昨日はJICAホステルに泊ったので、今朝はホステルから職場に早起きして向った。
朝、ホステルの最寄りバス停に向かっていると、足に違和感を感じた。
『イタッ』てほどじゃないけど、重さを感じた。
小石が飛んできたのかと思った。
あたりを見回すが誰もいないし、何だったんだろうって思って再び歩き始めた。
10秒後足にほんわか湿っている感覚を感じた。
あれって足をみると、白い(スドゥパータ)ものがスラックスに付着している。
やられた。
カラスのフンだったのか。
フンであっても重力加速度によりあのような衝撃になることには驚いた。
そして衝撃の際に片方の足にも飛びちった。
すぐに拭こうとしたが、ハンカチしか持ってない。
フンをハンカチで拭く気にはなれない。
しょうがないので、財布からレシートをだしてレシートで拭いた。
その後、バスを3台乗り継いで帰るのだが自分が立つたびに、スリランカ人の目が
自分のスラックスを注目するのがよくわかる。
これを見てなんだと思ってやがるんだと少し嫌な気持ちになった。
朝から、こんなことがあるとだいぶんテンションが落ちてしまう・・・。
とうとうスリランカの内戦が終了しました。
18日LTTEの最高指導者であるプラバカラン議長が政府軍によって殺され、
その他LTTE幹部も死亡したようです。
コロンボは昨日からお祭りのような騒ぎです。
爆竹が鳴り響き、国旗を掲げた車やバイクが走り回っています。
終戦、自分の中でも待ちに待った瞬間でした。
しかし、スリランカの人のように喜べない自分がいました。
確かに戦争が終わることを望んでいましたが、たくさんの人が死んだことは悲しいことです。
昨日から死亡したLTTEの数えきれない兵士がテレビを通して放送されていました。
その中には死亡したプラバカラン氏の息子の映像もありました。
それを見て喜ぶスリランカの人たちが、自分には理解できませんでした。
蚊を殺すことも良しとしない信仰のあつい仏教徒がたくさんいるスリランカで
なぜ死体を見て喜べるのだろう?
なんというか寂しい気持ちになりました。
職場でも、会う人会う人にHappyだろって言われましたが、自分はこう答えました。
『戦争が終わったことはいいこと、だけど殺し合いはいいと思えない。』
これを聞いた同僚は舞い上がったテンションを少し下げそれ以上自分とは
会話を続けようとしませんでした。
とても冷めた返事だったと思います。
これが自分に出来る唯一の反抗のような抵抗だったんだと思います。
25年にわたって続けられた政府軍とLTTEの戦いで7万人以上が亡くなったようです。
本当に悲しいことです。
明日からのスリランカどう変わっていくか楽しみな部分もあります。
もともとは宗教戦争。
これから、それぞれの民族がどう共存していくか問題になると思います。
それぞれの民族にとって不公平や差別、そして偏見のない関係が生まれるといいなと望んでいます。
そして発展途上国にも関わらず莫大なお金が動いた軍事費が、有効に使われ
スリランカの国民に福祉やインフラという形で返ればいいと思います。
今回の終戦を通していろいろと考えさせられました。
二度と同じことを繰り返さないでほしいです。
あなたはヤスシと聞いて誰を思い浮かべますか?
『横山やすし』でしょうか
それとも『小野ヤスシ』でしょうか
それとも『井上靖』でしょうか。
ただ世界のヤスシという名前には少しふさわしくない感じがします。
今スリランカには一人のヤスシが来日しています。
その名は『明石康』さんです。
明石康さんの知名度は、どれくらいなのでしょうか?
