偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏98地蔵岳(長野)

2007年08月07日 | 登山

地蔵岳(じぞうだけ) 千丈行者(せんじょうぎょうじゃ)

98  【データ】地蔵岳 2371メートル▼25000地図 市野瀬・千丈ヶ岳▼最寄駅 JR飯田線・伊那市駅▼登山口 長野県伊那市長谷市野瀬▼石仏 地蔵尾根の地蔵岳山頂

 【案内】地蔵岳に首のない行者の石像がある。椅子に座り、羽織98_1 袴のいでたちで草鞋をはいている。椅子には「中尾講中 千丈行者」と刻まれていた。中尾はこの地蔵尾根の末端にある集落の名、千丈行者はこの尾根を開いた山岳行者に違いない。江戸時代の末期、中部山岳は開山を目差す山岳行者であふれていた。この時代、行者は山を開山することにより超人的な人格が認められ、信仰登山を組織し、先達として宗教的地位が確立できた。槍ヶ岳を開いた播隆もしかり、甲斐駒ヶ岳を開いた小尾権三郎や八ヶ岳の赤岳を開いた作明もそうであった。千丈ヶ岳の地蔵尾根にある千丈行者もその一人で、中尾の集落を足がかりに地蔵尾根から千丈ヶ岳の開山を志した行者である。残念ながら千丈行者の氏名や素性や成果に関する資料はまだみていないので、詳細することはできないが、千丈ヶ岳の山頂には多くの石仏が奉納されているところをみると、登山講が組織され、信仰登山が行われたことは確かである。しかし、山麓はじめとしてこの地方に千丈ヶ岳の供養塔はみられないので、この信仰が発展をみることはなかったようだ。

 【独り言】登山道にある石仏を探すのは登り道が楽です。何も考えないでただ地面とニラメッコしながら登るだけですから、じっくり探しながら進めます。しかし下りで石仏を見つけ出すことはほとんどありません。目線がはるか下の方にいってしまい、脇にある石仏などは見落としてしまいます。そんなわけで、千丈ヶ岳の地982 蔵尾根も初めは登るつもりでした。登山口の市野瀬からの山頂までの標高差は約2200メートルですから、単純に計算して8時間の登りです。しかし北沢峠までバスが通じていた昭和63年、この尾根を登る元気はなく、戸台の手前のバスターミナルから北沢峠までバスに983 ゆられました。ただ、バスの車窓から何度も訪れ歩いた戸台集落や戸台川の河原を眺めるのは「こんなに楽をして南アルプスに入っていいのか」という忸怩たるものがありました。とはいいながら、仙丈ヶ岳から地蔵尾根を下って石仏を探すというこの計画は、信仰登山の跡を辿ることを旨とする者にとっては、一層情けない行為であったことは確かで、ただ、ただ、どこにあるか分らない石仏を見逃さないことを願うばかりでした。写真は千丈ヶ岳から見た鳳凰三山と、千丈ヶ岳山頂の不動明王です。

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