36 ~一人暮らし~
アパートに帰り着いたときにはもう真っ暗で、へギョン先輩とギウンssiに送ってもらってよかったとソヨンは思いながら鍵を開けた。
暗い部屋に電気をつけると、こぢんまりとした自分だけの空間が現れた。
ソヨンは一人暮らしを始めて気付いたことがあった。
それは淋しくないということ。
離婚して一人で暮らすことの淋しさを覚悟していたはずなのに、本当の淋しさはそこにはなく、あったのは開放感にも似たものだった。
むしろ、それまでの自分と言うものがどこまで自分だったのか・・・そのことに気付いたときがいちばん寂しかった。
・・・結婚していても、私ひとりだったのかもね。
キョンホがいたときは部屋に彼の物が溢れていて、どこをみても幸せな夫婦の家。
でも、主は留守が多くてあまり家にいなかった。
それはどこまでが仕事で、どこからスジンssiとの時間だったのかわからない。
愛していたはず・・・愛されていたはず・・・どこまでが真実で、どこから誤魔化しなのかわからない。
気付かないうちにそのことに慣れている自分がいた。
そのことに気付くのが別れてからというのもなんだか滑稽だ、とソヨンは思った。
「先輩は幸せだわ。あんなに優しいギウンssiが側にいるもの。」
コンサートの帰りを思い出しながら、ソヨンは腰を落とすと壁にもたれた。
大勢の人ごみの中、へギョンの帰りを待つこと数十分。
ラッキーが吠えたので、ようやく戻ってきたへギョンを見つけることができた。
「先輩、遅いから本当にどこかへ行ったのかと思ったわ。」
「ごめんね!だって、本当にいい男だったのよ!ちょっと、ときめいたわ!」
・・もう、この人は・・・と思いながら、ソヨンが笑っていると、「私としたことが見落としていたわ。でも、約束はしてきたから!」と言ったヘギョンの顔が少し意気込んでることに気がついた。
「約束って?」
「今度会ったら、お茶しましょうって誘ったのよ♪あっ、でもこれはギウンssiには内緒ね。」
いきなり会ってそんな約束をしてしまうヘギョンのノリを‘らしい’と思いつつ半ば呆れ、ギウンssiが可哀想だと思った。
「といっても、縁があればだけどね。まあ、そんな顔しないで。私が愛しているのはギウンssiだけよ。私はあなたのために言っただけだから。」
・・・私のためって、会ったこともない人とお茶をするのが私のためだと言うの?・・・
「ソヨンもそろそろ新しい恋愛してみたら?過去のことより、今よ。さっきの彼、すごく感じよかったのよ。そしたら、とっさにあなたの顔が思い浮かんだってわけ。」
まばらになった人たちとぞろぞろ歩きながら話していると戻ってきたばかりのヘギョンの携帯が鳴った。
「これから迎えに行く」というギウンからだった。
「過去のことより今が大事・・」と先輩は言った。
確かにそうだと私も思う。
でも先輩、インスssiのことは過去じゃない。
あれから、ずっと私の心を占めている人。
私を奪っていった人よ。
インスssiが離婚したことを知ったときは、彼の決意が・・・思いが・・・この胸に突き刺さりそうだった。
私を諦めないで探してくれていたことを、彼の本は教えてくれた。
嬉しくて・・・本当に嬉しくて・・・。
あの人が写っていたあのページを何度も読み返しては、この指で彼に触れてみる。
冷たい紙を通して、覚えているぬくもりを呼び起こす。
「その夜は眠れなかったのよ・・先輩。 “今、この瞬間、私を思ってくれている” 繋がった心が歓喜の声をあげ続けた夜を忘れられるわけがないの。」
インスssiのことを知らない先輩が私に一度、そのスタッフの人とお茶でもしたらとやたらに勧めている。
・・・あの人のことを話そうかしら・・・。そんなふうに考えていたら、「ああ!私ったら名前を聞くのを忘れたわ!もうドジ!!」と先輩は自分の頭を右手で抱えた。
「その人とのお茶はなしですね・・・先輩。」
笑いながら言ったけど、少し安堵した自分を感じていた。
・・・恋なんて、そんなたやすくできるものじゃないもの。
へギョン先輩と休日に会う時は、必ずギウンssiにも会った。
二人とも私にとても優しかった。
私にとっても楽しい時間が過ごせる数少ない人たち。
恋人だから勿論だけど、本当に仲のいい二人で、結婚も真近じゃないかしら?
今夜も3人の馴染みのレストランで夕食を済ませると、帰りはいつものように私をアパートまで送ってくれた。
そして私がギウンssiの車から降りると、へギョン先輩が助手席の窓を開けて聞いてきた。
「ねえ、もう、あれから連絡はない?大丈夫?もしなんかあったら相談してね。」
「ええ、大丈夫です。先輩もギウンssiもおやすみなさい。」
手を振りながら走り去るギウンssiの車を見送ると、ソヨンはアパートの階段を登っていった。
引っ越して、ようやく落ち着いた場所。
あの頃住んでいたあの家のように、海も緑もここにないけど、それでも私だけの大切な空間・・。
ソヨンが玄関を開けて、暗い部屋に電気をつけると部屋の真ん中に置かれたテーブルが目に入る。
その上に何度も読まれただろう、ある雑誌が置かれていた。
イヤードッグに触れると、見たいページがすぐに現れるようになっている。
ソヨンが何度も触れているページ。
送られてから何度めくったか分からないほどそのページは、いつでも笑顔で溢れていた。
ようやく落ち着いたソヨンが今夜も雑誌に手を伸ばしたとき、バッグの中の携帯電話が鳴った。
ソヨンの体が固まった。
開かれたページにはインスが笑っていた。