昼の12時まで後・・・・15分。
焼けそうな肺をものともせず、ジャギは人波を走りまくった。
こんな時に自分の”能力”はなんの役にも立たない。それが悔しかった。
それよりも今頭の中を締めている事は唯一つ。
「マリエル・・・どうして・・・!」
そう、どうしてあの屋敷から逃げ出したのか解らない。いや、それは何か理由があったのかもしれない。
でも・・・ならどうして・・・・
「なんでおれに一言いわねぇんだよ!」
ジャギは走りながら怒っていた。
「マリエルお嬢様に何かあれば死んでもらう」
ぼそり、と耳元で聞こえた声に反射的に拳をぶちこみそうになる。
真後ろには、あの老執事が屋敷の精鋭を連れて迫ってきているのだ。
「うっせぇじじぃ!何かなんて起こさせやしねぇよ!!!」
少し危険かとも思ったが、エーテルを足に集め加速を開始した。
「閣下、良い腕ですが模範的すぎます」
左のボディブローを叩き込んだ姿勢のまま、相手の耳に囁く。
「・・・・・・ぐっ・・・・・」
彼の・・・アリアルの剣ははっきりいって素晴らしかった。まったくブレない剣筋、打ち込む姿勢。体重の移動。全てが完璧だった。
まっとうな騎士であれば、あの剣はまず避けることができないだろう。
しかし、それだけに・・・・
「実戦や乱戦で戦ってきた人間には、通用しません」
「・・・・んむぅ・・・・」
腹を押さえて崩れ落ちるアリアル。もちろん、さっき叩き込んだボディブローはただのパンチでは無い。
”森羅万象”で拳が接触した瞬間にアリアルの体内に多く展開している”水”をイジった。
少なくとも30分は立てないだろう。
「貴様・・・こんな事をして・・・ただで済むと・・」
もうすでに立ち去りかけていた海猿は一度だけ振り返り
「貴族・・・しかも国家のTOP集団にいる貴族の頭首を殴ったのですからただでは済まないでしょう。でも・・・それでも軍曹の方が怖いって事です」
と言って、走り出した。
ジャギは適当に走っていた訳では無い。
かと言って、マリエルの行き先に心当たりがある訳でも無い。
なら、する事は一つ。
「あああああ!解ってたけど人込みすぎてわけわかんねええええええええ!!!」
人通りの多い、どこに行くのにも便利な道を徹底して探す。
これしかなかった。
難しい事だ。こんな人込みの中、子供1人を探し出すなんて。
一つだけ有利な事は・・・それは、マリエルが”目立つ”事にある。
マリエルの服はいつもパジャマだ。昨日も今日も特別な用があったわけでは無い。
そして、マリエルの部屋にはクローゼットが無い。なら、あのままの服装で出歩いているはずなのだ。
なら目立つ。どんなに最近のファッションが訳わからなくなっていようとも、パジャマの子供が走っていればめちゃくちゃ目立つ・・・はずだ!
中心街の更に中心、すでに車のロータリーでしかないようなその場所で、路地裏にするりと消えた白い何かが目に入る。
ジャギはそれを直感でマリエルだと思った。
実際には色々な可能性がある。
見間違いかもしれない。
白いワンピースの裾かもしれない。
あんな路地裏だ。ろくでもない人間かもしれない。
それでも、ジャギは自分の直感を信じた。
白い何かが消えた路地裏の入り口に駆け寄る。見ればそれは”路地裏の入り口”なんて大層なものじゃなかった。
ただの隙間。ビルとビルの間にできた、灰色の切れ目。
光もろくにささない、この切れ目の奥がどこかに繋がっているのかもわからない。
大人が体を横にしてなんとか通れるくらいの隙間でしかない。
もしさっきのが見間違いなら、物凄い時間の無駄になるだろう。
それでも
『ジャギさんは強いんだねぇ』
『私もジャギさんみたいに強ければなぁ』
・・・・・・・・・。
「・・・あああああああ!!!面倒くせええええええええええ!!!!!」
ジャギは体を灰色の切れ目に挿し入れた。
海猿は車の中で精神を集中させる。
アリアルを倒した海猿は、そのまま屋敷の警護に当っている人間にオラトリオの脱走を告げ、人を集め追いかけ出した。
”森羅万象”を常時展開し、大気に住む精霊にオラトリオの場所を聞く。
それはバラバラな情報だったが、なんとか大まかな位置は把握した。
「中心街の中心地より19時の方向に車をやってください。大体その辺りにいるはずです」
車を運転しているクルセイダーは「了解しました」とだけ言い、車を指定された位置に向けて走らせる。
自分で言ってわかったのだが、あの辺りには特に何も無い。ビジネス街となっている。
娯楽施設も何もないのに・・・あんな場所になにが・・・・。
ズルズルと壁に挟まれカニのように進む。すでにスーツはボロボロのドロドロに汚れていた。
そんなの構いやしない。
ただ、マリエルの身だけが心配だった。
進行方向に光が差す。この光も差さないビルの間に、光が。
「う・・・・」
暗い所を暫く進んでいたせいだろう。光が目に痛む。
その痛む目を細めて先を見ると、切れ目の終わり・・・開けた向こうにもう所々うすよごれたパジャマを着た子供が背中を見せて走っていくのが見えた。
「!?」
見間違いなんかじゃなかった。
あれは、やっぱりマリエルだった!
