偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏815 大館・達子森(秋田)五仏

2018年10月05日 | 登山

大館・達子森(たつこもり) 五仏(ごぶつ)


【データ】 大館・達子森 207メートル▼最寄駅 JR花輪線・扇田駅▼登山口 秋田県大館市比内町扇田▼石仏 達子森山頂、地図の赤丸印▼地図は国土地理院ホームページより

【案内】 比内の平野に丸く盛り上がった山が達子森。参道入口に「薬師神社」の石柱が立ち、山頂まで緩やかな道が続く。最後の石段を登ると薬師神社の境内で、正面に薬師堂、左手に五仏の如来石仏が納められたお堂が建つ。薬師堂が薬師神社に改名したのは明治になってから。さらに明治末の神社合併で薬師御堂は解体、本尊石像薬師如来は露座になってしまったという。その後異変が起きたので薬師堂を建て直したと、境内の案内にあった。社殿は施錠されて本尊石像は拝めないが、『比内の信仰碑』(注)によると、高さ90センチの坐像。宝暦元年(1751)造立で、台座に「千人講中」の銘。達子森山麓扇田の正覚寺住職・良困義寛師が地元の有志と信者一千人の講中をつくり、浄財を集めて大阪の名士に依頼した石仏だと同書にある。
 境内左手のお堂内五仏の如来は中央に大日、その左右に二仏ずつ並ぶ。
 五仏の説明の前に四仏について案内する。四仏には密教系の金剛界四仏(阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就)と、胎蔵界四仏(大日・宝幢・開敷花王・無量寿・天鼓雷音)があり、層塔や宝篋印塔の塔身に種字あるいは像容として見られる。この塔身を大日如来とみて、さきの四仏に大日を加えて塔五仏(五智如来)とした。五智は大日の徳を五つにわけて説いてもので、それを具体化したのが五智如来である。これとは別に顕教系の四仏がある。四仏はそれぞれ如来の浄土の主尊の四方仏(南・釈迦、東・薬師、西・阿弥陀、北・弥勒)である。
 達子森のお堂の五仏石仏に戻る。五仏の後ろに五体の木彫仏が立っている。痛みの激しい像はいずれも如来立像で、石仏はこの五体を石に造り直したものである。石仏と木彫仏を照らし合わせると、尊名は釈迦・薬師・大日・阿弥陀・弥勒となり、ここにある石仏と木彫仏は顕教の四仏に密教の大日を加えた特異な五仏となる。木彫五仏はかつて薬師堂にあったものか、由来はわからない。
(注)『比内の信仰碑』平成元年(1989)、比内町教育委員会

【独り言】 薬師神社や医薬神社は明治の神仏分離で薬師が神になったところです。神社とはいえ、もともと薬師如来を祀っていた寺ですから御本尊がありました。その本尊がどう扱われたかは様々で、売り払われたこともあったようです。達子森の本尊は雨ざらしになったこともありましたが、いまは社殿に祀られているようです。鍵のかかった扉から内部を見ると、正面祭壇に小さい銅鉢と香炉があり、壁には薬師三尊や薬師十二神将の新しい絵馬が架かっていましたから、神仏混淆という感じでした。

 五仏のあるお堂には衣服が吊り下げられ、軒下には遺影がぶら下がっていました。お堂の張り紙には「今あるご遺影は古いと思われるものから順次ファイルに保存、本殿に保管します。やがて焼却処分しますのでご了承願います。(略)なお、個人を偲んで衣類など生前の身の回りの遺品をあげる方がおりますが、硬くお断りいたします」とありました。このような弔い方があるんですね。家の仏間に先祖代々の遺影を飾る光景はありますが、お堂に飾るのは初めて見ました。


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