常々思う。
パソコン世代じゃなくて良かったと。
特に姪への尋問は異常だ。
なんでも一言一句調べて知ったかぶりになるんだろうな。
暑い。
袋入りの洗濯物の持ち帰りは何度経験しても慣れる物ではないな。
先日の満月はとっても美しかった。
自分も通院しつつ罰ゲームのような買い物を届ける。
たんたんと。
べべこ、雨になっちゃったね。
やはりかかわらないではいられないようだ・・・
保証人・緊急連絡先などなど。捺印。
入院決定時声も交わさず帰路ついたのでこれでかかわらなくてもいいかと妄想していた。
ちょっと放置する。
やはりそうもいかず出向く。
はあ。バスタオルやフェイスタオルさえ持って行ってない・・・
以前も借りれるものは借りるというスタイルをつらぬいて2カ月?
そういうことに寛容な病院だった。
今回は厳しいというか当たり前。
やだやだ・・・
常日頃入院セットを作っておいて・・・と言っているのだが叶わず。
看護師からの説明では「薬の管理が難しい」
なるほど。
といえ口は元気で元気で・・・
ただ本当に姪として必要とされればされるほど我が身にトラブルが発生した時のことを重く思う。
やだやだ。明日の我が身をどこかで重ねるからもっと嫌になるんだろうな。
今回の入院先は・・・新しくはないが活気があると表現しておけば良いのか。
叔母宅からも姪宅からも・・・遠い。
明日は下着の買い出し・・・
「汚れものはお持ち帰り下さい」
わぁー
12月頭から入退院繰り返している80代後半。
あーといろいろ思い描いていた。
その中にこの状況は思い描けなかったというのが正直な気持ちだ。
入院以来はじめて先日寝台浴?に入っていた。
それからも安定。
ここまできたら長期療養型にしっかり移動しておしどり生活楽しめるといいな。
私は転院したらたぶん一段落。
在宅組は転ばないように。
風邪引かぬように。
ゆるやかでと願う。
雪像の解体を見に行ったわけではないけれど崩されている場面に数度遭遇。豪快。
たぶん先週より前進。
事務的なことやって。
しばし週単位で連絡くるまで待って移動するという感じなのか。
本音はじりじりする感じ。
あとは本人達の体力がついてきてくれることを望む。
うん。少しずつ見慣れてきたのだと思う。
いろんなこと・・・
満月の少し手前のいびつな月が晴れた夜空にきれいだった。
少し前に外に出ると雲にかくれんぼ。
今宵はうなされませんように。
これは言葉にしてはいけないのだと思うのだけど・・・
療養型の特に新しくない病院の見学は私には衝撃でありました。
今まで舅・父が療養型に・・・
父はその手前で他界したけれど・・・
お世話になるべくいろんなところを見学したはずでしたが。
今回は納得がゆくはずもなく新しくないそのしくみの様子にがくぜんとした場所がありました。
。。。。。
合法的場所だと思うけれど。
すさまじかった・・・
。。。。。
ただ
範囲を広げたら肩の力が少し抜ける療養型にめぐりあえそうだ。
舅の時も新しくはなく遠かったが。
それをはるかに超えた現実を見て
膝ががくがくした。
だからと言って決して安くはなく・・・
何故そこが病院として存続しているのか
私には申し訳ないが本当に申し訳ないが理解することができなかった。
うなされだしたのはそこに行ってからだった。
。。。。。
いろんなシステムもありそこで働いている方もいる。
いろんな私のアンテナは少し壊れ
修復中。
。。。。。
今宵は震えず月を見上げることができた。
地域的に格差があるのかもしれないが厳しい現実を目の当たりにすると脚がすくむ。
。。。。。
現状を打破してゆけるのか。
要介護者はここにきて安定していると思う。
ほんの少し反応が良い。
いろんなしくみの中で療養型を探してみるだけ探している。
介護者は認定は受けていないがいろんな病気をもち治療中。
倒れてしまうんじゃないかとひやひやもしている。
人ごとではなく・・・
それでもすいこまれないように進む。
。。。。。
昨年の今の時期はショートをつないで転倒しやすくなった要介護者の対応をしていた。
認知症先行だった。
春から入所する場所を探した。
そして別なところで骨折者がでて・・・
それを思い出したどると自分が何をしているんだろうとやりきれなくなるから。
そうだったな・・・ぐらいで。
要介護者&介護者の経済状況はそれぞれ(現在4人以上)悪くは無いと思えます。
サービスだけですべてがまかなえられるのかというとそうではありません。
天涯孤独になればなったでなんとかなるのかもしれないとは思う。
でも身内がいるという状況・・・
私という娘や姪という立場が存在すれば金銭だけで解決できずいろいろ走る場面がでてきます。