「マリエーーーーーーール!!!!」
隙間に挟まったまま、ジャギは少女の名前を叫んだ。もう、呼ぶことは無いかもしれないと覚悟した、その名を。
少女は立ち止まって、こっちを振り返り・・・・きる前に、その場に崩れ落ちた。
「がああああああああああああ!!!!!!!」
爆発的に足にエーテルを集め、その場を踏みしめて跳躍。ついにジャケットの右袖は肩から千切れてしまった。
そして、切れ目から飛び出した。
「海猿さん・・・本当にここで?」
目の前には灰色の切れ目。奥には日の光もささずまったくの暗闇。
「そう・・・です。」
自分でもそうは思わないのだけれど、精霊たちはこの先だと言っている。
これが人のもたらす情報ならば疑いもするのだが、それが精霊なら話は別だ。
彼等は、この切れ目に入っていくオラトリオは見ていたのだろうから。
「間違いありません。進みましょう」
そう言って、みずから先頭に立ちカニ歩きで海猿は歩き出した。
飛び出して解ったのだが、この場所はやっぱりまだ”隙間”だった。
ビルとビルの間に出来た”隙間”
それがただ、今まで通ってきた所よりも幅があるだけに過ぎない。
周りは全て15階クラスのビル。そのビルとビルの間にぽかんとあけられた、空間。
しかも、まるで冗談のようにそこにはコの字型に空いた空間があり、そこは公園になっていた。
ブランコ、シーソー、砂場、空き缶入れ。タイヤで出来た馬飛び。
その公園の入り口にたどり着く前に、マリエルは倒れた。
ジャギは足に溜めたエーテルを異常放出して、マリエルの場所まで一気に飛ぶ。
これで暫く左足は使えないだろう。まぁいまはそんな事どうでもいい。
「マリエル・・・大丈夫か?苦しいのか?おい・・・返事しろよちくしょう・・・・」
そっと抱え上げたマリエルの体が、まるで空気みたいに軽くて鳥肌が立つ。
「ちゃんと食えよ・・・お前サンドイッチ好きなんだろうがよぅ・・・」
「サラダばっかりじゃなく、鶏肉も食べればよかったなぁ・・」
「マリエル!!」
どうやら意識を失っていたのは一瞬らしい。今は弱々しくもちゃんと目に力が篭っている。
「ごめんねぇ・・・ジャギさん・・・スーツボロボロになっちゃったねぇ・・・」
むき出しになった右腕をそっと撫でながら、本当に申し訳ないように言う。
「ばっ・・!こんなもん・・あれだ・・・大した事ねぇよ!ほら・・・あれだ・・・!えーと・・・」
「朝飯前?」
「おう!それだそれ!朝飯前だ!マリエルは賢いなおいっ!もうおれより賢いんじゃねぇか!?」
「あははw」
笑っていたマリエルの顔が一瞬で強張る。視線の先では、あの老執事がちょうど切れ目から出てこようとしていた所だった。
「ジャギさん・・・私・・どうしても行かなきゃいけない所が・・・あったんだぁ・・・」
言いながらゆっくりでも確かに体を起こすマリエル。
「お・・おい・・・大丈夫か・・・?」
「そこに行く為にね・・・ジャギさんに酷い事言って・・・嘘ついて・・・ほんと・・・」
支えにしていたおれの右肩からマリエルの手が離れる。
「ごめんなさい。」
足なんてまだまだフラフラしてるのに、それでもきっちりと頭を下げた謝罪だった。
「ちょ、おま、そんな事・・・」
「我侭なのは、ダメだよねぇ・・・それでも・・・それでもぉ・・・・」
ぐぐぐ、と体の向きを変える。その先には、寂れた不思議な公園の入り口。
「行きたいの・・・・公園に・・あの場所に・・・・行かなきゃダメなんだよぉ!!」
「その子から離れろおおおおおおお!!!!」
マリエルが叫んで一歩を踏み出すのと同時に、目の前で刃が踊った。
咄嗟に中腰のまま腰をそらして避ける・・・が、眉間付近を刃が掠めた。
「っつぁ!?」
多少の血が流れる、が驚いたのは
「・・・・ガキ?」
自分に剣を振るったのが緑色の髪をし、緑色の目をした少年だったからだ。
しかもこのガキ・・・・おれの皮膚を概念兵装の剣で切りつけやがった。
成人の”能力者”でも傷つけられないのが大半の、おれを。
「マリエルをどうするつもりだてめぇ!!」
立ち上がって拳を構える。
