姫ちゃんの親父はおれの親友で先輩。
その先輩は孤児だったそうだ。生まれてすぐに施設に渡されたのだとか。理由とか原因は先輩が調べなかったからわからないのだけれど。
先輩はそこで中学を卒業するまで過ごしたらしい。
同じような境遇の子供が一杯で、その中でも先輩は一番年上だったらしい。
親が経済的な理由で預けた子。親と心中させられそうになって保護された子。親から捨てられた子。いろんな子がいたらしい。
先輩はそんな中で育って、家族なんて感情をまったく持たなかったらしい。せめて施設内の子供はみんな家族、といった教育を施設では行っていたようなのだが、先輩はそもそもにおいて家族を経験した事がない。
だから、わからなかったそうだ。
朝飯や晩飯を一緒に食べて、一緒に寝る。
似たような境遇での集団生活を、家族だと先輩は思っていたらしい。
だから先輩にとって施設は家族であり、でも、本当の家族では無かった。
「さぁ、これが家族だ」
と言われればそうなのだろうが、とは思った事もあるそうだ。
でも、それは中学を卒業し、仕事も見つかり、住む家も決まり、施設を出る時に思い知った。
本当の「家族」と云う感覚を知って。
中学を卒業し、施設から出て一人で暮らす事が決まり、施設の先生達は喜んでパーティーを開いてくれようとしていたらしい。
でも、先輩はそれを拒んだ。
パーティー一つのお金だって、もったいないと思っていた。
自分としては何一つ嬉しくは無かったそうだ。
どうせ自分はこれから社会に出て働く。そしてそのお金で生きていくだけ。
学校での授業が社会での仕事に代わっただけだと。
そう簡素に思っていたらしい。
今の先輩からはまったく想像がつかない事に、当時はまったく感情を表にださない少年だったそうだ。それはもう、あだ名が「鉄仮面」になるほど。
そんな、無味無臭な少年が施設から旅立つ日。
お別れ会もせず、まるで今までもいませんでした~みたいな感じで施設を後にしようとした。
先生達に挨拶だけして、子供達が到底起きて来れないような時間に施設を出る事にしたのだ。
子供達は嫌いではなかったけれど、まとわり付かれたり泣かれるのは正直言って鬱陶しいと思っていた(現在では想像もつかないが)
明け方のまだ早い時間に施設の入り口まで行き、さてこれからどうしたものか、と思案していると、一人の女の子が走ってくるのが見えた。
あぁ、これは厄介な事になるぞ、と顔を顰めたらしい。
なにせその子と来たら、子供の中でも一番自分に「あれをしろこれをしろ」とうるさかった子だったからだ。
あぁあ、面倒だなぁと適当に挨拶だけしようと心に決めて、話かけようとした時。
「ばいばい、お兄ちゃん」
と、一言言われたのだそうだ。
ぐっと唇を噛んで。ぎゅっとスカートの裾を握って。下を向いて。
なんとか聞こえる声で。
それを見て、聞いた時、先輩は
「自分は何を見てきていたのだろうか」
と思ったらしい。
その子の自分を見る目は、肉親を見る目ではなかったのか。
もちろん、血など繋がってはいないのだけれど。それでもこの子は今、どんな気持ちで自分を「お兄ちゃん」と呼んだのか。
それを知ろうともしないで自分は。
だから先輩はその子に「いってきます」と告げて施設を出たそうだ。
その「行ってきます」は、先生達へした挨拶のようなものでは無く、自分自身よくわからないのだけれど、がんばって肉親への挨拶をしてみたつもりだったらしい。
新しい家につくまで、ずっと胸が熱かったそうだ。
先輩が、兄になった瞬間らしい。
それからの先輩は働きまくった。昼も夜も働いて、それでも3日に一度は施設に顔を出した。
世の中は金で大抵の事が出来た。子供でも、金さえあれば大人と同じなのだと知った。
先輩は脇目も振らず働いて、働いて、「妹」を預けてもらいたかったそうだ。
その為に怪我や病気になっても、がんばったらしい。
兄だから、妹の為にがんばるのは当たり前だと。妄信して。
先輩が二十歳になり、その子は十歳になった頃。
その子は腎臓を悪くして入院した。
その入院の一報を電話で受けたとき、先輩は夜の仕事もすっぽかしてぶっ飛んで病院にいったらしい。この辺りでやっとわらびの知っている先輩になってくる。
結果的には、長い闘病生活になるとの事。
透析やらなにやら受けなければ、生きて行けないようになったとの事。
