何か人がたくさんいる。
私からして父方の祖父の葬儀。
遺影を祖父の名前で呼ぶ。
長男長女は戸惑います。
せつないです・・・
べっこのちっこもせつないです・・・・・・
まだまだどたばたしています。
べっこ投薬で膀胱炎乗り切れ。
べべこのいろんなことを思い直す。
生理。
うなり。
あずけることによってフードアグレッションも。
何か人がたくさんいる。
私からして父方の祖父の葬儀。
遺影を祖父の名前で呼ぶ。
長男長女は戸惑います。
せつないです・・・
べっこのちっこもせつないです・・・・・・
まだまだどたばたしています。
べっこ投薬で膀胱炎乗り切れ。
べべこのいろんなことを思い直す。
生理。
うなり。
あずけることによってフードアグレッションも。
経鼻栄養も受け付けずむくんで
血液検査も中心静脈点滴無しで4日目。
がりがりでもステロイドの筋肉注射をしている。
酸素は十リットル。
入院してなにもせずというわけにはいかないんだろう。
昼夜問わず手厚い看護を受けている。
生への執着が強かったからしがみついているのかな。
泊まりは辞めます。
娘、父に負ける。
べべこ初潮をむかえました。
娘として今日だけ泊まります。
尿がでなくなりました。
意識はありません。
時おり顔をしかめるけどぼけの神様はきてくれてると思う。
べべこも夫も留守番頑張れ!
いろいろ実家関係は私にとっては急に起こっているのだと思う。
両親を受け入れられない自分も嫌いだよ。
実家のあれこれの夢ばかり見る。
そうすると義実家のいろいろ人も登場する。
弱い私だな。
乗り越えて行こう。
膝やはり父が何らかの形で落ち着いたら手術をせねば。
その不調もある。
べべことも十分接せられてない。
夫と協力して乗り越えないと・・・・・・・・・・・
父は生きている。
先週だったかあと2・3日と言われた。
会いたい人には会わせて下さい。とのことだった。
生きていて意識はかろうじてあるかないか。
特養を切ることにした。
荷物はとりあえず預かってもらう。
強い拘りの上でたっくさんの荷物を特養に持ち込んだ。
さてどうするよ。
疲れたなあと心底思う。
母がおねしょをした。
ぐっしょりした。
べっしょりした。
汚れた布団などは持ち帰る。
べいが使用したクリーニング済みの布団をもちよる。
母との会話は財布がない。
お金下さいから始まる。
パンツを隠す母。
おねしょ。
父を祖父と取り違えている母。
やはりショックですよ。母のいろいろの変化。
それでもプロの中での出来事だ。
それだけ私は恵まれている。解ってる。
父はたくさんの病名がついた。
良かったじゃないの。
敗血症・誤嚥性肺炎・橋本脳炎・高次脳機能障害・蓄膿など。
ごめんね。
おとうさんもおかあさんも今は嫌いだ・・・・・・・・・・・
できれば触れたくない・・・・・・・・・・・・・・・・
私は実家の窓から庭を見ている。
いつの時代か美しい庭がそこにはあった。
庭を一度形成してから壊すという場面。
肥料や何か花や木に良いものを投じていた。
ふと私は庭にたっていて。
「きれいだよね」「壊すのはせつないよね」
「壊さないと前に進めないんだよね」「私には受け継ぐ子供もいないし」
ふと家を見ると売り出しの横断幕が垂れ下がっている。
庭師はなぜかなぜか鬼奴さんでした。
人の話をよっく聞いてくれて。
犬が走り回ってた。
ぶぶやべいの前の代。
TとC。
ミックスという言葉より雑種というイメージ。
転がるように走っている。
舅の犬だったんだんけれど。
「犬がいるからここがなくなったらどうしよう。」
「家にはべべこたちがいるから連れてこれないし」差別ですがな。
「壊さなければ前に進めないからきれいにしてやっちゃってくださいね」
鬼奴さんが優しく微笑んだ。
変な夢だった。
私だって愛着十分あるんだよ庭だとか家だってね。
父はそんな夢みてるんだろうか。
意識らしきものはあるんだだよね。
さて。行ってこよう。
疲れた夢だったな。
振り返れば早回しのような月日。
姉弟で実家を閉じるということは
凄まじいエネルギーが必要だった。
私には粘りが足りない。
弟の粘りすごかった。
。。。。。
ぶぶやべいの夢をかきわけて
いろんな時代の
わけのわからないものが眠りを遮る。
祖父・曾祖父。
写真を処分する際に
一通り
目にしたあれこれが時代を超えて
映像となったりしている。
そんな時は疲労する。
時折ポチだったりもする。
ポチとべべこが似てるからかな。
。。。。。
父は食べることを忘れたかな。
それでも
どちらかといえば
生のイメージ。
強いのかな。
。。。。。
父の変は2010年をさかのぼる。
眠れなくて
メンタルの薬が複数の病院から処方され
日中足元がふらつき
転倒して頭をうって意識消失。
調度福岡への夫婦旅行目前の出来事。
旅をキャンセル。
入院したんだったか。
私が嗅覚障害になった時と並行するかも。
一度目の硬膜下血種の手術。
2010年は2度目の手術だった。
前後して正常ではなかった。
確かに「治してほしい病」
にとりつかれた感じで
私は父から・・・実家から背を向けた。
うん。背を向ける状況にあったのもしかり。
結果として父と母の
現在がある。
。。。。。
どうしようもできなかったとしてもせつない。
助手席にぶぶがいた。
あ~っ良かった。
いたんだよね。
