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おぼろ男=おぼろ夜のおぼろ男は朧なり 三佐夫 

小説・エッセー。編著書100余冊、歴史小説『命燃ゆー養珠院お万の方と家康公』(幻冬舎ルネッサンス)好評!重版書店販売。

再び外房へ

2014-02-09 19:39:44 | 小説
「君は、なぜあんな古い本を読みたいのかね」
「海女さんは、はだか商売でしょう。私もそうですからあの場所のことに興味を持っているのです」
「ふうん、なるほどねぇ」
 T先生は、さも感心したような相槌を打った。
 汽車は、のんびりと田園風景の中をガタンゴトンと進んでは、小さな駅に止まっては、また走る。窓を開けると、かすかに海の香りが車内に漂う。
 そうこうしているうちに御宿駅に到着した。
 改札口には、I社長が出迎えていて、
「茉莉子さん、いらっしゃい」
と、声をかけたが、T先生には会釈をしただけであった。
「やぁ、しばらくですなぁ。社長さん、この前のお電話のとおり茉莉子さんを案内して来ましたよ」
と、さも手柄を立てたような話しぶりで、待っている車の方へさっさと歩いて行った。
「あなたも隣に乗りたまえ。運転手さん、このカメラボックスはトランクに入れてくれたまえ」
と、T先生は自分の車のように後ろの席にでんと座った。
 I社長は、前の座席に乗ると、
「先生、いつもは海岸で撮影会をしていますが、たまには山の方でやったらどうかと会員が言うのでね、養老渓谷の方でなかなか趣のあるところを見つけてあります。先ずそこへ行きましょう」
「あぁそれは面白いねぇ。僕は若いころ尾瀬沼の近くの鄙びた所でヌードを撮って評判になったことがありますよ」
「先生、その写真は東京の個展で拝見したことがありますよ。神秘的な沼のほとりに髪の長いヌードモデルが静かに立っている作品でしょう」
「そうそう、よく覚えているねぇ。さすがは海女の写真を撮っては世界一と評判の社長ですなぁ」
「そんなに大げさま者じゃありませんが、先生のあの写真には感動しましたよ」
 茉莉子は、車窓の新緑を二人の会話を聞きながら眺めていたが、頭の中はミゲルと鯛の物語の展開が気がかりなのであった


日本見聞録

2014-02-08 19:25:10 | 小説
ミゲルは、夕日に向かって急いでいた。岩和田の細い道から広い十字路に出ると右は大原、一宮へ、左は勝浦、鴨川へ、直進すれば大多喜へ。江戸には、布施の山道を越えて大多喜へ向かうのが早いから十字路をまっすぐに速足で過ぎようとすると、
「ミゲルさぁん、ミゲルさぁん」
と、後ろから声が聞こえた。
 振り向くと、鯛が息を切らして追いかけて来た。
「鯛さ~ん。どうしましたか~?」
 ミゲルが立ち止まると、追いついた鯛が、
「お母っさんが、これを持って行けって。腹が減ったら食いなってよう。アワビの肝を入れたたたきはえらぁく精がつくからね。それに飯もはいれててあるよ」
「有難うごぜぇます。皆様に~よろしくねぇ。さようなら~」
「ミゲルさん、また帰って来てねぇ」
「は~い」
 ミゲルは、返事をすると先を急いだ。

 茉莉子の白昼夢は、ここで途切れた。
 T先生からしばらくぶりに連絡があり、
「この連休には、御宿で撮影会があり、I社長からは、この前のモデルさんを指名して来た。日本人離れしたスタイルと、肌の白さが気に入ったからぜひ頼んでもらいたい」
と言うのである。
 茉莉子も連休には仕事が空いていたので承知した。むしろ自分から頼みたい思いであったのは、もう一度海女さんのリーダーと、長老のおばぁさんにお会いして、湯浅家のルーツを尋ねたかったので渡りに船であった。
 両国駅から早朝の一番列車に乗り込み、千葉駅で浅利弁当をもとめて朝食を済ませた。
「やぁ、お早う。同じ列車に乗っていたのかい」
 I先生が、大きなカメラボックスを下げて隣へ座った。
「この間、神田の古本屋でね、三百七十年前に岩和田の海で座礁したサンフランシスコ号に乗っていたドン・ロドリゴの日本見聞録という本を見つけたよ。ちょっと翻訳が読みにくいが、大筋はだいたい分かるよ」
「まぁ、その本はどんな内容ですか」
「スペインの国王に遭難の様子を報告したことが中心だがね、彼は東海道を九州の臼杵まで往復していてねぇ、駿府城では大御所に往き帰りに会っているんだ」
「まぁ、わたしも読んでみたいなぁ」
 茉莉子の目がきらっと輝いた。
「ああ、ぼくはもう読み終わったから君に上げますよ。鞄に入れてあるから後でね」
「嬉しいなぁ。先生、有難うございます」