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Boruneo’s Gallery

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<作品には著作権があり、商業的使用は禁止とします>

4月の雪 36

2007年05月21日 09時37分12秒 | 創作話




          36 ~一人暮らし~

アパートに帰り着いたときにはもう真っ暗で、へギョン先輩とギウンssiに送ってもらってよかったとソヨンは思いながら鍵を開けた。
暗い部屋に電気をつけると、こぢんまりとした自分だけの空間が現れた。
ソヨンは一人暮らしを始めて気付いたことがあった。

それは淋しくないということ。
離婚して一人で暮らすことの淋しさを覚悟していたはずなのに、本当の淋しさはそこにはなく、あったのは開放感にも似たものだった。
むしろ、それまでの自分と言うものがどこまで自分だったのか・・・そのことに気付いたときがいちばん寂しかった。

・・・結婚していても、私ひとりだったのかもね。

キョンホがいたときは部屋に彼の物が溢れていて、どこをみても幸せな夫婦の家。
でも、主は留守が多くてあまり家にいなかった。
それはどこまでが仕事で、どこからスジンssiとの時間だったのかわからない。
愛していたはず・・・愛されていたはず・・・どこまでが真実で、どこから誤魔化しなのかわからない。
気付かないうちにそのことに慣れている自分がいた。
そのことに気付くのが別れてからというのもなんだか滑稽だ、とソヨンは思った。

「先輩は幸せだわ。あんなに優しいギウンssiが側にいるもの。」
コンサートの帰りを思い出しながら、ソヨンは腰を落とすと壁にもたれた。

大勢の人ごみの中、へギョンの帰りを待つこと数十分。
ラッキーが吠えたので、ようやく戻ってきたへギョンを見つけることができた。
「先輩、遅いから本当にどこかへ行ったのかと思ったわ。」
「ごめんね!だって、本当にいい男だったのよ!ちょっと、ときめいたわ!」

・・もう、この人は・・・と思いながら、ソヨンが笑っていると、「私としたことが見落としていたわ。でも、約束はしてきたから!」と言ったヘギョンの顔が少し意気込んでることに気がついた。

「約束って?」
「今度会ったら、お茶しましょうって誘ったのよ♪あっ、でもこれはギウンssiには内緒ね。」

いきなり会ってそんな約束をしてしまうヘギョンのノリを‘らしい’と思いつつ半ば呆れ、ギウンssiが可哀想だと思った。

「といっても、縁があればだけどね。まあ、そんな顔しないで。私が愛しているのはギウンssiだけよ。私はあなたのために言っただけだから。」

・・・私のためって、会ったこともない人とお茶をするのが私のためだと言うの?・・・

「ソヨンもそろそろ新しい恋愛してみたら?過去のことより、今よ。さっきの彼、すごく感じよかったのよ。そしたら、とっさにあなたの顔が思い浮かんだってわけ。」

まばらになった人たちとぞろぞろ歩きながら話していると戻ってきたばかりのヘギョンの携帯が鳴った。
「これから迎えに行く」というギウンからだった。


「過去のことより今が大事・・」と先輩は言った。
確かにそうだと私も思う。
でも先輩、インスssiのことは過去じゃない。
あれから、ずっと私の心を占めている人。
私を奪っていった人よ。
インスssiが離婚したことを知ったときは、彼の決意が・・・思いが・・・この胸に突き刺さりそうだった。
私を諦めないで探してくれていたことを、彼の本は教えてくれた。
嬉しくて・・・本当に嬉しくて・・・。

あの人が写っていたあのページを何度も読み返しては、この指で彼に触れてみる。
冷たい紙を通して、覚えているぬくもりを呼び起こす。

「その夜は眠れなかったのよ・・先輩。 “今、この瞬間、私を思ってくれている” 繋がった心が歓喜の声をあげ続けた夜を忘れられるわけがないの。」

インスssiのことを知らない先輩が私に一度、そのスタッフの人とお茶でもしたらとやたらに勧めている。
・・・あの人のことを話そうかしら・・・。そんなふうに考えていたら、「ああ!私ったら名前を聞くのを忘れたわ!もうドジ!!」と先輩は自分の頭を右手で抱えた。

「その人とのお茶はなしですね・・・先輩。」
笑いながら言ったけど、少し安堵した自分を感じていた。
・・・恋なんて、そんなたやすくできるものじゃないもの。


へギョン先輩と休日に会う時は、必ずギウンssiにも会った。
二人とも私にとても優しかった。
私にとっても楽しい時間が過ごせる数少ない人たち。
恋人だから勿論だけど、本当に仲のいい二人で、結婚も真近じゃないかしら?

今夜も3人の馴染みのレストランで夕食を済ませると、帰りはいつものように私をアパートまで送ってくれた。
そして私がギウンssiの車から降りると、へギョン先輩が助手席の窓を開けて聞いてきた。

「ねえ、もう、あれから連絡はない?大丈夫?もしなんかあったら相談してね。」
「ええ、大丈夫です。先輩もギウンssiもおやすみなさい。」

手を振りながら走り去るギウンssiの車を見送ると、ソヨンはアパートの階段を登っていった。
引っ越して、ようやく落ち着いた場所。
あの頃住んでいたあの家のように、海も緑もここにないけど、それでも私だけの大切な空間・・。

ソヨンが玄関を開けて、暗い部屋に電気をつけると部屋の真ん中に置かれたテーブルが目に入る。
その上に何度も読まれただろう、ある雑誌が置かれていた。
イヤードッグに触れると、見たいページがすぐに現れるようになっている。
ソヨンが何度も触れているページ。
送られてから何度めくったか分からないほどそのページは、いつでも笑顔で溢れていた。
 
ようやく落ち着いたソヨンが今夜も雑誌に手を伸ばしたとき、バッグの中の携帯電話が鳴った。

ソヨンの体が固まった。

開かれたページにはインスが笑っていた。


4月の雪 35

2007年05月16日 10時51分51秒 | 創作話


      35 ~落とし主・2~

6時半近くになっても、まだあたりは明るい。
みんなが去って行った後は、ことさら会場の広さを強調しているように思うほど広々としている。
その青々とした芝生の広場に黒のスタッフジャンパーを着た背の高い男性が立っていた。

「あの・・すみません。電話の・・スタッフの方ですか?」
息を切らしたヘギョンが声を掛けた。
少し俯いていたインスはその声にはっと顔をあげた。
「はい、僕です。」

「あ・・あの・・・見つけて下さってありがとうございました。失くしたら困るとこだったんです。」
思っていた以上の容姿にヘギョンの声はトーンが高くなった。

「そうですよね。偶然だったんですが、見つけられてよかったです。」
インスは笑顔を向けながら手にしていた携帯をヘギョンに渡した。
「何かお礼をしたいんですけど・・」
へギョンは、なるべく自然にしなきゃ!と思いながらも、上目遣いでインスを伺った。