「ジャギ?ジャギか?」
緑髪のガキの背後に、海猿が駆け寄ってきた。
「あ?海?なにやってんの?」
「仕事だけど・・・え・・?まさか?」
「マリエル・・・とりあえずこっちに・・・」
「うん・・・・」
「オラトリオさまあああ!!」
「マリエルさまああああああ!!」
オラトリオはマリエルに肩を貸して公園に入ろうとする。
ジャギと海猿は公園の入り口でぽかんと顔を合わせる。
双方のエージェントは隙間からやっと這い出て、こっちに詰め寄せてくる。
「おれぁその・・・そこの女の子の護衛を・・・」
「オレはその緑髪の・・・オラトリオ君の護衛を・・・」
自分たちの護衛対象は今や公園の中心で顔をあわせている。
「マリエル・・・レディはもっと身だしなみに気をつけるべきじゃないかね?w」
「あら、オラトリオ君も紳士にしてはちょっと派手なんじゃない?」
埃で真っ白になったオラトリオの服を指差して笑うマリエル。
二人は、見たことも無い笑顔で笑っていた。
「マリエル!」
できるだけ大声を出す。
マリエルがこっちを見たのを確認してから、親指で駆け寄る老執事御一行を指す。
「ジャギさん!ジャギさんって強いよね!!」
「おう!つえぇぞ!」
「レイドさん100人も泣かしちゃったんだよね!!」
「おう!朝飯前にな!」
「じゃあ・・・じゃあ・・・!」
「ガキはな!大人に我侭言うのを遠慮なんてすんじゃねぇ!!!」
「私!もうちょっと時間が欲しい!!!」
「ぃよっしゃああああああああああああ任せろやあああああああああああ!!!!!!」
公園入り口で振り返り、さっきの加速で使い物にならなくなった左足を地面に突き刺す。
「ここを通りたかったらおれを殺していきやがれやこのクソ×××××共!!!!!!」
「あぁ・・ジャギの馬鹿・・・・」
両手で顔を塞ぐ。ダメだ、もうこの馬鹿は止まらない。止めようとするとオレがぶん殴られるに違いない。
「オラトリオ!!」
左手にマリエルの右手を握ったまま、真っ直ぐこちらを向く。その目には、一切の曇りがなかった。
「海猿・・・頼む・・・・」
頭も下げない。でも、清々しいくらいに綺麗な瞳で彼は言った。
「あああああ!!治療費はレイ家でもってくれるんでしょうね!!?」
「もちろんだ。あー・・・もしかすると・・・空を飛ぶ羽目になる?」
「死んだら化けて出てやる!!」
「はははw特別報酬もつけるぞ!」
「うーん・・・それはいいから・・・そーだ、その子にヴァイオリンを聞かせてあげて下さい。オレはここで『やりあいながら』聞いてますから」
「承知した。今までで最高の演奏をしよう。」
「よし海ちゃんよ!」
「はいはい・・・やりますかぁ・・・!!!!!」
海猿も振り返って同じく使えなくなった右足を地面に突き立てる。
人数にして20人相手の、総当たり戦が始まった。
「なぁジャギよぅ・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あれ・・・・死んだ・・・?」
「喋ると口がいてぇんだよ・・・」
「あはは・・・ひでぇ顔・・・・w」
「お前もなー・・・www」
地面に突き刺した足はとうの昔に抜けて、今は公園入り口の車輪止めにもたれかかっている。
スーツはもはや原型をとどめておらず、それは二人の顔面にしても同じだった。
「なぁジャギィ・・・いいヴァイオリンの音色だろ・・?」
「ばっか・・・マリエルのピアノのがすげーっつのw」
足元には、追っ手20人の気絶体。
公園の中には・・・・
「こーゆーの・・・なんつーんだっけかな・・・」
「学芸会・・・でいんじゃないかな・・それも知らないなんて・・・さすがジャギ・・・」
「うーるせぇ」
概念で練ったグランドピアノを弾くマリエルと、ヴァイオリンを弾くオラトリオ。
「拍手忘れんなよ・・・」
「ばか・・・手が折れててもやるに決まってんだろ・・・」
曲が終わる・・・・結局なんの曲だったかわからなかったけど・・・素晴らしかった。
二人は、たった二人の観客に向けて挨拶をする少年と少女に惜しみない拍手をしようと手を叩き、激痛でついに気を失った。