。。。。。
父を看取り母をグループホームに入所させた。
ここまでは吐き出しながらもなんとかやってこられた。
そこで一段落ができていたのは事実だった。
自分の親だから今思えばいろんなことがスムーズだったのかもしれない。
それでも相当厳しい状況ではなったが。
ある意味決定権は子供にあったのだとふりかえる。
。。。。。
これからは幼少期に世話になった私という姪は
複数の介護支援の立場を背負うのだと改めて実感している。
金銭的にそこそこゆとりはあっても介護サービスを信頼できずに
頑張るもうひとりにもてこずっている。
風がふけば飛びそうだ。
そして今さら気づいたのだが私自身の特に身体のバランスが崩れている年齢を迎えての複数介護。
こういう日がくるだろうとは思っていたけれど受け入れがたい想いが先行し
疲労した主介護者はあたりどころがなく私がサンドバックとなり平静を保つ傾向はある。
金曜日までは「なぜ吐き出しどころは私なのだ」と自分の立場を消してしまいたいぐらいの想いだった。
踏みとどまるも消えたら楽だろうなと真剣に思えた日常。
両親とも舅姑とも違う。
すり抜けて行こうとは思う。
金銭でできるところまではやっていただいてもそこにいたるまでのあれこれや
私でなければサンドバックになれない主介護者の心情も解らなくもない。
深呼吸して自分を追い詰めないように消さないように進もうと思う。
ネットではじめて検索した言葉は「介護」「助けて」「消えてしまいたい」今から30年まえだったか・・・
このブログをはじめるずっと前のこと。
でもこのブログ記載は時がさかのぼったかのようなつぶやきとかしている。
しばらくは状況は良くはならないと思う。
まずおしどり夫婦の折り合いは療養型ではあると思う。
現在の病院の相談員と打ち合わせつつ再度進みたいと思う。
危篤から要介護者は良く乗り越えたと思う。
寝たきりで意思の疎通も食事もできなくなった。
それもでもおしどり夫婦の時間はつながった。
サンドバック状態の私の立ち回りが問題なんだ。
とても辛いと吐き出すことがなかなかできない。
うまくかわしながら進められればと思う。
それでも私がこぼれ落ちて行くなら父と母が同時進行で
認知症&高次機能障害になりそこにもう一人を背負った時に
父のケアマネさんが私が追い詰められて危険だと察知して半ば強引に連れて行ってくださった
心療内科に飛び込んでみる日がくるかもしれない。
。。。。。
「金銭で解決できるのならばその選択をするべきでは」と
アドバイスをいただいのだが今回の要介護者はふるふるのサービスを利用している。
問題なのは老老介護で要介護者をささえる介護者のケア。
我が儘や
齢や
疲労や病歴や
プライドなどから
例え認知症がなくても簡単にはいかない。
要介護者は金銭、介護サービスの恩恵に充分にあやかっていた。
「介護者のフォロー」それが今の私の役目。
介護者の耳であり足のようなもの。
孤独だったり不安だったりのケアおよびサンドバック。
。。。。。
今回は自分が介護を受ける側になったらいかにしてまわりをわずらわせないで
いられるかを特に考えさせられている。
私だけ動くことの難しさは常日頃感じている。
いくら説明しても書いても。
自分の主張が先。
動くのは私でも判断するのは介護者。
ルールだから規則だからの部分がたくさん発生する。
介護者の理解を超える。
病院からの電話が怖いと泣いてい
るから緊急以外の電話は私にくる。
必要なものなどやドクターからの話の日時。
そして今は療養型への移動のあれこれ。
ここにきて何故療養型に移らなければならないのかと泣き叫んできた。
今の病院ではだめなのかと。
だめだし。
あそこは遠いからと泣いていたのはあなた。
全てを自分ですればいい。
つきはなしたくなる。
介護者はまだ認定を受けていない。
相談窓口は狭い。
逃げ出したいなと心から感じている。
昨夜は胃がきりきり痛みおいしいものはおあずけ。
本当になにか信仰心でも私がもっていたら少しは楽になれるかと真剣に思ったここ数日だ。
泣き声。
私この常況のりこえられるんだろうか?
高齢者独特のいろんな常識とのずれがある。
おしどり妻は耳が不自由だ。
ファックスは壊れてる。
あたりどころはなんで私?
家電も携帯も拒否してみても私がそれは落ち着かない。
飲み込んで飲み込んで。
つぶれてゆく自分を実感する。
通訳だけでも大変。
疲れた。
今日は何かおいしいものを食べにゆこう。
なんでそこにいると言われるだろうな。
暮れからずっと。
新幹線の旅をキャンセルしたことなんて忘れてる。
一人こければ皆こける。
いつまで?なんで。そう思う。