ユダヤ系が幅を利かせるハリウッド・メジャーが映画化に二の足を踏んでいる間に、演劇の世界では60年代から、経済の近代化に伴うユダヤ人の悲劇として、シャイロックの悲哀を強調する演出が主流になっていた。それは「人肉裁判」の名を借りた「経済闘争」、最近でも話題の実業(貿易商人)と虚業(金貸し)との衝突である。
更に最近の英国などの上演では、人種的、宗教的に疎外されるシャイロック(アル・パチーノ)に対して、アントーニオ(ジェレミー・アイアンズ)をもう一人の疎外者、ホモセクシュアルとして演出することが多いようだ
『ヴェニスの商人』はそんな今日的なリアルな世界=ヴェニスと、「夫選び」のための「箱選び」などファンタジックなお伽話の世界=ベルモント、更にはその双方からのカップル(ロレンゾー&ジェシカ)の本来関わり合うことのない三つの位相が混在し、それらが交互に描かれて飽きさせない。
疎外された者は往々にして、その反動で内からのパワーを生み出すものである。
シャイロックは「怨み」を「復讐」へと転化させ、アントーニオは蕩児・バッサーニオ(ジョセフ・ファインズ)への「報われない愛」を「自己犠牲」にまで転化させてしまう。
いずれも妥協無しの大ワープであり、シャイロックの言を借りれば、「理由なしの気まぐれ」「法などクソくらえ」ということになる。
この映画の見どころは、シャイロック役のアル・パチーノと、アントーニオ役のジェレミー・アイアンズ、この二人の表情、仕草を含む演技を堪能することに尽きる。有名な法廷場面も、ラストの二人の悲哀を高める手段にしか思えないほどである。
更に、父親シャイロックを捨てて、愛する人の元に走った娘のジェシカ(ズレイカ・ロビンソン)には、恋を成就した喜びは無く、ハッピーエンディングと言うには余りにも不安気な表情である。
ポーシャ(リン・コリンズ)の機知で危機を脱したアントーニオも、もちろん勝利の喜びなどは微塵も無く、最初の憂い顔は依然として晴れないままで終わる。
目出度し目出度しの大団円の幕切れには程遠い、悲哀に満ちたラストは演劇的であり、シャイロックの眼差しの先にホロコーストを見たと言えば言いすぎだろうか。
(追記)
関西で過ごした学生時代に所属していた演劇鑑賞団体で観た劇団民芸の『ヴェニスの商人』のスタッフ・キャストを参考までに書き添えておきます。
バッサーニオ、ロレンゾーの遊び人グループは、当時流行のヒッピ-・スタイルだったことを思い出しました。
(1966年2月、大阪・毎日ホールにて)
訳 :福田恒存 シャイロック:滝沢 修
演出:浅利慶太 アントーニオ:芦田伸介
装置:金森 馨 バッサーニオ:米倉斉加年
照明:吉井澄雄 ポーシャ :樫山文枝
音楽:松村禎三 ジェシカ :阪口美奈子
衣装:ルリ・オチアイ ロレンゾー :山内 明
作詞:岩谷時子
更に最近の英国などの上演では、人種的、宗教的に疎外されるシャイロック(アル・パチーノ)に対して、アントーニオ(ジェレミー・アイアンズ)をもう一人の疎外者、ホモセクシュアルとして演出することが多いようだ
『ヴェニスの商人』はそんな今日的なリアルな世界=ヴェニスと、「夫選び」のための「箱選び」などファンタジックなお伽話の世界=ベルモント、更にはその双方からのカップル(ロレンゾー&ジェシカ)の本来関わり合うことのない三つの位相が混在し、それらが交互に描かれて飽きさせない。
疎外された者は往々にして、その反動で内からのパワーを生み出すものである。
シャイロックは「怨み」を「復讐」へと転化させ、アントーニオは蕩児・バッサーニオ(ジョセフ・ファインズ)への「報われない愛」を「自己犠牲」にまで転化させてしまう。
いずれも妥協無しの大ワープであり、シャイロックの言を借りれば、「理由なしの気まぐれ」「法などクソくらえ」ということになる。
