夢は、まったく見なかった。
無味無臭の朝、なんてものがあればきっとそれは今みたいな時だろう。目が覚める原因となったものが何一つ無い、完全な自然起床。尤も、今は朝では無いはずだ。今の記憶に至った過程を思い起こす。自分は何故”目覚め”なければならなくなったのか。
それよりも、だ。
それよりも最初にしなければならない事がある。それは、目を開くことだ。
確かに、集中して考え事をするときには目を瞑る。それは視覚情報をカットして、余計な事に頭を使わせない為だ。思考能力を余すところ無く使いたい時、目を瞑って思考する事になる。
だが、今はそんなに悠長に構えている時では無いように思う。理由は、”目覚める”事になった原因を突き止めるに至っていない事なのだが・・・。
まぁいい。とりあえず現状を知らなければまずかろう。
目を開こう。
目を開かなければ。
おかしかった。
何がおかしいって、どうやら自分はいつからか知らない内に目を開いていたようなのだ。目蓋が下りて、また上がる感覚がある。筋肉の動きを感じられる。
なのにもかかわらず、世界はいまだ目を閉じた時のように真っ暗だった。一応、体の感覚が麻痺している可能性を考えて左手を顔の前まで持ってくる動きをする。
左腕はまったく問題なく、顔の前まで持ち上がった。はずだ。
見えないからわからないのだけれど、自分の腕の感覚は完璧にある。腕はそこにある。
でも、見えない。仰向けに寝ているはずなのに、空も何も。
左手を顔に近付ける。まったく見えない。もしかすると自分はもう死んでしまっているのではないだろうか?
中指がつい、と眉間に触れた。どうやら、先程の考えは思い過ごしのようであった。
安堵したのも束の間、そんなに目の前にあるはずの手の平が見えない。
つつつ、とそのまま指を滑らすと左手の人差し指が眉毛に触れる感触。中指は丁度両眉の間、鼻筋の上だ。
今自分の視界は左手の手の平によって制限されている。のにも関わらず、やはり視界は左手を上げる前とまったく変わらない。
そのままさらに左手を動かす。人差し指が目蓋の縁、左目の眼球寸前まで降りる。
そのまま、左目に触れてみた。
微かな違和感と共に左手の人差し指が眼球に触れる感触がした。
目は、開いていた。
「あぁ、暗かったか。ごめんよ」
突然声が聞こえた。その声はどこかで聞いたことがある・・・なんてレベルでは無く、そう・・・旧知の声。
耳元で普通に喋られたようでもあり、遠くから聞こえてきたようでもある、不思議な声。方向は・・・わからない。
「光を」
声の主がそう言うと、天井だか空だかわからない・・・とにかく頭の上から光が射した。
一組の少し大振な丸机と、二つの椅子。どちらも木製で、なんだか酷く暖かく感じた。
「”光あれ、するとそこに光があった”か。かはは、神みてぇだろ?」
自分から見て奥の椅子には、針金を思わせる痩身の男が座っていて、真っ赤に充血した目でこちらを見ながら両手を大仰に広げて哂った。
そのボロボロの白衣、その天を突くような髪、その痩身、その人を食ったような哂い方。
自分には覚えがあった。
「ジョン・・・・」
またの名を”白谷の悪魔”
悪魔は名前を呼ばれると、にっこりと微笑んだ。
「ジョン・・・ここは?」
促されるままに椅子に座ってジョンと正対する。
丸机の上にはスコッチと、適当に割ったと思われる氷が一つ入った透明なガラスコップが二つ。四角い銀色の灰皿が一つだけ乗っている。
「まぁまぁ、とりあえず一杯飲みねぇ」
ジョンは質問には答えず、おれのコップにスコッチのビンを傾ける。
「あぁ・・・悪いね」
そう言いながら手に持ったコップを見てぎょっとする。
中に注がれたスコッチは、真っ青だったからだ。
「なんだ・・・・?青色一号?」
つい最近発売されて少しだけ話題になった飲み物に使われていた着色料。発がん性物質を含むらしい。
よぼどマヌケな声を出してしまったらしい。
ジョンは一瞬だけ真顔になり、それから無邪気に笑った。
「かはははははははw」
「なんだよぅ」
もしかすると、今この飲み物は流行っているのかもしれないな、と思った。
知らなかった事を自然と恥じて、憮然とした声を出してしまう。
ジョンはまだ顔に微笑を浮かべたまま、自分のコップにも青色の液体を注ぐ。
「いやいやwそっか・・・わらにぃにはそう見えるのか・・・」
「・・・?」
「ほい、これでどう?」
ぴっとおれのコップを人差し指でジョンが指す。つられてコップを見ると、液体は琥珀色に変わっていた。
「おおおお!?」
「じょんずまーじーっく!かははははw」
コップを手に取り、上から注ぐ光に透かしてみる。液体は綺麗な琥珀色だった。
「これ・・・飲めるんだろうな・・・・」
「大丈夫だってw」
くふふ、と笑いを零しながらジョンは毒見をするように一口飲む。
「ほら、なんともないw」
また大仰に両腕を開いて微笑む。
それをジト目で睨んで、やっと一口目を飲む事にした。
コップは一度空になり、タバコは3本目。
いつも饒舌なジョンは、今日に限って聞き手に周りゆっくりとコップを傾けている。