「いいえ、気にしないでください。これは僕の仕事でもありますから。」
「ゴミを拾うのが?」

なんてバカな質問だろう!とヘギョンは思ったが遅かった。
インスは想像もしなかった質問に笑顔が弾けて、“まさか!”と言う表情をして見せた。

「いいえ(笑) 僕の仕事は照明なんです。コンサートは楽しんでいただけましたか?」
「ええ、とっても。雰囲気があって本当に素敵でした。音楽もすごく良かったし・・・ラッキーも大人しくしてくれて、本当に楽しかったわ。」

「ラッキー?」
「犬の名前です。連れてきていたんです。」

胸が熱くなる。

「犬・・ですか?あなたが、連れてきたんですか?・・・」
インスが先ほど見せていた柔らかい表情を変えてヘギョンに聞いた。
“え?・・・・だめだったの?・・でも、公園だし・・・”とへギョンは思ったが、会場の都合を確認しなかったのは自分だと気付いて、「すみません。動物はだめでしたか?」と思わず低姿勢になってしまった。

「いいえ、大丈夫です。それよりも、その犬の近くに髪の長い女性を見かけませんでしたか?」

この人からどんな答えが返ってくるのか・・・不安と期待が渦を巻いていく。
スローモーションのように、表情から口の動きまで僕の望むものがそこにあることを願いながら思わずこの人を見つめてしまっている。

・・・僕の質問に、この人はなんて答えてくれる?・・・

「あ・・あの・・髪の長い女性って、周りにいる人はみんなそれらしい人ばかりだったけど・・・・。私もそうだし・・・あの・・?」
質問の意味が分からないという表情を彼女はしてみせた。
それをみたインスはソヨンの名前を出そうとした自分にブレーキをかけた。

・・・そうだな、見ず知らずの人に彼女のことを聞いても・・・。
「すみません。知っている人を見かけたので・・・・。」

彼女もどう切り出していいかわからないように、それ以上話しが続くことはなかった。
落とし主は、僕に再度礼を言うと「友達を待たせているので行きますね。」と小走りで去っていこうとした。
途中でその人は一度振り返り、「よかったら~今度~お茶しませんか!」と大きな声で言った。

「縁があったら、ぜひ。」と答えた僕に、その人は大きく手を振って今度こそ走り去っていった。

「寂しそうにでも見えたのかな・・」
こんなときにナンパされるなんて・・・僕は少し可笑しかった。
走り去るその人の後姿に揺れる黒髪・・・それは彼女にも見えた。

---- よかったら、お茶しませんか? ----

僕が何度も君に言った台詞だよ。
覚えている?
まだこの気持ちがなんなのか、気付かない振りをしていたあの頃だ。
テーブルを挟んで向き合った距離に、僕のこの熱が君に伝わりそうでどきどきしていたよ。
何気ない会話に命が吹き込まれていく感じだった。
会話の数だけ、君を見つめる時間が増えていったこと。
僕たちの笑顔が増えていったこと・・・。


今、ここにいないけど、確かに僕の心には彼女がいる。
確かなことがここにある。
だから、まだ諦められないよ。
まだ、何も終わっちゃいない。

インスは落とし主が見えなくなるとしっかりとした足取りで地を踏みしめ、仲間たちが待っている場所へ向かった。

思い出させてくれてありがとう・・・
携帯の落とし主に感謝しなきゃな・・・
僕にはやるべきことがある。


4月の雪 34

2007年05月11日 10時36分48秒 | 創作話
      

         34 ~落とし主~

僕たちを繋いでくれるこの空をあなたも見ているだろうか?
空翔けて、この魂が君の元へ飛んでいけばいいのにと思う。
僕は切ない思いを馳せながら暫く空を見ていた。
「仕事に戻らないと・・」

現実は僕に意地悪らしい。
もたれていた背中は鉛でも入っているのか・・重く、引き離すことが困難に思えるほどだ。
それでも・・それでも、僕は行かなくてはいけない。

仕事に戻ろうと歩き出した時だった。
どこかで着信音が鳴っている。

「僕の携帯・・・じゃない」
それはずっと鳴り響いていて、辺りにいる人の反応からそれらの携帯ではないとわかると、芝生の中から無機質な光が見えた気がした。

「落し物?」

離れた所に落ちているそれが携帯だとわかると、僕はそれを拾った。
あの人ごみだから、落としたことも気がついてないのかな。

鳴り止まない携帯を手に「どうしようか・・・」と少しだけ首をうな垂れた。
だが、“落とし主が掛けてきているかもしれない”と、僕は考えた。
違うかもしれないという考えが浮かばなかったのが不思議なくらいに・・それは確信に近かった。
インスは、携帯を開いて出てみることにした。

「もしもし?」
「あ!・・・あの?・・すみませんが、その携帯は・・・?」

「落ちていたのを僕が今、拾ったんです。あっすみません、僕は会場のスタッフの者です。もしかして貴方は携帯を落とされた方ですか?」
「はい、そうです!よかったわ。拾っていただけて。今、気がついて友人の携帯から掛けているんです。」

「そうですか。それはよかったです。どうしますか?僕が届けにいきましょうか?」
「いいえ、今こっちはすごい人でごった返してるからわからないと思います。私が取りに戻りますけど、どこに行ったらいいですか?」

「会場になっていた広場でお待ちしています。」
「じゃ、すぐにそちらに向かいますね。では。」

インスはパタンと携帯を閉じた。

「よかったわ~。スタッフの人が拾ってくれていたわ!」

へギョンは携帯を閉じると安堵の声をあげた。

「本当にどうしようかと焦ったわ。はい、ありがとう。」
へギョンは借りていた携帯をソヨンに返した。

「さてと、これから取りに行ってくるけど、ラッキーをお願いするわ。」

ラッキーという名の犬を預かったソヨンが「先輩、早く戻ってきてくださいね。」と笑顔で言い、「あら、わかんないわよ。もしも、いい男だったらそのままどっかに行っちゃうかも!」と茶目っ気たっぷりにヘギョンは答えた。

ソヨンはいつも楽しいこの先輩が好きだった。
同じ学校で違う教科の先生をしていたが、職員室でも一番話ができる間柄だ。
キョンホの事故の時も、事実を知った周りが冷たくあしらっていくのを、一番親身になってくれてどれほど心強かったか・・・。
ソヨンは以前にもまして、へギョンには相談をしたりして頼っていたが、ひとつ言ってないことがあった。

そんなへギョンにとって、若いソヨンは妹のように思っていた。
・・・・若いのにも関わらず、夫の不倫やら離婚を経験したソヨン。彼女から色んな悩みを打ち明けられるたびに一緒になって悩んだりしてきたけど、ソヨンは若いもの、大丈夫よ。これから本当にいい人が現れるわ。・・・・・一通りのことしか言えないけど、あなたの幸せを心から願っているのよ。気分転換になればと今日連れてきたけど、どうだったかな・・・・


「あら!そんなことしたらギウンssiに言いますよ!」
ソヨンは本気ではないヘギョンの発言にあえて、ヘギョンの恋人の名前を出した。
「オモ!やめてよ。冗談だってば。それにそんないい男がいたんなら、とっくに気付いてるわよ。」
二人は向き合って笑った。

