偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏228鶏頂山(栃木)

2009年12月04日 | 登山

鶏頂山(けいちょうさん) 種字・歓喜天(かんきてん)

228 【データ】鶏頂山 1765メートル▼25000地図 高原山▼最寄駅 東武鬼怒川線・鬼怒川温泉駅▼登山口 栃木県日光市川治温泉高原の元鶏頂山スキー場▼石仏 鶏頂山山頂

2281 【案内】鶏頂山の山頂にある石祠には五つの種字が刻まれている。種字の源は梵字にある。梵字は古代インドで発達したサンスクリットを表わす文字。仏の功徳を梵字で凝縮した文章が真言。密教で仏・菩薩などを現す種字は、その真言の冒頭あるいは中間・末尾の文字から取られていることが多い。その種字の中央はアーンク(胎蔵界大日)、2282 2283 その右はギャクギャク(歓喜天)、左はカ(地藏菩薩)、そして右下にキリーク(阿弥陀如来)、左下はバイ(薬師如来)と読んだ。このなかで歓喜天がわかるまで少し時間がかかった。歓喜天は象の顔をした仏教守護の神で単身、あるいは抱き合った双身で描かれ、聖天としての方が知られている。抱き合った姿から夫婦和合の神としての信仰があり、したがって種字もギャクを二つ並べてギャクギャクとしてその姿を表現している。それにしても不思議な種字の組み合わせである。種字が刻まれた石祠は案内によると「日光山繁栄安泰を祈祷するため奉献」とあり、側面には関係した僧侶の名前も刻まれている。とすると種字も日光に祀られた仏となるのだろうが、日光に歓喜天を祀る寺院はあるのだろうか。この五つの種字の組み合わせを含めて、ご存知の方がおりましたらご教示願いたい。

2284  【独り言】鶏頂山の山頂にある石祠は入母屋造、正面に観音開きの扉もついた立派な造りです。側面や裏には建立に関わったと思われる関係者の銘もたくさん入っていました。そのなかで「信州高遠 比原真右衛門」と読める字がありました。この石祠を造った石工に違いありません。小藩で財政が苦しい高遠藩は石工に出稼ぎさせ、その運上金を財政補充にあてたそうです。出稼ぎの範囲は近隣藩はもちろん関東・関西や東北地方にまで及んでいます。他国の石工の支配下で仕事をしたのでしょうが、それだけ2286 にすぐに認められる腕のいい石工が多かったようで、なかでも守屋貞治がその筆頭でしょう。貞治を世に出したのが曽根原駿吉郎氏の『貞治の石仏』(昭和44年、講談社)。この本が契機となって石仏関係者の石工研究が盛んになりました。その2年後、曽根原氏は『太郎兵衛の石仏』も出しています。それにしても鶏頂山の石祠にある「比原真右衛門」とは、どのような石工なのでしょうか? この石祠は安永5年(1776)造立、この年守屋貞治はまだ12歳でした。

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