それを知った時の先輩の悲しみは、きっと想像を絶するものであろうと思う。
それを振り切るかのように働いたらしい。
昼も夜も働いて、休日を作らないようにして。
二十歳の若さで過労で倒れたのも一回や二回では無いそうだ。
そしてそんな体でお見舞いになんていくから、仕舞いには怒られた。
しかし仕事を減らせば収入が減る。
病院のお金は施設の先生方がなんとか負担してはくれているが、自分も何か協力したい、と申し出て入金していた。
今わらびが聞いても信じれないような大金を毎月入金していた。
そこで先輩は考えに考え、一つの名案を思いつく。
完璧な嘘笑顔である。
どんなに辛くても、妹の前では笑う事にしたそうだ。
最初は難しかった。そもそも笑うなんて事をしなかった人だ。
初めてした時は「どこか苦しいの?」と心配されたそうで、わらびはその話を聞いた時、爆笑してしまった。
それでも先輩は笑い続けた。お見舞いから帰る途中で、倒れてしまっても、そんな体でも、先輩は笑っていたそうだ。
そんな状態が数ヶ月続き、先輩は今の奥さん(姫ちゃんの母上)に会う。
奥さん曰く「放っておいたら死ぬと思った」との事。
結果、先輩は仕事を減らし、体を奥さんに預けて倒れるような事はなくなったそうな。
一度「なんでそこまでするの?」と聞いたらしい。そしたら
「おれは兄貴だからな」って一言で済まされたとか。
それから八年。その子の体調は日常生活でも透析さえ受ければ大丈夫な所まで回復。
施設の先生みたいな事のできる福祉関係の資格をとる為勉強中。
資金はなんと先輩が出すとの事。
そりゃあすっげー金です。
ただでさえ、先輩には家を建てるって計画があるのに。
家族的な意見はどうですか?と奥さんに聞いてみました。
「資金援助しないって言ったら張り倒す」
との事。はい、あんたの嫁さんもかっけーっすよ、マジで。
「一人分の給料で足らなきゃ二人分働けばいい。それだけだ。わらび、簡単な事なんだよ」
と先輩のありがたいお言葉。
おれさー、あんなみたいな人や、家族があるからさ、人間に絶望とかしないのかも。
人間の事、好きじゃないけどさ。あんた等の事、嫌いになんてなれる訳ないじゃん。
その先輩は孤児だったそうだ。生まれてすぐに施設に渡されたのだとか。理由とか原因は先輩が調べなかったからわからないのだけれど。
先輩はそこで中学を卒業するまで過ごしたらしい。
同じような境遇の子供が一杯で、その中でも先輩は一番年上だったらしい。
親が経済的な理由で預けた子。親と心中させられそうになって保護された子。親から捨てられた子。いろんな子がいたらしい。
先輩はそんな中で育って、家族なんて感情をまったく持たなかったらしい。せめて施設内の子供はみんな家族、といった教育を施設では行っていたようなのだが、先輩はそもそもにおいて家族を経験した事がない。
だから、わからなかったそうだ。
朝飯や晩飯を一緒に食べて、一緒に寝る。
似たような境遇での集団生活を、家族だと先輩は思っていたらしい。
だから先輩にとって施設は家族であり、でも、本当の家族では無かった。
「さぁ、これが家族だ」
と言われればそうなのだろうが、とは思った事もあるそうだ。
でも、それは中学を卒業し、仕事も見つかり、住む家も決まり、施設を出る時に思い知った。
本当の「家族」と云う感覚を知って。
中学を卒業し、施設から出て一人で暮らす事が決まり、施設の先生達は喜んでパーティーを開いてくれようとしていたらしい。
でも、先輩はそれを拒んだ。
パーティー一つのお金だって、もったいないと思っていた。
自分としては何一つ嬉しくは無かったそうだ。
どうせ自分はこれから社会に出て働く。そしてそのお金で生きていくだけ。
学校での授業が社会での仕事に代わっただけだと。
そう簡素に思っていたらしい。
今の先輩からはまったく想像がつかない事に、当時はまったく感情を表にださない少年だったそうだ。それはもう、あだ名が「鉄仮面」になるほど。
そんな、無味無臭な少年が施設から旅立つ日。
お別れ会もせず、まるで今までもいませんでした~みたいな感じで施設を後にしようとした。
先生達に挨拶だけして、子供達が到底起きて来れないような時間に施設を出る事にしたのだ。
子供達は嫌いではなかったけれど、まとわり付かれたり泣かれるのは正直言って鬱陶しいと思っていた(現在では想像もつかないが)