“じゃ、行ってくるから待っててね”と走り際に言葉を残して人ごみの中へ逆流していくヘギョンを見ながら、ソヨンはコンサート帰りの人の渦の中で立ち尽くしていた。

「凄い人ね。見ていると目が回りそうになるわ。」

ソヨンは大人しく座っているラッキーに声を掛けると、それに反応してラッキーもソヨンの顔を見上げていた。
そして人の波に呑まれて流されないようにとラッキーのリードをしっかり握り締めた。

ソヨンがゆっくり見上げた空が色鮮やかに移り変わっていく。
あまりの美しさに心が開放されていくのを感じながら輝き始めた一番星を見つけると、ソヨンの耳にはもう辺りの賑わいが聞こえなくなっていた。


4月の雪 33

2007年05月07日 23時56分06秒 | 創作話

      33 ~その先にあるもの~

次々と奏でられる音楽をインス自身も楽しみながら、手つきはパネル上でリズムよく照明をいじっていく。
・・・この分だと、最後まで順調にいくだろう・・・

ピアノの旋律が風に乗って遠くまで響き渡っていく。
明るかった空が、薄紫やオレンジ色に空のパレットに混ぜ合わせられるように染まり始めていった。
手元のパネルにも照明が落とされ始め、時間の経過を感じさせた。
観客たちはゆったりとリラックスして、寝転びながら聞く人、木々にもたれながら音楽に身を委ねる人、思い思いの姿を僕は捉えていった。

キムが僕の耳元で「・・もうすぐで終わりだな。時間通りだ。」と告げた時、僕の中で小さな波がたった。
「ああ・・最後の曲が始まったな。」
キムに返事をしたものの、僕は僕の内に立った波が次第に大きくうねり始めたことに神経を集中していた。

インスは気になって、もう一度辺りを見渡してみる。
あたりは老若男女の黒い山々ばかりで、特にこれといったものはない。
あの木にいる茶色い犬も大人しく座っている。

「・・・・・キム・・・あとを頼む。」
僕はそれだけ言うと、スタッフに指示を出すためのインカムを外し、パネルから離れた。


・・・間違えるわけはない。
僕の心臓が早鐘を打ち鳴らしていく。
目を凝らせば凝らすほどそれは現実で、そしてそれは確かに彼女だった。
間違いじゃない。

インスはいきなり降って沸いた出来事に信じられない面持ちで、目の前の真実を受け止めるしか出来ない。
彼女を捉えて逃がさないようにと視線を離さないインスに、まだ遠くにいるソヨンは気付かない。

「・・・ソヨンssi」
犬から近い場所に見覚えのある長い黒髪と、懐かしい横顔があった。
「ソヨンssi!?」・・・・本当に彼女なのか!?


ソヨンは音楽に聞き込んでいる様子だった。
心地いい音色の波間に揺られるように身を任せると、体中に澄んだ音が水のように染み込んでいく感じを覚えていた。
そしてそんな気分にさせてくれるこの瞬間が好きだと思った。
ソヨンは久し振りに深呼吸をした。
新鮮な新緑の香りと懐かしい夕刻の香りは懐かしく、気分を落ち着かせた。
そしてそれは体の中にある嫌なものを一層してくれそうな気がした。

・・・久し振りだわ。こんなにゆったりとした気持ちになれたのはいつからかしら?・・・
ソヨンは体重を名も知らない木に預け、瞳を空に泳がせると、色づいた雲がゆっくりと形を変えながら流れているのを見続けた。

・・・病院の屋上から見た空と似ている・・・
その美しい夕焼けの風景は今のソヨンには少し遠く思えてしまっていた。

・・・雲はいつまでも同じ形を保たない。あの雲がそのようにいつかは私も変わっていく日がくるかしら。すべてが上手くいくって希望をもってもいいの? いつかはあの人にも会えるときがくるの?・・・そんなときが本当にくるの?・・・・

ソヨンは願いを込めて、もう一度深呼吸をした。


僕がソヨンssiのところへ行くには観客を避けて遠回りしないといけなかった。
横切ろうにも、スタッフである僕は聴衆の邪魔をするわけにはいかない。

・・・大声で名前を呼べば聞こえるかも・・・
しかし、あと少しだ! あと少しで最後の曲が終わる!
だから、このまま歩いて彼女の元へ行くんだ!

僕の耳にはもう音楽が届かなかった。
歓声や拍手も、僕の名前を呼ぶスタッフの声も、段々とざわつき始めた声も・・。


そのまま歩き進んでいくと、僕は誰かにぶつかった。
「すみません。」
僕は少しだけ目線をその人に移して謝った。
するとまた、体に誰かが触れた。

一人、また一人とインスの前を後ろを人々が通り過ぎていく。
・・・!?・・・
それは次第に大きな黒い川となって流れ、時には渦を巻くような人込みとなっていった。

僕はコンサートが終わったことにようやく気付いた。
観客たちは思い思いに立ち上がると、すぐに帰り支度を始めたようだった。
それが大きな黒い川となって僕の周りを流れていた。
さっきまではっきり捉えていた君の姿が見知らぬ人たちに紛れ込んでしまって、見つけられなくなってしまっていた。

「ソヨンssi!!」

僕は声を上げた。
振り向いたのは数名いたが、届けたい人には届かない。

「すみません。通してください。」

人の波を横切って泳ぐように、僕の体は掻き分けながら進んでいく。
しかし思ったよりもこの川の流れは強くて、進めない。

「お願いです!通してください!!」

・・・くそっ!これじゃ進めない!!どこなんだ!?あの犬の近くにいたんだ!君の犬かもしれない!

目印になるはずの犬を探して目線を落としていった。
だが、そんな事をしても無駄だと諭されるようにあっという間に人垣は増えていき、僕は大きな川の中州で羽を休める渡り鳥のように取り残されてしまった。
「ソヨンssi!!!」
お願いだ!
僕の声に気付いてくれ!!

強く願って張り上げた声も、満悦した観客たちの感想にまぎれて込んでいく。
振り返った人たちの中に君が居ないか、瞬時に探す術が欲しい。

・・・また、見失ってしまうのか・・・

インスは自分でも解らないうちにがむしゃらになって彼女を探していた。
流れに対抗しながら進む様は思春期の少年の反抗心にも似て抑えることができなかった。

ようやく流れが緩やかになって目指していた向こう側へたどり着いた時にはあたりにソヨンの姿も犬の姿もなかった。
ぞろぞろと歩いている人々を見渡しても、あまりの多さにこの中からソヨンssiを見つけ出すことは奇跡に近い。
インスの顔が苦渋の表情になっていく。

「どうして・・・どうして、いつも届かないんだ!!」

インスは感情を吐き出すように声をあげると、悲しみとも怒りともつかない激情で側に立っている木にどんっと背中を預けた。

・・・・・・・・・
しばらくすると熱くなった頭も少しは冷え、あたりの声が静かになったことに僕はようやく気が付いた。
人の流れも途切れ始めている。
僕のいる場所からはキムのいるコントロールパネルも、片付けを始めだしたスタッフたちも見渡せるほどになっていた。

