御嶽山・黒沢口登山道 霊神碑(れいじんひ)
【データ】25000地図 御嶽山、御嶽高原▼最寄駅 JR中央本線・木曽福島駅▼登山口 長野県木曽町三岳黒沢の御嶽神社里宮▼石仏 御岳神社里宮から山頂にかけて。特に二合目の羽入から四合目近くの松尾滝一帯に林立。写真は女人堂から見た御嶽山と霊神碑。
【案内】かつて木曽谷住人の信仰の山だった御嶽山、登るには百日間の精進が必要だった。これを軽い精進で登れるよう願い出たのが尾張の行者・覚明で、江戸時代の天明2年(1782)だった。その後覚明は、古くから利用されていた黒沢からの信仰の道を整備するため無許 可の登山を続けた。そして、その願いが叶ったのは寛政4年(1792)。しかし覚明はこの6年前、御嶽山頂二ノ池=写真下=ですでに入定していた。覚明は信者により九合目(覚明堂)に葬られ、山麓に霊神碑が建立された。御嶽山の霊神碑は神道の諡号(しごう)を扁平な自然石に刻んだもの。後に、御嶽信仰を支えた行者の霊神碑が建立され、明治時代以降は一般の信者もこれを建てるようになった。御嶽信仰の霊神碑建立の背景には、「人の霊魂は、死後山にのぼって子孫を見守る」という日本固有の霊魂観があり、一心や一山などの御嶽行者が説く「御嶽の神を信仰する者は、死後その霊魂は童子としてお山に引き取ってもらえる」という考えが基本になっている。なお、霊神碑は普寛行者が開いた王滝口登山道にも林立している。参考文献『御嶽の信仰と登山の歴史』(生駒勘七、昭和63年)。
【独り言】7月19日は三岳村の御嶽神社黒沢若宮の祭礼。この祭りのために黒沢には泊まる宿がなく、八合目の女人堂まで登ることにして、時間があったので三合目か 置き、中の湯から歩き出しました。この湯は土日曜営業という情報でしたが、祭りのためか扉はかたく閉ざされていました。ロープウエイが7合目まで架かった今、この道を歩く人は少ない様子で、途中の小屋も人の気配はありませんでした。木曽の木がびっしり敷き詰められた道は歩きやすく、利用者は少なくなったとはいえ、道の手入れもされているようです。写真は途中の小屋傍の木祠に祀られていた八海山大頭羅神王です。