明け方のまだ早い時間に施設の入り口まで行き、さてこれからどうしたものか、と思案していると、一人の女の子が走ってくるのが見えた。
あぁ、これは厄介な事になるぞ、と顔を顰めたらしい。
なにせその子と来たら、子供の中でも一番自分に「あれをしろこれをしろ」とうるさかった子だったからだ。
あぁあ、面倒だなぁと適当に挨拶だけしようと心に決めて、話かけようとした時。
「ばいばい、お兄ちゃん」
と、一言言われたのだそうだ。
ぐっと唇を噛んで。ぎゅっとスカートの裾を握って。下を向いて。
なんとか聞こえる声で。
それを見て、聞いた時、先輩は
「自分は何を見てきていたのだろうか」
と思ったらしい。
その子の自分を見る目は、肉親を見る目ではなかったのか。
もちろん、血など繋がってはいないのだけれど。それでもこの子は今、どんな気持ちで自分を「お兄ちゃん」と呼んだのか。
それを知ろうともしないで自分は。
だから先輩はその子に「いってきます」と告げて施設を出たそうだ。
その「行ってきます」は、先生達へした挨拶のようなものでは無く、自分自身よくわからないのだけれど、がんばって肉親への挨拶をしてみたつもりだったらしい。
新しい家につくまで、ずっと胸が熱かったそうだ。
先輩が、兄になった瞬間らしい。
それからの先輩は働きまくった。昼も夜も働いて、それでも3日に一度は施設に顔を出した。
世の中は金で大抵の事が出来た。子供でも、金さえあれば大人と同じなのだと知った。
先輩は脇目も振らず働いて、働いて、「妹」を預けてもらいたかったそうだ。
その為に怪我や病気になっても、がんばったらしい。
兄だから、妹の為にがんばるのは当たり前だと。妄信して。
先輩が二十歳になり、その子は十歳になった頃。
その子は腎臓を悪くして入院した。
その入院の一報を電話で受けたとき、先輩は夜の仕事もすっぽかしてぶっ飛んで病院にいったらしい。この辺りでやっとわらびの知っている先輩になってくる。
結果的には、長い闘病生活になるとの事。
透析やらなにやら受けなければ、生きて行けないようになったとの事。
それを知った時の先輩の悲しみは、きっと想像を絶するものであろうと思う。
それを振り切るかのように働いたらしい。
昼も夜も働いて、休日を作らないようにして。
二十歳の若さで過労で倒れたのも一回や二回では無いそうだ。
そしてそんな体でお見舞いになんていくから、仕舞いには怒られた。
しかし仕事を減らせば収入が減る。
病院のお金は施設の先生方がなんとか負担してはくれているが、自分も何か協力したい、と申し出て入金していた。
今わらびが聞いても信じれないような大金を毎月入金していた。
そこで先輩は考えに考え、一つの名案を思いつく。
完璧な嘘笑顔である。
どんなに辛くても、妹の前では笑う事にしたそうだ。
最初は難しかった。そもそも笑うなんて事をしなかった人だ。
初めてした時は「どこか苦しいの?」と心配されたそうで、わらびはその話を聞いた時、爆笑してしまった。
それでも先輩は笑い続けた。お見舞いから帰る途中で、倒れてしまっても、そんな体でも、先輩は笑っていたそうだ。
そんな状態が数ヶ月続き、先輩は今の奥さん(姫ちゃんの母上)に会う。
奥さん曰く「放っておいたら死ぬと思った」との事。
結果、先輩は仕事を減らし、体を奥さんに預けて倒れるような事はなくなったそうな。
一度「なんでそこまでするの?」と聞いたらしい。そしたら
「おれは兄貴だからな」って一言で済まされたとか。
それから八年。その子の体調は日常生活でも透析さえ受ければ大丈夫な所まで回復。
施設の先生みたいな事のできる福祉関係の資格をとる為勉強中。
資金はなんと先輩が出すとの事。
そりゃあすっげー金です。
ただでさえ、先輩には家を建てるって計画があるのに。
家族的な意見はどうですか?と奥さんに聞いてみました。
「資金援助しないって言ったら張り倒す」
との事。はい、あんたの嫁さんもかっけーっすよ、マジで。
「一人分の給料で足らなきゃ二人分働けばいい。それだけだ。わらび、簡単な事なんだよ」
と先輩のありがたいお言葉。
おれさー、あんなみたいな人や、家族があるからさ、人間に絶望とかしないのかも。
人間の事、好きじゃないけどさ。あんた等の事、嫌いになんてなれる訳ないじゃん。