あの”学芸会”の日から2ヶ月が経った。
あの後病院で目を覚ました二人は、体がカクカクする状態のまま引っ立てられ、iwaokunの執務室で結果を報告する事に。
絶対殺される、死ぬのは宙を飛んでいる間かそれとも地面に落ちた瞬間か。それくらいに差しか、この仕事の結果には無いように思った。
しかし、恐る恐る伝えた結果にiwaokunは
『ふーん。ご苦労』
と言っただけ。せっかく染め直した髪がふたりとも白髪になっただけの罰ですんだ。
それから一週間ほど、二人は暗殺されると云う謎の妄想に苦しむ。
しかし、それはやっぱり妄想に過ぎなく、いつまで経っても刺客は放たれなかった。
そしてきっちり2ヶ月経った日、それは届いた。
「あん?コンサートの招待状?」
「うむ、iwaokunから直々にな」
あいすんが手渡しでくれた招待状は、なんだかこの間渡された恐ろしい手紙とは似ても似つかず、やすっぽい作りだった。
しかし中身は本物のコンサートチケット。
「あー?くらしっくぅぅぅ?おれがぁぁぁ?」
「わしもその辺がわからんが・・・まぁiwaokunが言って来いっていってたぞ」
「え・・・・言って来いって・・・・?」
「うむ、つまり行けってこったな」
「はぁぁぁぁぁぁ・・・マジですかぁぁぁぁぁぁ」
頭が重くなる。クラシックコンサートなんて途中で寝てしまうのがオチだからだ。
そんなモノを買う金があるんなら飯の一つでも奢ってもらった方がまだ嬉しい。
「ま・・まぁ・・・ちゃんと渡したからの」
あいすんはそれだけ言って足早に立ち去る。愚痴をこぼされるのはごめんらしい。
「う・・うう・・・・しかもまた服が指定だし・・・・」
今度の服はタキシードだった。
「で、なんでジャギがここにいるんだよ」
コンサート会場の前でばったりあったのは例のヤツ。
「海こそなんでこんなとこにいんだよ・・・・しかも何その格好wwwwwwwww」
「いやお前も同じ服だしwwwwwwwwww」
「うはwwwwwwwだせえええwwwwwwwwwwww」
「ツナギよりマシだよwwwwwwwww」
「うるせwwwwwwwwwwwww」
とまぁ、いつものテンションで開場を待つ。
二人は明らかに浮いていた。
「な・・なぁ海・・・おれら浮いてね?」
「なんか周りが貴族だらけのような・・・」
ぐるりと見回しても、一般人が見当たらない。
貴族しかいない世界に迷い込んだみたいだった。
「うへぁ・・・・もう貴族はこりごりだなぁ・・・・」
「うわっ!”マリエルゥゥ!”とか言ってた奴が!信じらんないね!」
「ばっ!てめぇ!それは言うなとあれほど・・・・!」
「あははははwそれにしても、二人とも元気かなぁ?」
「貴族なんだし、元気なんじゃね?」
「あーもー悪かったよー気を治せよー」
「別に不機嫌になんてなってませんが何か?」
「ほらwwwwwwwwwww」
二人がつい2ヶ月前に友人になった貴族様を壇上で見て驚きのあまり口をぽかーんと開け、壇上の少年と少女に笑われるにはこれから30分後の事である。
焼けそうな肺をものともせず、ジャギは人波を走りまくった。
こんな時に自分の”能力”はなんの役にも立たない。それが悔しかった。
それよりも今頭の中を締めている事は唯一つ。
「マリエル・・・どうして・・・!」
そう、どうしてあの屋敷から逃げ出したのか解らない。いや、それは何か理由があったのかもしれない。
でも・・・ならどうして・・・・
「なんでおれに一言いわねぇんだよ!」
ジャギは走りながら怒っていた。
「マリエルお嬢様に何かあれば死んでもらう」
ぼそり、と耳元で聞こえた声に反射的に拳をぶちこみそうになる。
真後ろには、あの老執事が屋敷の精鋭を連れて迫ってきているのだ。
「うっせぇじじぃ!何かなんて起こさせやしねぇよ!!!」
少し危険かとも思ったが、エーテルを足に集め加速を開始した。
「閣下、良い腕ですが模範的すぎます」
左のボディブローを叩き込んだ姿勢のまま、相手の耳に囁く。
「・・・・・・ぐっ・・・・・」
