石仏番外・偏平足
ブログ「偏平足」がスタートしたのは2005年の8月。拙著『里山の石仏巡礼』を上奏したあと、書き漏らした山の石仏を紹介したのが始まりでした。それから約2年で100か所の山の石仏を紹介することができました。ブログ名の偏平足は、私の足から取ったものですが、この扁平足、実は同名の冊子が約40年前(昭和44年)にすでに存在していました。その1号=写真上=は、謄写版刷りの粗末なものでした。ロウびきされた原紙をヤスリの上にのせ、鉄筆で文字を書いて版下とし、油性インクで刷る謄写版印刷は、昭和40年代初め の私的な印刷では主流でした。まだコピーなどは高嶺の花の時代でした。
偏平足の内容は登山報告と石仏案内。1号は金峰山(長野・山梨)、乾徳山(山梨)、八ヶ岳(長野・山梨)、鳳凰三山(山梨)なんどの記録と、丹沢の日向薬師(神奈川)の案内でした。
その後「偏平足」は、謄写版印刷のまま「山仏研究会」の機関紙になり、タイプ入力になり、山の石仏調査報告書となって、第12号(昭和55年)まで続きました。山仏研究会といっても、会員一人の実態のないものでしたが、友人を誘っては石仏のある山へ出かけて石仏調査をしましたので、「偏平足」は不十分ながらも山の石仏紹介で溢れていました。振り返りますと、誘われた人にとってはさぞ迷惑な山登りだったと思います。そして平成になってからは、日本石仏協会(昭和51年発足)の機関紙「日本の石仏」に投稿するようになって「偏平足」は休刊となりました。