この映画の見どころは、シャイロック役のアル・パチーノと、アントーニオ役のジェレミー・アイアンズ、この二人の表情、仕草を含む演技を堪能することに尽きる。有名な法廷場面も、ラストの二人の悲哀を高める手段にしか思えないほどである。
更に、父親シャイロックを捨てて、愛する人の元に走った娘のジェシカ(ズレイカ・ロビンソン)には、恋を成就した喜びは無く、ハッピーエンディングと言うには余りにも不安気な表情である。
ポーシャ(リン・コリンズ)の機知で危機を脱したアントーニオも、もちろん勝利の喜びなどは微塵も無く、最初の憂い顔は依然として晴れないままで終わる。
目出度し目出度しの大団円の幕切れには程遠い、悲哀に満ちたラストは演劇的であり、シャイロックの眼差しの先にホロコーストを見たと言えば言いすぎだろうか。
(追記)
関西で過ごした学生時代に所属していた演劇鑑賞団体で観た劇団民芸の『ヴェニスの商人』のスタッフ・キャストを参考までに書き添えておきます。
バッサーニオ、ロレンゾーの遊び人グループは、当時流行のヒッピ-・スタイルだったことを思い出しました。
(1966年2月、大阪・毎日ホールにて)
訳 :福田恒存 シャイロック:滝沢 修
演出:浅利慶太 アントーニオ:芦田伸介
装置:金森 馨 バッサーニオ:米倉斉加年
照明:吉井澄雄 ポーシャ :樫山文枝
音楽:松村禎三 ジェシカ :阪口美奈子
衣装:ルリ・オチアイ ロレンゾー :山内 明
作詞:岩谷時子
有名な台詞回しの数々と当時のヴェニスを忠実に再現した映像、音楽や自然の音、そして何よりもアントーニオとシャイロックを演じたお二人の熱演が光る秀作だと思います。ただ、私はとても後味悪かったのですけどね^_^;
箱選びのエピソードが少し私の中ではかすんでいます
なるほど現代に置き換えると「経済闘争」とも見えますね。
ブログで沢山の方と感想の交換をさせて頂いたお陰で、現在はシャイロックの描き方が悲劇の主人公とするのが主流だと勉強させて頂きましたが、アントーニオを同性愛者と描くのも今回が初めてな訳ではないのですね?
何も知らずに観た私には目からウロコの映画でした。
J.アイアンズのアントーニオはあれはあれで存在感があり役目を果たしていたと思います。
元々がバッサーニオとポーシャのロマティック・コメディー(喜劇)だったのが、時代の変化とともにスパイス的役割のシャイロックが一人立ちしてきた感がありますから、
アントーニオも「節度ある影」(笑)を落としていて、なかなか好ましいと思います。
>charlotteさん、こんにちは。
3組できたカップルをラストで強調すれば、大団円で目出度し目出度しでしょうが、そうすると逆にシャイロックを単なる悪役にしないで悲劇性を強調するという監督の趣旨が弱まってしまうでしょうね。
>マダムSさん、はじめまして。
シャイロックやアントーニオの描き方の変化だけでなく、シェイクスピアが面白いのは、どの時代においても同時代的な解釈が可能だという普遍性にあると思います。
エリザベス朝時代のように女役を男が演じると、ポーシャも男が演じることになりますから、バッサーニオをめぐるアントーニオ、ポーシャの関係がより錯綜して、訳わかんなくなっちゃいますね(笑)。
いつもながら洞察に満ちた感想を拝読し、
ラスト近くのジェレミー・アイアンズの
切ない表情が理解できました。(遅い!)
シェイクスピアにせよ、オスカー・ワイルドに
せよ、演出家の手腕によって現代的な解釈が
できる可能性を秘めているのですねー。
先日は「理想の女性」アーリン夫人について
ご説明ありがとうございました。
また遊びに来ます!!
今日、再チャレンジしました。
今度は無事に貼れたようです。ホッ
また、よろしくお願いいたします。
今年も楽しい映画がたくさん観られますように!
これからもどうぞ宜しくお願いいたします。