彼の・・・アリアルの剣ははっきりいって素晴らしかった。まったくブレない剣筋、打ち込む姿勢。体重の移動。全てが完璧だった。
まっとうな騎士であれば、あの剣はまず避けることができないだろう。
しかし、それだけに・・・・
「実戦や乱戦で戦ってきた人間には、通用しません」
「・・・・んむぅ・・・・」
腹を押さえて崩れ落ちるアリアル。もちろん、さっき叩き込んだボディブローはただのパンチでは無い。
”森羅万象”で拳が接触した瞬間にアリアルの体内に多く展開している”水”をイジった。
少なくとも30分は立てないだろう。
「貴様・・・こんな事をして・・・ただで済むと・・」
もうすでに立ち去りかけていた海猿は一度だけ振り返り
「貴族・・・しかも国家のTOP集団にいる貴族の頭首を殴ったのですからただでは済まないでしょう。でも・・・それでも軍曹の方が怖いって事です」
と言って、走り出した。
ジャギは適当に走っていた訳では無い。
かと言って、マリエルの行き先に心当たりがある訳でも無い。
なら、する事は一つ。
「あああああ!解ってたけど人込みすぎてわけわかんねええええええええ!!!」
人通りの多い、どこに行くのにも便利な道を徹底して探す。
これしかなかった。
難しい事だ。こんな人込みの中、子供1人を探し出すなんて。
一つだけ有利な事は・・・それは、マリエルが”目立つ”事にある。
マリエルの服はいつもパジャマだ。昨日も今日も特別な用があったわけでは無い。
そして、マリエルの部屋にはクローゼットが無い。なら、あのままの服装で出歩いているはずなのだ。
なら目立つ。どんなに最近のファッションが訳わからなくなっていようとも、パジャマの子供が走っていればめちゃくちゃ目立つ・・・はずだ!
中心街の更に中心、すでに車のロータリーでしかないようなその場所で、路地裏にするりと消えた白い何かが目に入る。
ジャギはそれを直感でマリエルだと思った。
実際には色々な可能性がある。
見間違いかもしれない。
白いワンピースの裾かもしれない。
あんな路地裏だ。ろくでもない人間かもしれない。
それでも、ジャギは自分の直感を信じた。
白い何かが消えた路地裏の入り口に駆け寄る。見ればそれは”路地裏の入り口”なんて大層なものじゃなかった。
ただの隙間。ビルとビルの間にできた、灰色の切れ目。
光もろくにささない、この切れ目の奥がどこかに繋がっているのかもわからない。
大人が体を横にしてなんとか通れるくらいの隙間でしかない。
もしさっきのが見間違いなら、物凄い時間の無駄になるだろう。
それでも
『ジャギさんは強いんだねぇ』
『私もジャギさんみたいに強ければなぁ』
・・・・・・・・・。
「・・・あああああああ!!!面倒くせええええええええええ!!!!!」
ジャギは体を灰色の切れ目に挿し入れた。
海猿は車の中で精神を集中させる。
アリアルを倒した海猿は、そのまま屋敷の警護に当っている人間にオラトリオの脱走を告げ、人を集め追いかけ出した。
”森羅万象”を常時展開し、大気に住む精霊にオラトリオの場所を聞く。
それはバラバラな情報だったが、なんとか大まかな位置は把握した。
「中心街の中心地より19時の方向に車をやってください。大体その辺りにいるはずです」
車を運転しているクルセイダーは「了解しました」とだけ言い、車を指定された位置に向けて走らせる。
自分で言ってわかったのだが、あの辺りには特に何も無い。ビジネス街となっている。
娯楽施設も何もないのに・・・あんな場所になにが・・・・。
ズルズルと壁に挟まれカニのように進む。すでにスーツはボロボロのドロドロに汚れていた。
そんなの構いやしない。
ただ、マリエルの身だけが心配だった。
進行方向に光が差す。この光も差さないビルの間に、光が。
「う・・・・」
暗い所を暫く進んでいたせいだろう。光が目に痛む。
その痛む目を細めて先を見ると、切れ目の終わり・・・開けた向こうにもう所々うすよごれたパジャマを着た子供が背中を見せて走っていくのが見えた。
「!?」
見間違いなんかじゃなかった。
あれは、やっぱりマリエルだった!
