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FREE-DOM

こちらのブログは、主に日常で起きた出来事を更新しています

お見舞い

2011-07-02 15:58:24 | 家族 闘病日記
母が入院して1週間以上が経過しました。

私は何度か病室に訪れてみたところ、母は家にいたときと様子が変わらずにベッドの上で横たわっていました。

母の話によると、先日糖尿病の検査があり、来週の火曜に結果がわかるそうで、その時は私も同伴してほしいとのことでした。

私はいままで、父とおばさんと母(入院1回目)の検査の結果を聞くのに同伴しましたが、その大半が悪い結果の知らせだったので、正直不安で一杯の気持ちです。

母は「癌ではなかったから」と自分を励ますかのように言ってたのですが、、




入院

2011-06-22 22:55:27 | 家族 闘病日記
昨日、母が入院しました。


当初、先月の先生の触診の結果(首に違和感があること)での入院かと思い内心ドキドキしていましたが、実際のところは運動不足による「肥満」と「血糖値の異常」が原因で入院することだったので、こころなしかホッとしました。

確かに、3年前に糖尿を患って入院してから(糖尿による白内障での入院)、まともに運動はしていなかったと思います。

母が運動しなかったのにも理由があります。
糖尿を患う1年前に晩年ほぼ寝たきり状態だった父が他界し、四六時中、父の看病をしていた母がまるで気が抜けたかのように働かなくなり家に籠るようになったのでした。

まずは2週間入院をし、健康的な食生活&運動を毎日行うことにより体系を標準まで戻し様子を見るそうです(だたし、2週間経過しても改善の余地がない場合はインシュリン注射を使った用法で治療するそうです)


母の入院先は、かつて亡き父とおばさんがいた大病院です。
私も業務多忙で中々お見舞いへ行くことが難しいのですが、母の一日も早い退院を願っているのでした。

火曜日

2011-06-17 21:41:56 | 家族 闘病日記
昨日の晩に母から衝撃な事実を聞かせれてから一夜が明け…
昨晩は、ろくに睡眠もできずに朝を迎えました。



今日も朝から仕事でしたが、私は病院が開く時間と同時に電話をし、母が入院する原因を聞きました。
…が、母を担当する先生は業務多忙の為に毎週1度しかその病院へは来ず、来週の火曜日にならなければわからないことが判明しました。
(病院内のベッドの問題もあり、入院する日も火曜日に延期されました)

私がこれほど心配しているのにもかかわらず、母は昨晩とはうって変わってのんきそうな顔をうかべながら、せっせと入院時の道具を用意していました。

その姿を見て、去年のあの光景を思い出しました。

「おばさんも母さんと同じように入院前はのんびり構えていたな。。」

おばさんも、入院する前はすぐに退院できるものだと思いのんびりしてたのですが、結局、入院して見ると末期の膵がんであることが判明し、半年でこの世を絶ってしまったのだから。。



心配する我が子を思うかのように母は平然を装っていますが、おばさんのこともあっただけに、内心すごく心配なんだと思います。

あと3日たらずで母さんは病院に入院してしまいますが、無事に家に帰ってきてほしいと願っているのでした。

悪夢

2011-06-16 22:39:32 | 家族 闘病日記
まさか、こんなことになるとは誰も思ってもいなかったことでしょう。。





家に帰宅すると、母がソファに座っていました。
テーブルには晩ごはんが用意してありましたが、いつもとちょっと様子が違います。
私は着替えることなくすぐにご飯を食べていましたが、母が私に何か言いたげにしています。
ご飯を食べ終えると、母が思い詰めるように私に1枚の紙を差し出しました。

