おぼろ男=おぼろ夜のおぼろ男は朧なり 三佐夫 

小説・エッセー。編著書100余冊、歴史小説『命燃ゆー養珠院お万の方と家康公』(幻冬舎ルネッサンス)好評!重版書店販売。

東金市周辺の寺社巡りから

2010-06-20 17:15:28 | Weblog
このところは、何やかやとあわただしくてちょっと疲れました。
 酒の会の本拠地、千葉市の「美弥和」が隣のパルコ9階に揚げもの・焼き物中心の店を出しましたからお祝いにトップバッターで参上。おいしい料理で大いに飲んで、さらに清澄山のイノシシ肉が入手したというので、行きつけの店へ立ち寄りました。珍味珍味、持参してくれた親方に感謝して、さらに大酒!
 ここまでは、前夜祭で、翌朝はバス2台で東金市の社寺巡り。学生時代の1期先輩が、古刹最福寺の住職なので、久しぶりの再会を楽しみにして出かけました。
 大広間でお待ちかねでしたが、何とひどく痩せてしまっていて、学生時代の面影は、全くないのでした。お尋ねすれば、昨年食道がんで9カ月入院したのだそうです。
 ただ、お話はユーモラスで一行67人を喜ばせて下さいました。
 その中で、ここは家康のタカ狩りの御殿(宿舎)がありましたから3度ほど?お成りになっています。その折、7世住職日善と語らったそうです(天正19年、1591)。さらに駿府城に招かれたと言う話でした。
 それは、なぜでしょうか?
 ここから私の推理が働くのです。それは、側室のお万の方が、熱心な法華経信者であり、家康は浄土宗ですから信仰面では、対立していました。しかし男子を2人(紀州・水戸家始祖)も設けていますから家康は、お万の方には頭が上がらなかったのでしょう。そこで、出身地の上総の法華経の高僧を迎えて、会わせたのではないかと思います。お万の方は、それを大層喜んだに違いありませんぞ。
 今、小説『養珠院お万様物語』の資料集めをしていますからこの山岡住職のお話は、とても興味深いのでした。
 東金市周辺の社寺6か所をめぐって土砂降りの千葉へびしょ濡れで帰りました。
 夜は、講演「千葉県は日本から独立を!」を予定していますからシャワーをあびて、また文化センターへ。
 沖縄の歴史から「琉球処分」と旧海軍司令壕の太田実中将の本土への最後の電文を紹介するところから講演を始めました。太田中将は私の村の隣の集落出身ですから沖縄の人たちが感謝してくれているのがとてもうれしいのです。拙著『文学教育』(新評論)に30年近くの昔に書いたものを普天間基地問題が浮上して、再度読み返したのです。
 私は、沖縄は日本から独立して、自由貿易・観光の島として発展するべきだと考えています。いつまでも日本本土のためにご苦労をかけさせてはいけません。ついでに我が千葉県も独立可能な実力を持っていますから独立論を主張しているのです。まぁ、次善の策としては、日本は、共和国・合衆国制度をとって、地域の主権を尊重する民主平和国家になるべきなのです。
 発想を転換する未来論を外は梅雨の土砂降りの夜に私は語りましたが、皆さんの反応はとてもいものでした。。
 終わってからは、例によって1次会20人ほど、2次会5人で心行くまで飲んだのであります。まぁ、公私ともに超多忙な2日間ではありましたが。、
 


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