「マリエーーーーーーール!!!!」
隙間に挟まったまま、ジャギは少女の名前を叫んだ。もう、呼ぶことは無いかもしれないと覚悟した、その名を。
少女は立ち止まって、こっちを振り返り・・・・きる前に、その場に崩れ落ちた。
「がああああああああああああ!!!!!!!」
爆発的に足にエーテルを集め、その場を踏みしめて跳躍。ついにジャケットの右袖は肩から千切れてしまった。
そして、切れ目から飛び出した。
「海猿さん・・・本当にここで?」
目の前には灰色の切れ目。奥には日の光もささずまったくの暗闇。
「そう・・・です。」
自分でもそうは思わないのだけれど、精霊たちはこの先だと言っている。
これが人のもたらす情報ならば疑いもするのだが、それが精霊なら話は別だ。
彼等は、この切れ目に入っていくオラトリオは見ていたのだろうから。
「間違いありません。進みましょう」
そう言って、みずから先頭に立ちカニ歩きで海猿は歩き出した。
飛び出して解ったのだが、この場所はやっぱりまだ”隙間”だった。
ビルとビルの間に出来た”隙間”
それがただ、今まで通ってきた所よりも幅があるだけに過ぎない。
周りは全て15階クラスのビル。そのビルとビルの間にぽかんとあけられた、空間。
しかも、まるで冗談のようにそこにはコの字型に空いた空間があり、そこは公園になっていた。
ブランコ、シーソー、砂場、空き缶入れ。タイヤで出来た馬飛び。
その公園の入り口にたどり着く前に、マリエルは倒れた。
ジャギは足に溜めたエーテルを異常放出して、マリエルの場所まで一気に飛ぶ。
これで暫く左足は使えないだろう。まぁいまはそんな事どうでもいい。
「マリエル・・・大丈夫か?苦しいのか?おい・・・返事しろよちくしょう・・・・」
そっと抱え上げたマリエルの体が、まるで空気みたいに軽くて鳥肌が立つ。
「ちゃんと食えよ・・・お前サンドイッチ好きなんだろうがよぅ・・・」
「サラダばっかりじゃなく、鶏肉も食べればよかったなぁ・・」
「マリエル!!」
どうやら意識を失っていたのは一瞬らしい。今は弱々しくもちゃんと目に力が篭っている。
「ごめんねぇ・・・ジャギさん・・・スーツボロボロになっちゃったねぇ・・・」
むき出しになった右腕をそっと撫でながら、本当に申し訳ないように言う。
「ばっ・・!こんなもん・・あれだ・・・大した事ねぇよ!ほら・・・あれだ・・・!えーと・・・」
「朝飯前?」
「おう!それだそれ!朝飯前だ!マリエルは賢いなおいっ!もうおれより賢いんじゃねぇか!?」
「あははw」
笑っていたマリエルの顔が一瞬で強張る。視線の先では、あの老執事がちょうど切れ目から出てこようとしていた所だった。
「ジャギさん・・・私・・どうしても行かなきゃいけない所が・・・あったんだぁ・・・」
言いながらゆっくりでも確かに体を起こすマリエル。
「お・・おい・・・大丈夫か・・・?」
「そこに行く為にね・・・ジャギさんに酷い事言って・・・嘘ついて・・・ほんと・・・」
支えにしていたおれの右肩からマリエルの手が離れる。
「ごめんなさい。」
足なんてまだまだフラフラしてるのに、それでもきっちりと頭を下げた謝罪だった。
「ちょ、おま、そんな事・・・」
「我侭なのは、ダメだよねぇ・・・それでも・・・それでもぉ・・・・」
ぐぐぐ、と体の向きを変える。その先には、寂れた不思議な公園の入り口。
「行きたいの・・・・公園に・・あの場所に・・・・行かなきゃダメなんだよぉ!!」
「その子から離れろおおおおおおお!!!!」
マリエルが叫んで一歩を踏み出すのと同時に、目の前で刃が踊った。
咄嗟に中腰のまま腰をそらして避ける・・・が、眉間付近を刃が掠めた。
「っつぁ!?」
多少の血が流れる、が驚いたのは