「・・君が来ていたなんて・・・。僕の仕事を知っていたよね?僕を探そうとは思わなかった?・・・まさか、ここにいるとは思わなかったんだろうな・・。」 
インスはステージに向けていた視線を外しながら、右の口角をあげた
「・・・僕が自惚れていたのかも・・・」
瞳は最後の観客たちの中を泳いでいく。


・・・会いたい・・・  
何度願っただろう。
夜ごと、君の抜け殻を抱いては浅い眠りにつく僕を知らないだろう?
夜とも朝ともつかない群青の時間を幾夜過ごしたか、君は知らないだろう?
僕の心ごと、持っていったままじゃないか・・・。
夢見る数だけ未来があるというなら、僕たちにもあると思っていた。
瞳を閉じて現れる君の笑顔、その先にあるものを信じたかった。
君は僕の大事な人。そう思っているのに・・。

届くと思っていたものが確かにあったのに、いくら手を伸ばしてもそれに触れることさえ叶わない。
インスは自分のいる場所を見失いそうだった。

「・・・僕はどこをみている・・どこに向かえばいいんだ」

インスは空を見上げた。
ソヨンを思うとき、インスはいつも空を見ていた。
空だけはどんなに二人が離れていても繋いでくれている。

ステージは終わってしまうと、乾いた静けさを漂わせていた。スタッフ各自の片付けが始まる。
照明はもう必要がなくなって色づいた光は消されていくのに、インスの頭上では夜への変身を遂げる空のショーが色鮮やかに行われ始まっていた。

4月の雪 32

2007年04月30日 11時31分19秒 | 創作話

            32 ~コンサート~


本番当日の朝が来た。
春の最中らしい煌めいた光が輝いた朝だった。
窓からカーテン越しに差し込んで5月の朝日がベッドの中のインスに優しく降り注いでいる。
それは少し疲れた顔に影を作らせていた。

インスは目覚ましの音とともに目を覚ますと、ゆっくり起き上がり小さな声で唸った。
そしていつもように熱いシャワーを浴び、コーヒーと簡単な朝食を済ませ、ベッドを整える。

窓を開けて外の空気思いっきり吸ってみた。
気持ちがいいな。
いつも本番の朝は天気が気になった。まして今回は野外だから、雨だったら中止もありかねない。

「ああ、いい天気だ。今日はいけるな」僕は眩しい青空を見上げて微笑んだ。

・・・さすがに大変だったな。少しきつかったが、それだけいい仕上がりになっただろう。
あとは観客の反応だけだ。

「この天気だと夕焼けも綺麗だろうな・・」コンサートの様子が僕の頭の中で出来上がっていく。
僕は少し楽しい気分になって、仕事に向かう支度を早々と済ませていった。


インスの車が定刻通りに野外会場に付くと、早速スタッフたちから救済の声が掛かった。
ソンギが情けない顔で「インス、トラブルなんだ!早く来てくれ!」と訴えた。
インスはSTAFFジャンパーを着る暇も与えられず「どうしたんだ?ちゃんと手筈はしただろ?」とソンギに引っ張られるように蠢くスタッフたちの中へ連れ去られていった。

照明監督が来たことで“トラブルも何とかなるぞ”と安堵の空気がその場に広がり包んでは、スタッフたちを心底ほっとさせた。
それは、まるでインスの人柄に触れたようだった。

ざわつきで始まった春の野外コンサートの準備は、インスの的確な指示によってトラブルも解決することができ、それからは問題なく進行していった。
肝心のコントロールパネルの設置についても、ステージの進行状況を見ながら照明の調節を進めていくために広場の右後方に偏って設置されることになった。
今回は野外なので観客たちは芝生の上に自由に座って楽しむことになる。
そのため、視界の妨げにならないようということからだった。

設置されたパネルからは、スタッフのいるステージも、色鮮やかな緑の絨毯も、新緑の香りを解き放つ木々も僕の目に飛び込んでくる。
なんて気持ちがいいんだろう・・・。
それらが心地よく響き渡ってくると、今回の仕事を請けてよかったと本当に思えた。
そして、僕は一つのフォトアルバムのように心の額に納めることにした。



刻々とコンサートの時間が迫ってきている。
同時に、観客もぞろぞろと増えてきて思い思いの場所を確保していった。
アジアン・ミュージアムというせいか、じっくり聞こうと寄り添いあう恋人たちや、家族連れ、気の合った友達同士という具合に落ち着いた感じにみんな治まっている。
中には犬のお客様もいる!
誰かが連れてきたんだろう・・・僕はそういう光景がなんだか嬉しくて思わず微笑んでしまった。

心地いい音楽に、僕たちが作り上げていく空間を楽しむ人々。
それは僕たちの喜びだったし、そんなことを肌で感じられるこの現場が僕は大好きだった。


「インス、パネルの調子はいいぞ。それにしてもお客の入りは思っていたよりすごくないか?」

コンサートが始まって、僕と同じ場所に着いたキムがあたりを見渡して言った。
確かに想像していた以上に観客は多いなと思っていたから「確かにすごいな。想像以上だよ。だが、お陰でやりがいがあるだろ?」とキムに言った。

観客の反応は正直だ。
開放された場所でのコンサートだから、観客はつまらなければいつでも帰ることが出来る。
勿論音楽に申し分はなかったから、あとはいかに僕たちが観客を酔わせるかだ。
それだけにSTAFF達も今回の仕事はやりがいを感じずにはいられなかった。

さあ、始めよう。
今は仕事を楽しもう。
少なくとも今日の仕事は僕たちを満足させてくれるはずだ。

僕はインカムを通して仲間たちに合言葉を伝えた。

「さあ、僕たちの出番だ。客の声を聞こう。光の囁きを聞き逃すな。そして楽しもう!」



4月の雪 31

2007年04月26日 10時22分30秒 | 創作話


31  ~残された記憶~


僕が選んだ仕事は5月に行われる春の野外コンサートというものだった。
今年は桜の開花時期が遅れていたために、まだところどころでは桜を見ることができる。
野外コンサートが行われる場所も、大きな公園の中にある広い芝生の広場に設置される予定で、あたりは桜を含め、木々が木立のようになっていた。
さすがに5月では散り行く桜を見ることはできないが、代わりに季節の変わり目を知らせる新緑が爽やかに目に映るだろう。

「これだけの広い場所だから、人もかなり来ると思います。そしたらこの設置でいけるか、どうか・・・。」

先ほどのヨンセが、スタッフを集めてテーブルの上に広げた配置図を見ながら「あたりに木々があるのもどうでしょうか?」自分の意見を述べた。

野外だと屋内の整備された会場とはわけが違って、場合により証明の色味から、光の強さまですべてがその時々で変わってくる。
ステージの設置場所などで決まるといってもおかしくはなかった。
特に今回のコンサートは3時ごろから6時ごろまでという、時間的に一番移り変わりの激しい時間帯だ。こうなると一番忙しくなるのは現場で指揮する立場にあるインスの他ならなかった。

