奏した記憶があります。




聴いてみました・・・。
自分なりには集中して頑張ったつもりですが、偉大な先輩たちの音を聴くとまだまだ足元にも及ばないと思うことが多いです。
この歳になっても勉強することは増える一方ですね。

初雪

2016-11-25 | ひとりごと
普段ならブログを書くまでには到らないであろうお天気ネタです。
昨日の朝、東京でも想定外に早い積雪がありましたね。
幸い雪かきを要するほどの積雪にはなりませんでしたが、ちょっとドキドキする降り方でした。
珍しく早朝から動いた役得で撮れた写真です。


小金井カントリークラブに積もる雪。


薄化粧の小径。


白くなった茅葺屋根。


紅葉と雪。

茅葺屋根あたりで、
「小金井市ってそこまでイナカ!?」
と思われた方も、ピンときた方もあるでしょうね。

ちょくちょく名前が出る、珈琲屋台「出茶屋」さんが11/25〜11/27の間、小金井公園内にある「江戸東京たてもの園」のイベント「夜間特別開演 紅葉とたてもののライトアップ」に出店されるのです。
その搬入のお手伝いに参加した役得で遭遇した景色でした。

今朝も設営のお手伝いに行ったのですが、出茶屋さんより先に到着してしまい、1人でテントのポールと格闘していました。
そこに声をかけてくれたのは同じ出店者の「新小金井亀屋さん」。
お祭りの手伝いをしているとよくお目にかかる方で、ご挨拶はしても、お友達と言い張れるほど話したことがあるわけでもないご主人。
「何かあったら声かけてくださいね!」
という優しい言葉の中には、
「助けを求めないなんて水くさい!」というお咎めも含まれていたようです。
鶴巻さんたち、体を張って商いをする方々が日頃から醸成している人の輪を強く感じる瞬間。

今更ですが「出茶屋」の鶴巻さんの本、「今日も珈琲日和」が昨年末に出版されました。
「かもめの本棚」というところでWEB連載された鶴巻さんのエッセイが一冊の本になったのです。
身内を褒めるようで気恥ずかしいですが、本当に良い本だと思います。
本の中身は「出茶屋」さんで感じる空気と同じ。
気負うでもなく、流されるでもなく、気持ちよく自分がある感覚。
最初の方に僕の名前も出てきます。
気がつけば長い付き合いです。

この出茶屋さんを中心に紡がれる友人たちの輪。
この人達との出会いは、小金井を地元として強く意識して活動をする大きなキッカケになりました。
いつもコンサートにも来てくれる友人たちが、12/10は裏方をやってくれます。
会場のそこかしこに友人たちが居る会場で、阪田の演奏にどんな変化が表れるか、お楽しみに!

カフスいろいろ

2016-11-22 | ひとりごと
ステージ衣装で着るシャツのうち、ほとんどはカフスボタンを使います。
袖口を「人の字型」に合わせてカフスボタンを装着するのが正しいのですが、人の字のてっぺんが演奏中に楽器にカタカタ当たるのです。
なので、筒型に合わせてカフスで留めています。

で、このカフスも金属や貝などの固いものだと、演奏中にコツコツ当たってしまうのです。
他のチェリストはどうしてるんだろう??
そこをリサーチせずにこの記事を書き始めてしまいました。

よく見るものにこんなのがあります。

紐玉になっているので、金属のように楽器にダメージを与えることはありませんが、やはりコンコン鳴ってしまいます。

ちょっと前まで僕が気に入って使っていたのがコムサで売っていたこれ。

ゴム紐を平面的に組んであります。
本来このお花部分が内側で、組紐ボールの部分を見せるもののようですが、それではやはりコンコンから逃れられないので、逆にお花を外にして使っていました。
これの問題点は、左の赤い方のようにどんどんほつれてくること。
そしてもう売っていないこと。
「これくらい作れる!」という方がいらっしゃれば是非教えてください。

組紐(組ゴム?)が手に入らなくなってから、また地元小金井の友人の輪を頼りました。
やはり珈琲屋台「出茶屋」さんの常連客、Atelier Little Owlさん。
フェルトで作った小物やステンドグラスなどを製作している方です。
Atelier Little Owlホームページ
Atelier Little Owl(iichi)
チェリスト用カフスが完成した暁には、売り出してもらいましょう。

最初に作ってもらったのがこれ。

両側が色の違う革になり、どちらを表に出してもOK!
ゴムの色、革の色を選べて楽しいアイテムに!
これだけ色々試してもらったのに、「ゴムを止めるカシメ金具の部分が気になる」とワガママを言ったところ、どんな止め方が良いのか実験するための試作用を持たせてくれました。


まずはヘンプ糸で縛り上げてみよう。
止まらなかったら、手芸用ボンドで固めてみよう。
それでダメだったらどうしよう・・・?
その前にこんな平和な時間を過ごせる日々が12/10までに来るだろうか?
どのカフスを使用しているか、じっと目を凝らしてご覧あれ。

組紐を作れる方、他のアイディアが浮かんだ方、是非メッセージを!