「・・・・ガキ?」
自分に剣を振るったのが緑色の髪をし、緑色の目をした少年だったからだ。
しかもこのガキ・・・・おれの皮膚を概念兵装の剣で切りつけやがった。
成人の”能力者”でも傷つけられないのが大半の、おれを。
「マリエルをどうするつもりだてめぇ!!」
立ち上がって拳を構える。
「ジャギ?ジャギか?」
緑髪のガキの背後に、海猿が駆け寄ってきた。
「あ?海?なにやってんの?」
「仕事だけど・・・え・・?まさか?」
「マリエル・・・とりあえずこっちに・・・」
「うん・・・・」
「オラトリオさまあああ!!」
「マリエルさまああああああ!!」
オラトリオはマリエルに肩を貸して公園に入ろうとする。
ジャギと海猿は公園の入り口でぽかんと顔を合わせる。
双方のエージェントは隙間からやっと這い出て、こっちに詰め寄せてくる。
「おれぁその・・・そこの女の子の護衛を・・・」
「オレはその緑髪の・・・オラトリオ君の護衛を・・・」
自分たちの護衛対象は今や公園の中心で顔をあわせている。
「マリエル・・・レディはもっと身だしなみに気をつけるべきじゃないかね?w」
「あら、オラトリオ君も紳士にしてはちょっと派手なんじゃない?」
埃で真っ白になったオラトリオの服を指差して笑うマリエル。
二人は、見たことも無い笑顔で笑っていた。
「マリエル!」
できるだけ大声を出す。
マリエルがこっちを見たのを確認してから、親指で駆け寄る老執事御一行を指す。
「ジャギさん!ジャギさんって強いよね!!」
「おう!つえぇぞ!」
「レイドさん100人も泣かしちゃったんだよね!!」
「おう!朝飯前にな!」
「じゃあ・・・じゃあ・・・!」
「ガキはな!大人に我侭言うのを遠慮なんてすんじゃねぇ!!!」
「私!もうちょっと時間が欲しい!!!」
「ぃよっしゃああああああああああああ任せろやあああああああああああ!!!!!!」
公園入り口で振り返り、さっきの加速で使い物にならなくなった左足を地面に突き刺す。
「ここを通りたかったらおれを殺していきやがれやこのクソ×××××共!!!!!!」
「あぁ・・ジャギの馬鹿・・・・」
両手で顔を塞ぐ。ダメだ、もうこの馬鹿は止まらない。止めようとするとオレがぶん殴られるに違いない。
「オラトリオ!!」
左手にマリエルの右手を握ったまま、真っ直ぐこちらを向く。その目には、一切の曇りがなかった。
「海猿・・・頼む・・・・」
頭も下げない。でも、清々しいくらいに綺麗な瞳で彼は言った。
「あああああ!!治療費はレイ家でもってくれるんでしょうね!!?」
「もちろんだ。あー・・・もしかすると・・・空を飛ぶ羽目になる?」
「死んだら化けて出てやる!!」
「はははw特別報酬もつけるぞ!」
「うーん・・・それはいいから・・・そーだ、その子にヴァイオリンを聞かせてあげて下さい。オレはここで『やりあいながら』聞いてますから」
「承知した。今までで最高の演奏をしよう。」
「よし海ちゃんよ!」
「はいはい・・・やりますかぁ・・・!!!!!」
海猿も振り返って同じく使えなくなった右足を地面に突き立てる。
人数にして20人相手の、総当たり戦が始まった。
「なぁジャギよぅ・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あれ・・・・死んだ・・・?」
「喋ると口がいてぇんだよ・・・」
「あはは・・・ひでぇ顔・・・・w」
「お前もなー・・・www」
地面に突き刺した足はとうの昔に抜けて、今は公園入り口の車輪止めにもたれかかっている。
スーツはもはや原型をとどめておらず、それは二人の顔面にしても同じだった。
「なぁジャギィ・・・いいヴァイオリンの音色だろ・・?」