みんなが・・どうしたものか・・と考えあぐねていると、落ち着いたインスの声が響く。

「みんな、聞いて欲しい。何でもそうだが、邪魔だと思えば邪魔になってしまうんだ。だが、それをチャンスかもしれないと考えたらどうだろう?逆境は発想の転換のチャンスだ。ヨンセ、生かすことを考えろ。どうしたら出来る?」

インスはヨンセに指示するのではなく、自分から見出すことをわかってほしいと考える時間を与えた。そしてヨンセは答えた。

「この木々をステージの一部としたらどうでしょうか?舞台設置をこちらに変えて・・」ヨンセの指が配置図の上を泳いだ。
「それがいいと僕も思うよ。そしたら照明も間接的に緑に反映することで柔らかい雰囲気ができるだろう。それに今回の音楽はアジアン・ミュージアムだ。楽器演奏が多い。リラクゼーションの雰囲気作りが大切になってくる。なおさら照明における役割は大きいぞ。」

みんなの気持ちが締まっていくのを感じながら、インスの目が一人一人に話しかけていた。
そして各自の役割とスケジュールが細かく組まれていくと、インスのスケジュール帳は書き込む所がなくなるほど埋め尽くされていった。

・・・これでいい・・・空白なんかはいらない。

インスは満足気に手帳を閉じると小さな溜め息を吐いて腕時計を見た。
針は12時を過ぎたところを差している。

「まだ、12時過ぎか・・」

どうすればもっと時間が早く過ぎるのか、インスは考えているとスタッフのソンギが「インス!昼飯の時間だ!どうする?」と声を掛けてきた。
僕は気分転換を図りたくて「そうだな・・みんなで食べに行こう」とスタッフたちがお気に入りのチゲの店に食べに行くことを提案していた。


それからの数日いうもの、コンサートの準備は着々進められ、元々受けてあった仕事も同時に消化するという過多な毎日をインスは送っていた。
帰宅が夜中の1時や2時になることもざらだった。
早く帰ったところでどうしようもない。
インスは自分から雑用をも引き受けたりして、スタッフの戸惑いを無視していった。

マンションにはただ寝に帰るという状態が続く。
疲れがかなりたまったなと感じる日も多くなってきていた。
そんな日は帰宅とともにベッドに入ると、体が沈み込んで落ちていく感覚に身を任せながら何も考えず眠りにつくことができた。

だけど、そんな日々の中で思考力を奪われる日ばかりではなかった。
体はすごく疲れているのに、かえって頭の中は余計なものが剥ぎ落とされて鮮明に浮かび上がってくる。
そして、最後に残された記憶。

そんなときは少し辛い。
どうしても記憶の中のソヨンssiを探す自分がいるから。
最初の頃は何とか感情をコントロールしようと僕は頑張ることができた。でも・・・。

まだ消えた彼女のことが自分の中で整理がおぼつかない。
ただこの手に残った僕の思いをどうするかも決められなくて握り締めるだけの毎日を過ごしていた。
そして、脳裏にある君の声に振り向いてしまう自分がいる。

僕は疲れた体をベッドに横たえるとゆっくりと瞳を閉じた。
瞼の裏で僕の知っている数少ない君の顔が浮かんでは消え、また浮かぶ。

・・・君が困った顔をしている。
僕があなたを掴まえた時だ。脅かしてしまったかい?

・・・笑っているの?
そんなに僕の話が可笑しかった?楽しそうに笑う君は可愛いよ。

・・・泣いている顔はみたくない。
・・・胸が痛くなるよ・・・

僕たちが愛を確かめ合ったとき、すべてを僕に委ねた君・・・
・・・・・・・・・

胸の内が沸き返りそうになっていく。
その鼓動を確かめるように、僕は胸に手を当てた。

「君を愛する心がこんなにも温かいのにどうして忘れられるというんだ?」

インスは閉じた瞳をさらにぎゅっと閉じた。

「このまま・・彼女のことを思い出として、僕は超えていけるのか・・」

インスの問いかけは寂しく部屋に響くだけで、返事は返ってこなかった。
夜を待ち伏せしている空間の歪にそんな独り言が吸い込まれていた。

そして、今夜も音を忍ばせてインスの元へやってくる。
記憶に縛りつけられる夜がそこまで来ていた。


4月の雪 30

2007年04月19日 09時20分09秒 | 創作話

       30 ~水底~


目が覚めると、映し出されたのは薄暗い天井だった。
・・・・・ああ・・・あのまま眠ってしまったんだっけ・・・・・
ベッドの上から部屋を見渡すとテーブルに空のビンが転がっているのが見えた。
部屋全体が薄暗い。
・・・朝じゃ・・・ないのか・・?
インスは手で目を覆いながら小さな息を吐いた。

暫くして体をベッドから起こすと微かな思考力で朝だということはわかった。
立ち上がってカーテンを開けると外は雨が朝から降っていたらしく、道や建物すべてを濡らしている様子でかなり早くから降っていたことがわかった。

「・・・雨か。」
・・・昨日はあんなに天気だったのに・・・

インスはずしんと水底に落ち込むような孤独な気持ちになった。

腕時計を見ると10時30分を過ぎていた。
・・・ああ・・仕事に遅れたな・・

二日酔いではないが、頭が芯からすっきりしないインスはシャワーを浴びることにした。
インスは無造作に衣服を脱ぎ捨てると、頭から熱めのシャワーを勢いよく浴びせた。
体に伝うお湯とは裏腹に、インスの逞しい胸の中には誰も知らない淋しさが流れている。
それは体も心も冷たく凍りつかせそうとしていた。

それから着替えを済ませると簡単に部屋を片付けはじめた。
男の一人暮らしはよく汚いと言われるが、インスは結婚した時から掃除や料理など、何でも積極的にやっていたので部屋の中はいつも綺麗だった。

-----人として暮らしていくことは、男であれ女であれ一緒だろ?それにお互い仕事を持っているんだ、一緒に生活のことはやっていこう。------

それはインスがスジンにいつも言っていたことで、またそれがインスの考え方でもあった。
といっても神経質というわけではなかったから、手抜きも上手にこなしていたし、生活を楽しむ余裕というものを持ち合わせていた。
そんな風に長く身についた仕草で部屋を片付け終わると、いつものように仕事に出掛ける支度をすませ、最後に車のキーを手にするとインスは部屋を出て行った。



「遅かったじゃないか!どうかしたのか?」

めったと仕事に遅れないインスが連絡無しに出社しないとあって、オフィスの仲間が心配していたところだった。
インスはいつもの笑顔で、「遅れてすまない。別になんでもないんだ。」と、みんなに遅れてきた挨拶を簡単にすませた。
どことなくインスの態度がおかしいと感じつつも、スタッフたちはそれ以上聞くのはよした方がいいと空気を察していた。
そんなスタッフの視線を感じつつ、インスは遅れた訳を話すことなくデスクに着席した。
インスのデスクの上はこざっぱりと整頓されて、いつも山のようにある指示書やライティング設計や仕事の依頼書がなかった。
それは昨日のために時間を作ろうと仕事をこなしたインスが、疲れと戦った証拠でもあった。

