
一軒茶屋の瑞穂蔵の主・人見哲さんの葬儀が今日行われた。
僕らが那須に移り住み、今年で12年目にになるが、人見さんとは那須に来てそう年月が経たないうちに顔見知りになった。
当時の瑞穂蔵は、今の売店の建物しかなく、その2/3程のスペースが食事処、残りが売店だった。
今も変わらず定番メニューである「田舎膳」を食べに訪れたある日、駐車場の奥に青いビニールシートが被された大黒柱のような古材が幾つも並べられていた。
自分たちのゲストハウスの建物にも古材を使いたいという強い思いがあったので、関心をもちながら覗きに行くと、並べられた古材の前で、職人さんが一人、ノミで太い古材を刻んでいた。
その職人さんに古材の使い道を尋ねると、これからこの古材を使って新しく建物を建てる計画があるという。いまは、地元の土木事務所と協議中なのだが、営業用の建物なので、なんやかんや規制が厳しく、なかなか苦労している、という話をしてくれた。
土木事務所にも協議に行く程の職人さんとは珍しいと思っていたら、後でわかったのだが、その人が瑞穂蔵の主である人見さんだった。
(つづく)
僕らが那須に移り住み、今年で12年目にになるが、人見さんとは那須に来てそう年月が経たないうちに顔見知りになった。
当時の瑞穂蔵は、今の売店の建物しかなく、その2/3程のスペースが食事処、残りが売店だった。
今も変わらず定番メニューである「田舎膳」を食べに訪れたある日、駐車場の奥に青いビニールシートが被された大黒柱のような古材が幾つも並べられていた。
自分たちのゲストハウスの建物にも古材を使いたいという強い思いがあったので、関心をもちながら覗きに行くと、並べられた古材の前で、職人さんが一人、ノミで太い古材を刻んでいた。
その職人さんに古材の使い道を尋ねると、これからこの古材を使って新しく建物を建てる計画があるという。いまは、地元の土木事務所と協議中なのだが、営業用の建物なので、なんやかんや規制が厳しく、なかなか苦労している、という話をしてくれた。
土木事務所にも協議に行く程の職人さんとは珍しいと思っていたら、後でわかったのだが、その人が瑞穂蔵の主である人見さんだった。
(つづく)
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