西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

中年派遣員奮闘記(その17)

2016-01-07 | 奮闘記

NO.17[一人暮らし]

Sさんが日本へ旅立ち、いよいよ独りの生活になりました。

今まで何もかもSさんに頼っていた私にとって、これからのことを考えると何とも心細い心境になると同時に一日も早くこの国の生活に慣れなければいけない。そして駐在員としての職務を果たさなければならない。そして何のためにこの国に来たのか、自分で今出来ることは何か、言葉も出来ない私にとってこの国で生きていけるのだろうか。独りになって考えると今までの人生が小さく平面的なものであったかが悔やまれます。

日本にいるときは全て整った環境の中で物事を比較判断して来ましたし、頼る人もたくさんいてそれが当たり前の生活でもあり、自分で飛び込んだ世界がこんなにも深くそして大きな物とは思いもよらないことでした。それはブルキナファソの環境があまりにも日本のシチュエーションと違うことです。

税収が少ないためか公共施設は殆ど整備されてなく、道にはごみが到る所に捨てられ下水道も無く汚水が道に流れています、街には仕事が無く道端にごろごろと寝そべっている人や子供はもちろん物乞いをしている人達も多くいます。

同じように今日の日本も失業者が多く、ブルーシートやペーパーハウスでの生活を余儀なくされている人が多くいますが日本は仕事を選ばなければ何かあるし、それが無くても何らかの救済措置がありますがこちらでは全くありません。健康保険や生命保険 に入っている人は少なく、不慮の事故で身体障害になってしまうことは、日本とは比較出来ないほどの大きなハンデキャップとなってしまいます。

 何日か部屋にこもり色々と考えていましたが、ある朝考えていても何も始まらないと思い、まず自分で今出来ることは何か。それは近くのマルシェに行き野菜を買い食事を作ることです。いつも行きと帰りに出会う人に挨拶をしてマルシェの人と会話をするうちにだんだん外に出ることが億劫でなくなり、むしろ楽しみに思えるようになってきました。

近くの道路沿いでいつも5~6人の若い人達がお茶を飲んでいます。その中には事務所を借りている大家さんの息子フィデルがいました。フィデルはメディカルドクターを目指している学生で日本にもいるような音楽好きの青年で、フィデルがお茶を飲まないかというので思い切って若者の中に加わりお茶を御馳走してもらうことにしました。

こちらの人達が普段使う言葉はモシ族の言葉でモレ語と言って周りはモレ語が飛び交います。私には何を話しているのか一向に解からずただ周りの人が笑うと合わせて笑うという状況です。少しして村で飲んだチャパロ(ドロー)を思い出し、「ドロー セパボン」というとイイダはドローを知っているのかといいます。「ウィ ジュコネ ドロー」というと一人の青年が「500セファー出せば買って来てやる。」と言い出しました。

そこで私は酒もたまには人間関係を作る良い道具だと思い、思い切って1000セファーを出してこれで買ってくれと頼み、一時すると青年は4リッターのタンク2つを持って戻ってきました。内心こんなに沢山買えるのかと思う、と同時にこんなに飲んで大丈夫なのか少し心配になりましたが若者達の嬉しそうなしぐさを見て自分も何とか仲間になれたようで心が弾み、そしていよいよ宴会の始まりです。

カリバスと言うヒョウタンに似た器を皆で廻しながら少しずつ飲みます、酒は日本では少し強いほうでしたので、私は少しほろ酔い加減で日本には「イッキ」という飲み方があるといって飲み方を教えると若者達はもう止まりません、皆で「イッキ!イッキ!」と言いながら何度も繰り返すうちに8リッターのドローは瞬く間に無くなってしまいました。

気が付くと地べたに寝ているものもいれば隅のほうで「ゲーゲー」とやっている者もいます。「何だ?皆もう酔っ払ったのか、不甲斐無い奴らだ。」などと言いながら午前11時ころ事務所に歩いて行ったことまでは覚えていますが、それから先は全く白紙で気がつくと翌日の午前11時ごろで事務所のソファーで目が覚めました。

昨日の二日酔いで頭痛と気分が悪く水を飲み暫くするとフィデルが来てニコニコしながら私を見ると「イイダは酒が弱い。24時間寝てた。」などというので少しムッとして「ドロー セパボン」と言うとまたフィデルが大笑い、そのうちに大家さんの家族が来て昨日の話で持ちきりです。

すかさずフィデルの悪態「この次は何時イッキをやるの?」などと聞くので私はムムッとして「今日はしない。」と答えるのが精一杯でした。と同時に悪いことを教えてしまったと反省。

大家さんの家族を御紹介しますと、ムッシュ・バルコマはこの家の主で62歳、税務署を退職し現在運輸会社の重役です。働き者でほかに4箇所の貸家があり車はもちろんメルセデスで大きいお腹はいかにも主の貫禄があり、とても陽気で家族的な人柄です。

奥さんのマダムバルコマは56歳、良妻賢母を地で行っているような人でお金持ちの奥さんの割には派手さが無く、家の要として家事をする傍ら洋裁が得意でいろいろな人が服を作ってもらいに来ます。

長女のアンドレアは35歳、バス会社に勤務していてロズモンドという7歳の娘がいて、いつも仕事で忙しそうです。

次女のナターシャは御主人と10ヶ月になる娘のアンドリンと共に隣の国マリに住んでおり時々実家に戻り2ヶ月ほど過ごしていきます。やはり生まれたところは一番良いのでしょうか気さくな性格でいつも賑やかです。

三女のフランソワーズは26歳、家事手伝いで独身、料理が得意で時々ご馳走に預かります、真面目で堅実な人です。

四女のエステルは23歳独身、保健学校に通っており将来は看護婦を目指しています。とても明るく彼女の独特の笑い声は周りを明るくさせます。

長男のボリースは22歳、経理の専門学校に通い将来は銀行に勤務したいといっております。オーディオが好きでとても真面目で慎重派、しっかりものです。

そして末っ子のフィデル、20歳、メディカルスクールに通っていて将来は薬剤師志望、HIP・HOPが好きな日本にもいるような若者です。酒、タバコ、ガールフレンドと時々ダンスホールに行くなど青春を謳歌しています。

 もちろんこのように恵まれた家庭はブルキナファソでは少なく、ワガドゥグでは定職に就かず物売りや建設の日雇いで毎日を過ごすだけで精一杯な人たちがほとんどです。


次回をお楽しみに・・・・



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