「ヨンセ、この間言っていた例のコンサートの件、まだ残っているか?」
「ああ、あの屋外の?あるけど・・。」
「もう一度見せてくれ。」
「スケジュールの都合であれ断るって、インス言ってなかったか?」

ヨンセは通らなかった依頼や企画書を溜めておくケースの中から、まだ上の方に収められた依頼書を取り出した。
ヨンセが差し出すとインスは返事をせずにそれを手にし、暫く目を通したあと言った。

「これ、やるぞ。」
「ええ!?インス、今月は立て込んでいて無理だって言ってたじゃないか。」

インスが賞を取ってからというもの、ひっきりなしに依頼が途絶えなかった。
芸能関係に限らず、大手のショッピングモールや美術館、個人宅までも建築関係から声が掛かる始末だ。
嬉しいことだが、中途半端を嫌うインスは自分が責任持ってやり遂げられる仕事しか選んでこなかった。だから、今回の屋外コンサートも時間的には無理だとの判断で断ったものだった。

「大丈夫だ。なんとしてもやり遂げて見せる。」
・・・徹夜でも何でもしてやるさ・・・

いつもと違う様子のインスにヨンセは戸惑ったが、彼が出来るというのだから、きっと出来るんだろうな・・・と納得していた。
「じゃあ、インス、早速手配準備をするよ。」
「ああ、頼む。」

・・・さあ、頭を仕事に切り替えよう。仕事してれば考えなくて済む。


4月の雪 29 -新章-

2007年04月14日 23時15分53秒 | 創作話
        

              新章

            29 ~どこへ~


ゆっくりと歩み寄るその足は一歩、また一歩と目的に向かって進んでいた。
それは遠い昔、置いてきた初恋の人にやっと会いにいけるという気持ちにも似ていた。
気持ちのいい春風に導かれるように、その愛しき場所へとインスの体は軽く押し出されていった。

ソヨンssiが住んでいる家。・・・
僕の知らない、あなたとキョンホssiの歴史がある家・・に僕はやってきた。
今は、あなた一人の・・・。

歩きながら見渡していくと、そこは住宅街でもせわしくなく程よい距離を保ちながら家が建っている。
新興住宅ばかりだが、最初からこのあたりの自然を活かそうというコンセプトの元で建てたのだろう。自然と共有する空間を知っている建て方だった。

・・・ここはきっとあなたが選んだんだろうな・・・・。
不思議とそんな気がしていた。
最初はもっと都会に住んでいると思っていた。
ソウルに近いとなぜか勝手に思い込んだりして、僕の都合のいいようにあなたを側に置いていた
だが、ここは・・・見渡してみるとあなたらしい気がしてくる。
瞳に飛び込む自然は優しくて、海の水平線はぼんやりと揺らめいて見えた。
とても穏やかで、いい場所だ・・・君がここで笑って、過ごしている姿が想像できるよ。


インスは辺りを見渡しながら、ようやく待ち望んだ場所に着くと一呼吸をいれた。
そして、インスの長い指がベルを押した。
それは未来への扉を開くベル。
海風が潮の香りをインスの鼻先にまで届けてくる。
くんっと香りを吸うと、もう一度ベルを鳴らした。

・・・返事がない。留守かな?・・・
やっぱり、ちゃんと連絡しとくべきだったのかな? いきなり行ってあなたの驚く顔が見たかったんだけど・・・。

インスは、ひょっこりとソヨンが現れる様子を期待して辺りを見回してみたが、それは一向に叶わなかった。
暫く様子を見てみたが、痺れを切らしたかのようにインスは紙に書かれた電話番号に携帯でかけてみることにした。
目の前の扉は堅く閉ざしている。
インスはその向こう側へ繋がっている喜びを味わいながら心地いい呼び出し音に耳をかたむけていた。

・・・ソヨンssiは昼寝中かい? そしたらこれで気がつくだろう。・・・2回・・3回・・4回・・・・・
今、家の中で鳴り響いているはずだ。 ・・7回・・8回・・9回・・・

中々出ない様子にインスは連絡して来なかったことを後悔し始めていた。
・・・ソヨンssi、早く気がついてほしいよ・・・

主のいない家がインスを見下ろしている。
先ほどまでインスの胸に淡い喜びが通っていたのに、今はどこかに追いやったはずの不安を引っ張り出さなくてはいけなくなっていた。

・・・留守という感じじゃない・・・・ソヨンssi・・・?・・・ここにはいない?
インスの顔が初めて曇って「・・ソヨンssi・・」と切ない声を出させた。

いつまでもあなたに繋がらない。 繋がらない訳を僕は知らなくてはならない。
インスは携帯を閉じると、少し距離を開けて隣接している家の住人に聞いてみることにした。

その人は、あなたが最近一人で引越しをしたと教えてくれた。
「・・ここの夫婦、仲は良かったんだけど、離婚しちゃったからねぇ・・・・」とそこまで言うと、僕をじろじろ見始めた。
“あんたが原因?” その人の目がそう言っていた。

僕は教えてくれたことに感謝を述べると、「引越し先はわからないからね!」と言い放ったその人は玄関の扉をばたん!と閉めた。
取り残されたインスは一気に冷め切った場の空気から出ていくしかなかった。

インスは住所が書かれた紙をくしゃくしゃにしてポケットへ押し込み、抜け殻の家の前で大きな肩を上下させ、落胆のため息を吐いた。
そして坂を下りていく。

「振り出しか・・・」
力のない言葉がどこからともなく出てしまう。
そして僕は、あなたの遠い背中をずっと見つめている。

・・・今、あなたはどこを見ているの・・・その先に望むものが僕と一緒じゃないのか?・・・

そう願わずにいられない思いを一人抱えながら、もう一度、抜け殻の家へ振り返ってみる。
空しさを溜め込んで乗り込んだ車のエンジン音は、来た時よりも重たく、長く響いていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

僕が雑誌を送ったのが10日前。ソヨンが引越しを済ませたのが3日前。
・・・もう少し早く行ってれば・・・・
今更悔やんでも、もう遅いことはわかっている。
だが、僕が送ったメッセージはあなたに伝わっているはずだ。 
なのに、彼女は姿を消した。
一週間の間に何か起きたんだろうか?・・・
僕が最近、離婚したこともあの記事は触れている。
だから、あなたにはわかったはずなのに・・・
待ってくれていると思ったのは僕の自惚れだったのか?
「・・・どうしてだ・・ソヨンssi・・教えてくれ・・・」


受賞後、忙しさが増していたがこの日のために時間を調節しようとインスは頑張ってきたのに、ぽつんと空いてしまった心と時間をどう過ごしたらいいのか、インスはソウルの自宅で頭を抱えていた。