その紙に書かれた内容は、「入院案内」の用紙でした。


母は3年前に重度の糖尿を患い1カ月以上入院を余議されたのですが、病院でのリハビリの効果もあってか、家で薬を飲むだけで済むまで回復しました。
しかし、退院して家に帰ってからはほどんど運動することなく一日中部屋でTVを見ることが日課になってしまいました。
日に日に、母が元の体系(糖尿になった当時の肥満体)に戻るのを目にしながら、私や去年亡くなった従姉妹のおばさんは、母の顔を見るたび「散歩しに行こう」とか「ドライブ連れてくから歩こうね」と促すのですが、聞く耳たたない始末。挙句の果てには「また病院に入りたいの?」と、やや脅し加減で運動するよう命じたのですが、全く動こうとせず生活していたのでした。

そこで、先月末にある出来事が起こりました。

母は、1カ月で最も歩く日「病院の検査」へ行った時、先生の触診で首に何か違和感があるのを見つけレントゲンを撮って調べたのですが(その時は以上なしでした)、その2週間後に「入院案内」の通知が送られてきたのでした。


いま家に住んでいる人は、私のほかに少し知能に障害の持つ鈍い姉と母が住んでいますが、母が再度入院するとなると、支障をきたすことになるでしょう(前回、母が入院していたときはおばさんが家にいてくれていました)

いつかはこのような日が来ると思ってはいましたが、まさかこんなに早く来るなんて…

私がまず知りたいのは、入院する理由が何なのかです。
もしも糖尿が原因ならば、再度病院でリハビリを受ければ退院できるかもしれませんが、最悪レントゲンの結果で何か悪い症状がでていたのなら。。


明日にでも、病院の先生に母が入院する理由を教えてもらうよう電話したいのですが…
どちらにしろ入院するのですから、不安です。











母親も…

2010-09-20 21:42:01 | 家族 闘病日記
いま家庭で病気を患っている人はおばさんだけではないことに気が付いたのはほんの2~3日前のこと。

昨年の春に糖尿病を患った母親にも異変がおきていました。
両足の甲が大きく腫れているのです。
本人は痛みを感じていない様子ですが、はたから見ると痛々しく感じます。この様子だと、入院はまのがれそうもありませんでした。

私は母親に病院へ行くことを試みたのですが、子供の頃から共に過ごしてきたおばさんと一緒にいられる時間が少なくなるせいか、強く拒んでいました。
でも、今日の昼間に苫小牧に住んでいる姉貴のひとことで、渋々明日の朝に病院へ行くことになりました。
できれば、私が母親を連れて病院へ連れて行ってあげたいのですが、仕事が忙しく連れて行ってあげることができません。

明日の晩、仕事から帰ってきたら母親が無事に家にいることを願っています。。

退院!

2009-06-03 20:32:18 | 家族 闘病日記
3月に病気を患い、入院していた母がようやく退院しました♪

母の退院する日が自分の仕事がお休みだったので、朝から病院へ行き退院する準備
を整えたのでした。


家へ着くと、母は休むことなく部屋の整理から始まり部屋の掃除や洗濯など、
わたしが母のいないあいだに行っていたことを進んでし始めました。

そして、ひとこと

「あんた、掃除きたない」
と。。

どうやら、母は目の手術で白内障から回復したあと、今まで見えなかった汚れも
すべて見透かすように見えるようになったようです!!

母の病気(糖尿病)が、わずかながら良くなったことや白内障の手術の成功は
喜ばしいのですが、入院する以前より綺麗好きになったことは言うまでも
ありませんのでした(苦笑)

母への朗報☆

2009-05-22 20:02:18 | 家族 闘病日記
昨日でようやく仕事もひと段落がつき、今日は(午後から)仕事がお休みだった
為、母の入院している病院へ行くことにしました。

母は、お見舞いに行く度に元気を取り戻しているようでした。
先月に比べて顔色も良くなり、少しほっぺたがふっくらしたようにも
感じられました。

そこで、母が「昨日、病院の先生からお話があった」と言ってきました。

先生の話によると、母は病院で自分でインシュリンの注射を打てるように練習
しているのですが、日がたつにつれて血糖値の状態も安定してきているようなので
注射を使用しなくて、薬の治療でも大丈夫みたいだということでした。