「ばっか・・・マリエルのピアノのがすげーっつのw」
足元には、追っ手20人の気絶体。
公園の中には・・・・
「こーゆーの・・・なんつーんだっけかな・・・」
「学芸会・・・でいんじゃないかな・・それも知らないなんて・・・さすがジャギ・・・」
「うーるせぇ」
概念で練ったグランドピアノを弾くマリエルと、ヴァイオリンを弾くオラトリオ。
「拍手忘れんなよ・・・」
「ばか・・・手が折れててもやるに決まってんだろ・・・」
曲が終わる・・・・結局なんの曲だったかわからなかったけど・・・素晴らしかった。
二人は、たった二人の観客に向けて挨拶をする少年と少女に惜しみない拍手をしようと手を叩き、激痛でついに気を失った。
あの”学芸会”の日から2ヶ月が経った。
あの後病院で目を覚ました二人は、体がカクカクする状態のまま引っ立てられ、iwaokunの執務室で結果を報告する事に。
絶対殺される、死ぬのは宙を飛んでいる間かそれとも地面に落ちた瞬間か。それくらいに差しか、この仕事の結果には無いように思った。
しかし、恐る恐る伝えた結果にiwaokunは
『ふーん。ご苦労』
と言っただけ。せっかく染め直した髪がふたりとも白髪になっただけの罰ですんだ。
それから一週間ほど、二人は暗殺されると云う謎の妄想に苦しむ。
しかし、それはやっぱり妄想に過ぎなく、いつまで経っても刺客は放たれなかった。
そしてきっちり2ヶ月経った日、それは届いた。
「あん?コンサートの招待状?」
「うむ、iwaokunから直々にな」
あいすんが手渡しでくれた招待状は、なんだかこの間渡された恐ろしい手紙とは似ても似つかず、やすっぽい作りだった。
しかし中身は本物のコンサートチケット。
「あー?くらしっくぅぅぅ?おれがぁぁぁ?」
「わしもその辺がわからんが・・・まぁiwaokunが言って来いっていってたぞ」
「え・・・・言って来いって・・・・?」
「うむ、つまり行けってこったな」
「はぁぁぁぁぁぁ・・・マジですかぁぁぁぁぁぁ」
頭が重くなる。クラシックコンサートなんて途中で寝てしまうのがオチだからだ。
そんなモノを買う金があるんなら飯の一つでも奢ってもらった方がまだ嬉しい。
「ま・・まぁ・・・ちゃんと渡したからの」
あいすんはそれだけ言って足早に立ち去る。愚痴をこぼされるのはごめんらしい。
「う・・うう・・・・しかもまた服が指定だし・・・・」
今度の服はタキシードだった。
「で、なんでジャギがここにいるんだよ」
コンサート会場の前でばったりあったのは例のヤツ。
「海こそなんでこんなとこにいんだよ・・・・しかも何その格好wwwwwwwww」
「いやお前も同じ服だしwwwwwwwwww」
「うはwwwwwwwだせえええwwwwwwwwwwww」
「ツナギよりマシだよwwwwwwwww」
「うるせwwwwwwwwwwwww」
とまぁ、いつものテンションで開場を待つ。
二人は明らかに浮いていた。
「な・・なぁ海・・・おれら浮いてね?」
「なんか周りが貴族だらけのような・・・」
ぐるりと見回しても、一般人が見当たらない。
貴族しかいない世界に迷い込んだみたいだった。
「うへぁ・・・・もう貴族はこりごりだなぁ・・・・」
「うわっ!”マリエルゥゥ!”とか言ってた奴が!信じらんないね!」
「ばっ!てめぇ!それは言うなとあれほど・・・・!」
「あははははwそれにしても、二人とも元気かなぁ?」
「貴族なんだし、元気なんじゃね?」
「あーもー悪かったよー気を治せよー」
「別に不機嫌になんてなってませんが何か?」
「ほらwwwwwwwwwww」
二人がつい2ヶ月前に友人になった貴族様を壇上で見て驚きのあまり口をぽかーんと開け、壇上の少年と少女に笑われるにはこれから30分後の事である。