偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏151地蔵岳(栃木)

2008年07月02日 | 登山

粕尾・地蔵岳(じぞうだけ) 金剛堂(こんごうどう)

151  【データ】粕尾・地蔵岳 1274メートル▼25000地図 足尾▼最寄駅 東武日光線・新鹿沼駅▼登山口 栃木県鹿沼市上粕尾の粕尾峠▼石仏 地蔵岳山頂

1511  【案内】前日光には地藏岳が二つあり、粕尾峠近くの地蔵岳は日光修験の修行コースから外れている山。そのため修行場である宿はなく、日光修験とのかかわりは薄い山であると思われる。しかし奈良時代に日光修験の祖である勝道が男体山を開山するためたどった道は、いまの坂東札所十七番・出流山から大劔峯、そして古峰原と続く尾根とされている。大劔峰は横根山であり、地蔵岳はこの尾根上にある。したがって地蔵岳は勝道にも日光修験にとっても重要な山といえる。その関係からか、この山にも日光修験の宿にみられる金剛堂と同型の石祠がある。そこに祀られていたのが地蔵菩薩。金剛堂に祀られるのは金剛童子。これは不動明王といわれているが、これまでみてきた金剛童子が必ずしも不動ばかりではない。こういう状況から、この石祠を金剛堂とした。ただ、この地蔵が金剛堂建立当初からセットで祀られていたかどうかは分らない。地蔵の石質や風化の具合が、金剛堂とは若干違ってみえる。

1512  【独り言】地蔵岳の登山口は粕尾峠から足尾側に少し下ったところ。樹林帯の穏やかな道をたどると地蔵平の標識がある平地にでます。近くには思川の水源もあり、キャンプをしたくなるような空間です=写真上=。この一角に地蔵菩薩が立っていました。「首□地蔵」の標識があ1513 ります。頭部が欠けている地蔵なので「首欠」とでも記されているのでしょうか。台座には「文化三年(1806)」の年号が刻まれていました。それから「神護中勝道上人開此山」などの文字も。これを「神護年間(765770)に勝道上人が地蔵岳を開山した」と読んでみました。勝道が男体山を開いたのは延暦元年(782年)。神護年間の勝道は男体山を目指して拠点の大劔峰(横根山)から日光に入り、一帯を調査していた時代です。その折に勝道はこの地蔵岳にも登ったのでしょう。その実績を後世に残すため、いまから200年前にこの地蔵菩薩が建立されたのではないでしょうか。建立者銘はありませんが、建てたのは日光修験の関係者に違いありません。

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