・・・仕事しか・・ないかな・・・
・・・暫くはどんなに忙しくてもこなせそうだ・・・なんでもいいよ。僕に考える暇を与えないものなら・・・

ソヨンの手掛かりをまったく失ってしまったインス。
今はどうすることも出来ず、何もする気が起きず、ソファに深く沈みこみながら時間を持て余していた。
それでもどうしてもソヨンを思い出してしまうインスは、テーブルに置かれた酒のグラスを一気に空ける。
普段は酒をゆっくりたしなむ程度のインスも、今夜ばかりは急ピッチで空のボトルが3本転がっていた。それでも、思うように酔えない。

「ソヨンssi・・・ソヨン・・・会いたくないの?・・こんなに・・・・僕は会いたいのに・・・」
酔えなくても酒の力で心のがたが外れて、何度も彼女の名前を口に出してしまう。

疲れがどっと波のように押し寄せて、インスの体は闇へと引きずり込まれようとしていた。
インスは飲みかけのグラスをそのままにすると、ベッドへと体を引きずるようになだれ込んだ。
ようやくアルコールが急速に回りだして思考が停止すると、インスは着替えることも、眼鏡も外すこともなく、ただ静かにそのまま深い眠りに落ちていった。



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大阪のBOFは今日、グランドOPENしましたね。
せっかく大阪にいるのに、行けないなんて~~
写真も見たいし、ヨンジュン愛飲のコピも飲みたい~
いいさ、いいさ、今日がダメでも、いつか絶対に行く

さて、4雪ですが、新章が始まりました。
のっけから暗くてすみません(笑)
またしばらくインスが続きますが、お付き合いくださると嬉しいです

4月の雪 28

2007年03月24日 02時11分48秒 | 創作話



              28 ~春の雪~


寒さも随分和らいで、桜の花が膨らみ始め、所々開花しだしたとラジオのニュースでアナウンサーが意気揚々と誰かと話している。
春の陽気らしい気持ちのいい休日。 
海と山の景色を両側に楽しみながら、・・こんな日は家族がいるとピクニックに行くんだろうか?・・
と、インスはそんなことを考えながら車を走らせ、また数週間前のことを思い出し始めていた。


あれから役所での手続きを済ませ、僕がマンションを出ることになった。スジンがそのまま残る形となったが、いつまでもあそこにいるとは思えない。

・・・とにかく、早急に住む所を探さなくては・・・

僕はキムに事情を話し、彼の協力で何とかオフィスの近くでマンションを見つけることができた。

「キム、そのうち存分に奢らせてもらうよ。」

「当たり前だ!お前がいない間、俺がどれだけ頑張ったと思うんだ?あげくにおれの結婚の夢にひびを入れやがって。」

辛らつな言葉の中にキムらしい軽い口調が僕を救ってくれる。

「それは、すまなかったな。」

「すまない?はあ~俺はこれから運命の女性とめぐり合って素晴らしい結婚生活が俺を待っていると期待に胸を膨らませている所に、お前が離婚だなんてな・・。これが理想と現実ってやつか?・・」

・・・おい・・キム、いい加減にしろよ・・・

「まあ、仕方がないよな。人生いろいろってやつだ。それにハンサムな奴ばかりがいい思いしてたんじゃ俺の人生は終わりだ。きっと、世の中は公平に出来てるのさ。」
そういってキムは悪ぶることなく、笑っていた。

「・・キム、お前はきっと大丈夫だよ。僕が保障するよ!」
僕はキムの背中をバシッと叩くと、“説得力に欠けるぞ・・・インス”とキムが言った。
僕らは声を出して笑った。まるで僕が抱えた翳を、さあ!吹き飛ばせ!と言わんばかりにキムが大声で笑う。
・・ありがとう・・キム・・。


そんないろんな事がこの数週間にあったが、僕は今まで溜めていた仕事に集中しなくてはいけなかった。
お陰で仕事は順調すぎるくらい上手く運んでいて、これはキムによる手腕のお陰でもあったが・・。
・・・ほんとにお前に感謝しなくちゃな・・・

目を見張るほどの忙しさは僕に寂しさも痛みも感じさせないほどで、それがどれほど僕を救ってくれていたか・・・。


そんな折、僕はある雑誌社の取材を受けた。
2月のコンサートでの照明の構成が評価されて、ある賞を与えられたからだ。
業界の人間しか知らないような、目立ったものではないが、それでも僕のような裏方の人間や建築関係やデザイン関係の人間が対象にされたものだった。

この業界でその賞をもらえるということは、構成力や感性、将来性が認められてハクがつく。
それは、さらに大きな仕事が与えられることを意味していた。
僕は素直に喜んだし、本当に嬉しかった。
その数ある文化人たちの中で、さらに僕はその年の最優秀賞を与えられた。
これにはさすがに驚いた!
他の業界人に比べると僕らの仕事は地味にすぎない。たかが照明だが、その色、使い方で空気が変わっていく。僕の手で空間を変えていくことができる。そんな空間が一人の人生を変えることだってあるし、ドラマが生み出されていくんだ。そんな魅力に捕らわれて始めた仕事で、受賞できたことを誇りに思わずにいられなかった。

受賞した日はオフィスの仲間たちと一緒に祝杯を上げ、みんなに感謝をし、朝まで飲み続けた。
男だらけの職場において色気もないが、うれし泣きする奴、熱く語る奴、みんなそれぞれに受賞した喜びを分かち合っていた。
お酒に関しては、僕は程ほどにしておいたが・・・何より仲間たちが喜んでくれたことに心底うれしかったんだ。


その雑誌は2ページだけだが、僕を取材した記事が載っている。
『特集 色の魔術における空間の仕掛け人   照明技師 チェ・インス』

・・・・大げさだよ・・・・

照れくさかったが、この喜びを一緒に感じて欲しくて、ソヨンssiにその雑誌を送ることにした。
送ることに躊躇しなかったのは別れ際のスジンの一言があったからだ。

「彼女・・ソヨンssiは今一人で暮らしてるようよ。私とキョンホssiが仕事で知り合ったって言ったでしょ。ご丁寧に共通の友人が面白がって教えてくれるのよ。私にはどうでもいい事だけど・・。」
君はそういうと、僕に背中を向けて窓から見える景色をじっと見ていたね。・・・ありがとう・・スジン・・・・

ソヨンssiの住所は病院で簡単に聞くことができた。
向こうも僕のことを覚えていたらしく・・・いろんな事情があるわね・・・と言わんばかりの表情を見せ、勝手に納得したようだった。

きっと、君はびっくりしたことだろう。多分、普段は目にすることがない雑誌がいきなり送られてくるんだ。それも送り主は僕なんだから・・。
でも、それは僕からのメッセージでもあった。

<・・ソヨンssi そこにいて欲しい。 必ずあなたを迎えに行きます。・・>

・・・・あなたの心に届いただろうか・・・・


インスは車のアクセルを無意識に踏み込んで、スピードを上げていった。
逸る気持ちを抑えながら、車を書かれた住所の所に向かわせるときの気持ちはなんと言ったらいいんだろう! この日をどれほど待ちわびたか・・・。