経歴の割りに知名度が低いように思います。
明石康さんは日本人で初めて国連職員になりその後国連事務次官に就任しました。
そしてカンボジアやユーゴスラビアの和平問題に努めてきました。
また広島平和研究所の初代所長に就任したため、広島の人にとっては馴染み深い
名前なのかもしれません。
最近では都知事選で石原慎太郎現都知事に敗れたことも記憶に新しいです。
現在は『スリランカ国平和構築及び復旧・復興担当の日本政府代表』として
スリランカ政府とLTTE(タミルイーラム解放の虎)との間での和平を目指して
スリランカへ定期的に来ています。
こんなところでも日本の力がスリランカへ働いています。
日本の力によってスリランカへ平和がやってくれば、日本人にとってとても
幸せなことだと思います。
最近はブログをさぼりがち。
日々の中で書こうと思うことはあるけど・・・。
ということで今日は最近のスリランカの治安情勢について。
年末明けに政府軍がLTTEの拠点、キリノッチを占拠しました。
それに伴い日々政府軍はLTTEの領土を少しづつ奪還しています。
上の地図は現在のLTTE領土。
キリノッチを奪還した次の朝は職場でも全員、国旗台の前に集合し
戦死した政府軍を追悼する会がありました。
自分の思った以上にスリランカの歴史では意味のある日だったそうです。
この日以降、国旗を掲げている家をよく目にします
また、町でもお祝の爆竹がありました。
でも自分は普通にテロだと思いました。車しかいない交差点の中心で
急になり始めたからです。まじでびっくりしました
ただ治安は良くなると思いきや、大統領がキリノッチ奪還の演説をした
数時間後にはコロンボでLTTEによるテロがありました。
最近テロがなかったので、安心していましたがまたコロンボでは緊張が
高まっています。町にもポリスやアーミーが増えてきてるように感じます。
最初のテロ以降、コロンボで何回かありました。
政府軍がLTTEの全領土を奪還するのはもう時間の問題に思われますが
テロがなくなる日はまだ先なのかもしれません。
ちなみに明日、スリランカは祭日です。
今夜はいい夜です
昨日の夜23時半頃に空爆がありました。
自分の家から10キロ離れた発電所がターゲットになりました。
ただ、これは朝になってわかったこと。
夜は本当にあせりました。
寝る準備をしようと思ってたら、急に電気がすべて消えました。
あっ停電だななんて思ってたけど、自分は浄水場内に住んでいるので
今まで停電なんてありませんでした。すぐに外を確かめると浄水場の設備も
停止していました。
同期の隊員は停電とかよくあるとか聞くけど、ここは浄水場なので
特別なシステムがあるんだろうって思ってました。
これはおかしいと思ったら、砲撃の音が始まったのでLTTEが攻めてきたんだなって
すぐに思った。
電気の消えた部屋の中を歩き回る。どうしていいかわからなかった。
10キロも離れたところで政府軍による砲撃があったのに、電気がコロンボ全体で
ストップしていたせいか、とてもよく響いた。砲撃の音なんて聞いたことなかったけど
すぐにわかった。すぐ自分の家の近くまで攻めてきてると本気で思った。
こんなとき不思議にも親の顔が浮かんだ。申し訳ない気分になった。
たぶん死を意識したんだと思う。
そんなことを考えていると、隣の奥さんがすぐに電話してきた。彼女は政府系の
仕事をしているのですぐに情報が入ったのだろう。そして発電所で空爆が
あったことを聞いた。浄水場に攻めてきてないことを知って少し安心した。
今までテロとか頻繁にあったけど、いまいちピンとこなかった。
今回ばかりは本当に緊張した。そして瞬時にいろいろなことを考えた。
安全な生活が普通に送れること。本当にありがたいことだと思う。
今回はちょうどいいのでスリランカの内戦について軽く説明します。
今は政府軍とLTTE(タミル・イーラム解放の虎)がスリランカで内戦をしています。
いいかえればシンハラ人(政府軍)とタミル人(LTTE)の戦いです。
ただ、タミル人=LTTEではありません。一部の悪いタミル人=LTTEです。
現在、スリランカの北部はLTTEに支配されています。もちろんこの地域に
入ることはできません。ただ、政府軍の軍勢にLTTEの軍勢は劣性で
徐々に支配地を縮小している状況です。そんなこともありLTTEによる自爆テロや空爆といった反攻が首都やその他都市で頻繁に行われているのです。
異宗教の共存、難しいのかもしれません。
早く平和なスリランカがやってくるをねがっています。
今週の月曜日から1週間コロンボ市内でSAARCが開催されています。
SAARC
South Asia Association for Regional Cooperationの略称です。
日本語にすると南アジア地域協力連合。
といいながら自分も今調べたところです
このスリランカの治安の中で7カ国の首脳が集まっています。
コロンボ市内は厳重な警備。
多くの道が封鎖されています
日曜日は買い物に出かけたけど、予行演習で1時間近く道で待ちぼうけ
今日は浄水場に来てからやっていた実験の報告をするため
水道省の本部からお呼びがかかりましたが、ちょうど首脳の移動に出くわしました。
すごい車列。
まずパトカーが先導、次に銃を市民へ向けた軍用車が数台、
その後高級車が何台も、救急車も一緒に走っていました
珍しいものが見れたような感じです。
噂ではインドの首相はこの為にインドから護衛部隊3000人と
特殊車両や攻撃用ヘリを連れてきているようです
とても大きなイベントになったみたいです
ちなみに写真はSAARCの歓迎ゲート。さすがに移動中の写真は撮れなかった。
今日は家に帰ってからご飯を作るのがめんどくさかったので近くの
カデー(飲食店)に行ってコットゥを買ってきました
コットゥは説明できないので今度写真に載せます
これは、結構おいしいです。
今日は特にレポートもないので家で音楽を聴きながらゆっくりしています。
いい一日でした