その朗報を聞き、わたしは安心しました。とても、不器用な母にはひとりで
注射など打つのは無理だと思っていただけに。。
けど、今後、5~6年したら注射を打つことになるかもしれないとの判断でした
が、いまの状態はまだ薬でセーブできる状態なようなのでホットとしました。

母が入院して明日で丸3カ月がたとうとしています。
母が入院していたときは、外はまだ雪が積もっていましたが、いまでは暑くなり
夏ももうすぐのところまで来ています。
その母も、今月末までにはようやく退院の目途が立ちました。
3カ月ぶりの我が家に母はどう思うのでしょう。また、3カ月も見ていなかった
亡き父の仏壇に、母は再開と同時にいままでのことを報告するのでしょうね。
母が、いまの体調までに回復したのは母自身の努力以外にも周りに支えている
みんなの力がそうさせたのだとわたしは思ったのでした。。

注射の講習会

2009-05-02 21:11:45 | 家族 闘病日記
糖尿病を患い入院している母は、先週で目の手術(糖尿病による白内障)が無事終
了しました。
母の手術終了した直後に、わたしは担当の看護婦さんに母の退院の日程を聞くと、
4月末日に退院できそうだと話していたのですが。。
退院は、早くても5月中旬以降になることになりました。

母の退院の日程がなぜ延びたのか主治医に聞いてみたところ、「母はいまの体では
ブドウ糖をコントロールしているインスリンを体内でつくることができないため、
薬物療法(インスリン注射)が必要なんです」と説明されました。
インスリン注射は、1日1回打てばいいようです。病院では、看護婦さんが打って
くれますが、家では自分で打たなければいけません。
なので、病院で講習会を開いているそうです。


母が糖尿病になった理由は、ろくに運動をせずに甘いものを欲していたことが原因
です。父が元気だった頃は、母はほとんど休むことなく体を動かしていたのです
が、父が3年前に亡くなってから変わりました。
父はわたしが物思いをついた頃から難病に侵され、最後は寝たきりになりました。
母は、父親を病院で入院することを強く拒み、父が亡くなる1カ月前までずっと家
んで看病していました。

家で療養して約10年がたち、父が旅立って行きました。。

父が亡くなったとたんに気が抜けてしまったのでしょう。母は、しだいに体を動か
さなくなり、甘いものを欲していきました(その時点で母の異変に気がつかなかっ
たわたしにも非がありますね)

そして、今年の正月に母の体に異常をきたし始めたのでした。
当初は、母は「なんでもない」の一点張りでしたが、しだいに体調が悪くなり…



仕事が、休みの日に母のいる病院へお見舞いに行くと、母は日に日に元気を取り戻
しているようです。入院当初は白く濁っていた目も、いまでは明るくつややかな目
になり、「まるで、世界が変ったように明るくなった」と母は話していました。

これから、暖かくもなり天気の日もたくさんあるでしょう。わたしは、いまから退
院後の母をどこか遠くへ連れて行く計画をたてているのでした。。

手術終了

2009-04-26 23:22:39 | 家族 闘病日記
糖尿病で入院していた母の目の手術が一昨日の夕方に終了しました。
母は糖尿病を患い、両目が白内障でほとんど見えない状況に陥っていたのだ。
それでも、母はぎりぎりまで自分の病気のことをわたしには明かさずに普段通りの家事をしていたのだが。。


母が病院に入院して1カ月がたった。家にはわたしと応援に駆け付けた年上の姉の
2人がいるが、今までなかった母のいない生活もだいぶ慣れました。

目の手術は、入院してから血糖値が落ち着いた先週と今週の2回に分けて行われ
ました。わたしの願いが通じたのか、母の目の手術は無事成功に終わらせることができました。

昨日の夕方にわたしは仕事の合間を縫い、母の元へと行くと母は病院のベットで横
たわっいたのでした。母は、わたしの顔を見ると「元気かい」と聞き、自分のことよりもわたしの体調を気遣うのでした。
手術が終わった目は、以前のような真っ白く濁ってはいなく黒くキラキラと輝いて
いたのでした。手術後の目は明るい光に敏感になるので、サングラスが必要だと先
生から説明があったそうです。