べいはうちだよね。
そんな漠然とした夢を時々みる。
起きてからもしばらくは夢だとは認識できないのが常。
。。。。。
べべこはまもなく幼稚園を卒業。
幼稚園と言っていいのかそうでないのか。
朝迎えにきてくれてその時々で公園だったりドックランだったり警察犬の訓練所だったりに出かけてゆく。
でっかい車にはわんこが6頭ぐらいか。
訓練士さんの犬も含めて乗っている。
そして夕方から夜にかけて帰宅する。
本来は泊る生活のほうが効果は早く出てくるが。
値段は変わらないが送迎を選んだ。
雨とか大会の時は休みになる。
室内訓練所というのはこの訓練士さんは契約していないらしい。
北国も暑い。
公園の訓練などは見に行く時もあるが車を全開にして日よけをして暑さをしのいでいる。
親としては心配でもある。
べべこはいつのまにか先輩になったらしい。
良き先輩らしいし訓練の場ではほぼ完ぺきで怒られることもないという。
自宅では「食糞」と「フードアグレッション」の課題はなかなか抜けない。
本日はまだ帰宅していない。
たぶん暑くて夕方から訓練だったのかな。
いないと寂しい。いればうるさい・・・
ぶぶとべいとは一味もふた味も違うべべこ。
まもなく14キロ。
まもなく9か月。
昨日は正直言って喪服を用意しようかと思った。
本日思わず「あらっお帰り」と言いそうになりましたよ。
酸素様と点滴様のおかげなのでしょうね。
唾液でも誤嚥性肺炎になるのだそうです。
今後のことはなるようになれですが。
はじめて「私」「娘」のことが解らなかった。
いいと思います。
ぼけは神様からの贈り物。
ようやくおとうさんのもとにきましたか。
もちろん施設にいて病院経由だからのんきに構えている娘です。
病名本当に今までしっくりきていなかった。
何年も意図しない投薬だったのかもしれない・・・
高次脳機能障害。
霧が晴れるように今までの父の病名がクリアになりました。
お疲れさん。
皆が苦労させれらた強い拘り。
うん。「き・〇・が・い」と叫びそうになったこともあったよ・・・・・・・
高次脳機能障害。なるほど。
入院再び。
ぼけの神様もきてくれたかな。
そうだといいね。
ぶつっと音をたててどこかが破壊された感じがしている。
脳は四月の時点で萎縮激しかったらしい。
息をすること・食べること・などなど可能ではなくなってきている。
パーキンソン症候群ではなく高次脳機能障害と言われた。
2010年以降そうだったんかもな。
神様みたいなドクターも病名までたどりつかなかったが。
なんかすっきりした。
硬膜下血種の手術との関連もすっきりした。
寿の命と書いて寿命。
神様みたいなドクターに選ばれなかった父の寿命。
父の脳はワープロタイプのパソコンが壊れた時から
じょじょに低下しだした。
それは時計と同じように
自分の一部であったのだろう。
完全にワープロ型のパソコンが壊れたのは・・・
小遣い帳のようなものが最期のとりでだったのだが
壊れたというか操作が可能じゃなくなったのだと思う。
薬物&病院依存という病名はあったと思う。
完璧を目指さしたあまりに
おそらく
薬で治る。
治してくれと必死だったのだろうとは思う。
折り合いがつかなかったのだと思う。
私自身も折り合いがどうしてもつかなかった病があった。
治療法もなかった。
辛かった。
嗅覚障害。
でも嗅覚神経がぴっぴっと反応してくれるようになった。
味も香りもある程度はわかる幸せを噛みしめられる。
折り合いがつかない苦しみが父にはたくさんあったと言うことか。
なんだか。
父の壊れ方は私が看取ってきた人々とは違う高齢者だ。
現在食べれないのか
食べないのか
よくは解らない。
特養看護師さんが訪問医のもとで点滴管理をしてくださっている。
脳の機能的・画像的には認知症で
ある確率は低いが
変である。
母よりも変。
とても変。
それをみるのがめちゃくちゃつらい。
それとも特養にあずけたという
罪悪感が強いのか・・・
気がとても重い。
。。。。。
べべこがいて良かった?
がっちゃがっちゃなべべこはひと時
いろんなことを忘れさせてくれる存在ではある。
。。。。。
神様みたいなおしゃれな先生は
とてもはっきりした方で
自分の病院に
父は合わないと言い切った。
まあいろんなきっかけをくれたドクターだったとは思う。
実家の解体が終了した。
解体現場は見には行かなかった。
解体後の更地は広いような気がする。
花畑の球根等は近所の方々が一部受け継いで下さった。
今日はご近所に挨拶にでかけた。
。。。。。
本日父が退院した。
特養に帰るわけだが行き先が違うと駄々をこねる。
「家はもうないよ」
冷たい娘は睨みつける。
痩せた。
夏を越せるか。
いや今回乗り越えたのも不思議。
ただ炎症反応の下がりは悪い。
たぶん帰る帰るとうるさいから「返された」
そうだと思う。
昼は口を一文字にしてストライキをおこしていた。
一口も食べなかった。
移動に疲れたせいもあるのかな。
最近お笑いでブレークしはじめているコンビの目を白黒させる動作を繰り返していた。
もちろんそうしたくてしているわけではないが。
怖いんだよね。
できればそばにいたくないんだ。
でもすごいと思うよ。
一時的にも「自分の居場所」に戻ってきたわけだから。
せつないですよ。
娘として。
仕方が無い。
そう思うだけだ。