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震災を思う1.17.2013

2013-01-17 01:30:31 | Weblog
どうもこんばんは。早々に連日記録することができなくなりましたが,調整することなく日付が1.17に
なりましたので,やはり1.17を書くことにします。というか…毎年ながら自分が生かされていることを
思い出したり,つらかったこと嬉しかったことが死ぬ間際でもないのに走馬燈のように駆け巡ったりする
そんな特別な日でもあるのです。

年を重ねると記憶は薄れる一方なのですが,そんな年でもないので思い出すことはあるものの,やっぱり
次第に薄れてしまうからこそ記録しておくことは大事なのでしょう。でも鮮明に残っていることは死ぬまで
忘れることはなさそうなので,明日の早い私はうっかり書き出すことをよして寝るときにいろいろと
ひっそり考え事をして寝ることにしようと思います。

ともかく私は,震災があって良くも悪くも価値観が変わった気もするし,今こうしよう,こうしないと
という判断基準が自分の中で決まったようにも思います。年を取ると涙もろくなると言いますが,震災後
数年あまり泣くこともなかったのですが,どのタイミングからなのかびっくりすることに泣くことが
増えるという…。見たくないとか思い出したくないということで震災関連の番組を見なかったわけでは
ないのですが,そうした番組でなくても驚くほど涙が出るようになったのは何でなのかしらと思うのです。

阪神大震災の年に生まれた子供たちが大学受験。その子供たちが中学受験の年に,みんなが生まれた年の
お話しをした記憶があります。それより前の受験生は生々しい記憶がある子供もいるから話すことも
控える必要もあったので,あまり触れない話題でしたし。大変な思いをされてお子さんを育てられたのだろう
と思うと,いろいろと思うところもあるのでした。

過去,このブログで1.17付近では震災のことを書いているように思うのですが,守らないといけないものが
いろいろ増えてくると,あのとき学生だったからこういう受け止め方をしてたのだなぁとか,一生懸命
働いて建てた家が一瞬で消えたらどうするのかといろいろと考えたりもするのでした。これが家ならまだしも
人の命だったら。。。

明日は追悼会が行われます。飛躍しますが追悼会の日の思いという場面の空き缶という小説を思い出します。
林京子さんです。震災と戦争を結び付けるのは間違っている気がしますが,追悼会ということばによる
連想です。入試日が17日に重なったこともあったので,5:46から活動していた年もあったのですが。

さて,そんな明日も朝からです。ほっこりすることでは,先日上本町で,「早く合格して温泉にでも行こう」
というメモが発見されたことでしょうか。何で温泉やねんという感が否めません。そして,平和にイカを
食べられた幸せでしょうか。またこのところの不安といえば直近の飛行機のことと,阪急の梅田行き特急の
揺れ具合。前者は飛行機に乗らない手段がありますが,後者は結構揺れが怖いのです。恐がり出すとキリが
ありません。

というわけで,すでにとりとめがなくなってしまいましたが,いち早く寝る準備に移ろうと思います。
もやすみなさい。サリューです!

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