母は、手術が始まるまでのことや手術後の経過、病院の食事のことなど、前にお見
舞いに行ったときも話したていたことをもう一度説明するかのようにわたしに話か
けてくるのでした。
わたしは、母が一生懸命に話す素振りを見ながら前回や前々回のときと比べて体調
がどうなったかをうかがっていたのでした。

話の最後に、「早くて今月末に退院できそう」との話を聞き、わたしは嬉しくて少し涙ぐんでしまったのでした。母の体重も入院前は70キロ近くあったが、いまでは45キロまで減少したそうです。


母が入院した頃の家の裏庭はまだ雪に覆われていましたが、退院するころにはつぼ
みを持った花が満開になることでしょう。手術の後で視界も良くなった目で、満開
の花々を見て喜ばせてほしい、そう思ったのでした。。

手術

2009-04-19 23:42:09 | 家族 闘病日記
つい2~3日前の出来事ですが…
糖尿病で入院中の母の血糖値がやっと安定したことにより、前から気になっていた
白内障の手術を行うことになりました。

手術当日は、奇しくもわたしが釧路へ行った帰りの日に開始されました。
わたしは、釧路で用事を済ませたあと、急いで母の入院している病院へ駆けつけま
した。母の手術中には、年上の姉貴が見守っていてくれていました。わたしが夕方
に母の元に着いたころには手術は無事終了し、母は腕に点滴をし病院のベットで横
たわっていたのでした。

わたしは、母に話しかけると弱弱しい声で返事が返ってきました。
わたしは心配になり、一緒にいた姉貴に手術の経過などを聞いたところ、どうやら
手術前にはごはんを一切クチにすることができず、なおかつ点滴がなくなるまで
ごはんを食べることができないそうです(朝から現在まで水分以外口にしていない
のでお腹がすきすぎて弱っていたそうです)

とりあえず、片方の目の手術は成功に終わったことを聞き、ホッとしたのですが…

この時、苫小牧にいる双子の姉貴夫婦も母の元に駆けつけるそうで、その際、2歳
になる姪っ子(のんちゃん)も一緒に来るのですが。。

母は、のんちゃんが病室に来てもらうことをイヤがっていました。
それは…、手術して片目が眼帯している自分をのんちゃんに見せたくなかったから
だそうです(のんちゃんの嫌われたくない一心でそう思ったのでしょう)
わたしは、電話で母の思いを双子の姉貴に伝え、のんちゃんは家で留守番すること
になりました(姉貴のみ母の容態を見に来ました)

まずは、片方の目の手術は終了しました。
次の手術(もう片方の目)は、今週の木曜日です。今回もわたしは仕事ですが、
出張ではないので、上司に相談して休みを変更してもらうようにしてみます。





病院の移転

2009-04-13 21:50:02 | 家族 闘病日記
いまから約1カ月前、母が病院に入院することになった。

病名は「糖尿病」。
いまになって新たにわかったことだが、入院した当時は
血糖値が400を超えており(健康なヒトの血糖値で100前後)、いま
すぐに合併症を併発してもおかしくない状況だったようです。
それでも母は、救急車を呼ばずにわたしの付きそいの元、自分の足で病院へ
行ったのでした。

その母親の血糖値が、やっと200前後まで落ち着いたので手術先の病院へと
移転することになりました。

母の行う手術とは、糖尿病で両目をやられ白内障になってしまったのです。

今朝、わたしは母のいる病院へ行き移転先の病院へ行きました。
母は、先月に家で見たときとはまるで別人のようにやせ細り、腕も前の半分くらい
まで細くなっていました。
それでも母は、いつもの調子でわたしに話しかけてくるのでした。

以前より、ひと回りもふた回りも小さくなったおかあさん…
見ていて辛くなりました。

病院に着いたあと再び入院の手続きを済ませ、母は病室へ入っていってのでした。
手術は、今週末。不幸にもわたしは母の手術の当日は出張でいないのですが、
手術が無事成功することを祈っています。