インスは海岸沿いの道路を気持ちよく走っていたが、地図に記された目印を見つけると山側に左折して住宅街へと車を進めていった。
少しなだらかな坂の上にあまり密集していない家が何軒かあった。そこは穏やかな所だった。
住宅の手前には猫の額ほどの公園らしきものがあり、僕はその手前に車を止めるとサイドブレーキを引いた。
休日のせいか、ほとんど人がいない静けさだ。

インスが車から降りると、柔らかい風にふわっと包まれて幸せな気分になっていく。公園からは海が見えてきらきらと海面が光り輝き、インスの眼鏡の向こうの眼差しも優しく光り輝いていた。

・・どこかで桜が咲いているんだろう。 淡い花びらがはらはら舞い降りてきた。
僕は手ですっと掴むと、飛ばされないようにゆっくりと指を開いていく。
それは確かにある。

インスは融けない春の雪を観賞し終わると、花びらが空高く舞い上がるように、ふっと少し長い息を吹きかける。
・・・もういいんだ・・・
「僕の手が掴むのは、花びらじゃない。」

海の色よりも薄い青空に淡い桜色の雪が風に乗って舞い踊り始めていく。
インスはその美しい光景に引き込まれそうになりながら、愛しさを胸に抱いて向かうべき場所へと歩みだして行った。



次回は~新章・29~です。

4月の雪 27

2007年03月18日 16時32分34秒 | 創作話







27 ~雪解け~


あれからスジンは口数がめっきり減って、二人の会話も乏しくなっていってしまうことは仕方がなかった。僕たちの距離と溝は、さらに遠く深いものへと向かっていくばかりだ。それでも僕は毎日通い、スジンへの看病は欠かさなかった。
彼女は黙って僕の言うとおりにしたし、それがかえって胸を痛めたが、この痛みは僕が抱えていかなくてはいけないものだともわかっていた。

・・・夫としての誠意からか?・・・

それもあったが、こんな状態のまま夫婦を終わりにするのは良くないと思ったからだ。
君が僕を傷つけて気が済むなら、それでもかまわないよ。僕は逃げないから・・・。
だからスジン、ちゃんと僕たちは向き合おう・・・。


あれからソヨンssiへの連絡は、携帯が壊れてメモリーが引き出せなかったために音信不通だ。
連絡先を調べることも出来たかもしれないが、今はそうすることよりスジンと話すことの方が大切だと思う僕を理解してくれるだろうか?

そんなとき、どこからそんな話が出たのかわからないが、風の便りであなたが彼と離婚したことが僕の耳にも届いた。
僕は驚かなかった。

何度か、君を忘れようと思ったこともあるよ。でも・・覚えているんだ・・心が・・。それを消し去ることだけはどうしても叶わなかった。離れていても、こうやって瞳を閉じればあなたの表情も温もりも思い起こすことが出来る。
その度に僕は少し幸せになる。
ソヨン・・感じているかい?・・・僕たちは求め合っていることを・・・。


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そんな日々が過ぎて、スジンが退院した。
それからというもの、僕たちは以前とまるで変わらないように仕事も生活も繰り返す日々を送ったが、ひとつ違ったのはもう“夫婦”ではなくなっていたことだ。 
紙切れだけの夫婦。 
この生活に虚しさを感じながらも耐えられたのは、ソヨンssi・・・あなたのためだった・・。

あのメールから君の心が伝わった時・・・僕は必ずあなたの元へ行くと決めた。
あんな辛い決断をひとりでさせてしまった僕を許して欲しい・・・・。 
あなたの気持ちを無駄にしないためにも、僕はスジンときっちり終わらせなくてはいけないと思っている。そのことをきっと君はわかってくれると僕は信じているから・・・。


そんな気持ちでスジンと向き合う日々は決して心が解けるときではなかった。
朝、目覚めては横で眠っているスジンの顔や温もりが、近くだが遠くだったこと。
退院してからも一応夫婦としての生活を送りつつ、他人として過ごす妻の姿。
それを受け止めつつ、彼女が自分と向き合える時間を僕は待っていた。

「あなたたち2人が一緒になって幸せになれると思っているの?」

ある日の夜、冷たい静寂を切り裂くようにスジンが言い放つ。
それまでお互いそれぞれの時間を過ごすことで、その夜を乗り気ろうとしていたときだった。
僕は彼女の顔をゆっくりと捉えたあと、自我の旅に出る。


幸せになれる?

・・・・・彼女と幸せになりたい 。なろうと努力したいんだ。・・・・・

ずっと、一緒にいたいから・・・?

・・・・・一緒に時間を刻んでいく時に側にいるのが彼女だったらと思う ・・・・・

守りたいのか?

・・・・・守ってあげたい・・・・・

理由はどこにある?

・・・・・ないよ。ただ、そこに愛があるから・・・。僕が愛しているから・・・・・

ただそれだけだよ・・・・

それだけでは、だめなのか・・・?


インスの眼に悲哀の色が深く漂うのを見て取ると、スジンは次の言葉を失っていった。


緩やかで穏やかな川はいつでも同じで、あの向こう岸にはいつでも一緒に渡りきれると思っていたわ。
歩いて渡ろうか。 それとも泳いで渡ろうか。
そんな余裕が楽しめるほど・・・。
どんなときも、私が何をしても当たり前にいると思っていた存在の人がインス・・あなただったのよ。
だから、自分から手を離したときもそんなに慌てはしなかった。
“きっと、大丈夫よ。あなたはそこにいるわ”って・・・・

穏やかな川は足を踏み込むと以外に深かったわ。
・・・溺れるのかしら!・・・ 
その恐れと高揚感に溺れたのは私の方だった。
そして気がついて戻った場所にはあなたがいなかった・・。あなたはずっと同じ場所にいたのに、私だけが遠い場所へと来てしまっていたの。

過ぎてみなければわからないことがあるわ・・。
失って初めて気付く大切なもの。
もう・・・本当に、戻れないのね・・・。


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そんな生活を虚しく思っていたのはスジンも同じだったんだろう。
彼女の口から“離婚したい”と言ってきた。
僕からも一度は口にした言葉だった。

「インス、もうよくわかったわ・・・。あなたの中に私はもう居ないのね。少しは愛情を持ってくれているんだろうけど、溝を埋めれるほどではないわね。 悔しくて、寂しくて、恐くて・・・あなたにすがりつくような真似をしたけど、ごめんなさい・・。元はといえば私の方からあなたの手を離したんですもの。あなたに非はないわ。」
目を落としながら話す君の手が祈るような形を作っている。
「スジン・・・」

「気持ちの整理がつくまで側にいてくれてありがとう・・・。最後まで優しくしてくれて・・ありがとう・・。」
君の表情はとても穏やかで、きれいになっていた。 あの出会った頃のように・・・・。

「インス、私は、もう大丈夫よ。」
「・・あの頃の君に戻れてよかったよ、スジン・・。」

雪の塊が少しずつ春の日にさらされて解けていくように僕たちは冬を越え、別々の春の日を迎え歩き始めていこうとしている。

そして数日後、僕たちは正式に離婚手続きを行った。