話題はなんてことない雑談なのだが、それをとても楽しい話のように聞くジョン。
なんだか・・・不気味だった。
「あ、そうだ」
思い出した。真っ暗な部屋や色の変わるお酒、ジョンの奇妙な態度ですっかり後回しになっていた事がある。
「弟者は?弟者はどこだよ」
そう、おれは弟者に連れてこられたんだ。
異様に冷えた手の平の温度が記憶に蘇る。しかし、その手を取ってから目覚めるまでの記憶がどうやっても思い出せなかった。
ジョンは目を瞑り眉間に皺を寄せ
「あー・・・今はちょっと出てるんだ」
と言ってそのままコップの中身をまた一口飲む。
「弟者・・・怪我がまだ良くないんじゃないか?体温が低かったし・・何よりなんか苦しそうだった」
いつもちょっと猫背気味ではあった弟者だけれど、あの手を差し伸べてきた時は更に前屈みで・・そう、腹を抱えているようにも見えた。
「術後の経過は完璧さ、それは保障するよ」
ジョンはまた元の笑顔になってじっとこちらを見ている。
なんだか、観察されているようで気味が悪い。
「でも・・・顔色があまり・・・」
そこまで言った所で、ジョンは今までの笑顔をぐらっと崩し、眉を八の字にして「ハァー」
と長いため息を付いた。
「ジョン?」
「いつもいつも”弟者弟者”ってほんとにもう・・・過保護っつーかなんつーか・・」
がたんっ。
ジョンはそう言っていきなり席を立ち、おれの横を通り背中側に周って立ち止まる。
「はいちゅーもーく!」
どこか能天気な声に、振り向く。
それを見て、持っていたコップは地面に落ちて割れてしまった。
「・・・・なんだこれ?」
ジョンの声に振り返った目の前に、つい一瞬前までは存在しなかった風景が広がっている。
赤土の荒野に立つ、白亜の砦。所々から煙や爆発を纏っていて、一目で戦闘中だとわかる。
視点は上空、砦を空から斜めに見下ろしたような感じ。
砦の周りには黒い黒い点が大量に浮かんでおり、それがどうやら砦に対する攻撃勢力らしかった。
空中の攻め手が10程砦に滑空していく。一筋の光が一瞬だけ瞬き、滑空していった攻め手は盛大な爆発に巻き込まれ塵に変わる。砦の屋根には射手がいたのだ。
次に滑空を開始しようとしていた攻め手が、その爆発に怯み少しだけ後退。
余程強力な射手らしい。雑魚だったのかもしれないが、10もの目標を一撃で焼き払うなど並の実力では無い。
一目射手を見ようと目を凝らす。
その前に気がつくべきだった。
あの赤土に立つ砦が、どこか見覚えがある、と。
射手はノム3だった。
「ジョン!!!」
がたりと大きな音と立てて椅子から立ち上がる。
「いやー・・・かははははw」
ジョンは画面に向かって右側に針金みたいな腕を組んで立って哂っていた。
「これは・・・リアルタイム?」
もしかすると、ジョンが作った映像かもしれない。そうあって、欲しかった。
「かはは・・・もちろん」
「なら早く助けに行かないと!!!」
画面の中のノム3はかなり辛そうだった。周りに支援する仲間も見えない。援護も無い。あの大量の敵を相手に、屋根で1人きりだった。
「あー・・・いや、それは困る」
ジョンは腕組みをしたまま
「だって、これはおれがしてるようなモンだから」
そう言って、また「かははw」と哂った。
「え・・・・?ええ?」
今、ジョンはなんて・・・・?
「だから、これはおれがやってんの、かははははw」
ジョンの楽しくて仕方ないみたいな表情に比べて、今の自分の顔はどうなっているのだろうか?かなりのマヌケ面になっているのは間違いないのだろうが。
喉の奥がひりひりする。膝の裏や腰がぞっとする。
「だって・・・ジョン・・・ノム君1人だぜ?」
考えがまとまらずよくわからない事が口から漏れる。
「いやー、あの砦には・・えーーと・・・ノム君にバージル君にkr君にニレちゃんにめぐーに悪女ちゃんに司っぴにすまっぴに無ちゃんにのりちゃんがいるぜぃ」
「みんなを・・・どうするつもり・・なんだ?」
脳はまだよく理解していない。よく解っていない。
だって、ジョンだ。弟者の実弟。弟者を助ける為に日夜研究を続けていた。弟者が元気だった頃は、力を合わせて戦いもした。
みんなで馬鹿話をした。楽しかった。
ジョンだ。そのジョンが敵だと云う事を、脳は理解できていない。
「いや、皆殺しにしようかなって、かははははw」
苦笑、とも取れる笑顔に向けて刃が走る。
脳は理解できなくても、体は反応してしまっていたらしい。
「かははwこりゃあなんだい?わらにぃ」
剣先をぴんっと人差し指で弾いて哂う。
「や・・・止めるんだ」
どうしても、そのまま剣を突き立てれずに喉元で刃は止まる。
おれは気まずい事この上なく、情けない事にジョンの顔を見れないまま俯いて声を絞り出した。
「かはははははっw止めなきゃどうすんだ?ええ?髭でも剃ってくれちゃうの?ww」
かはは、かはは、と悪魔は身を捩って哂う哂う。
「脅しじゃないぞ!」
言ってから”それはチンピラのセリフだ”と軍曹に言われた事を思い出す。
”抜いたら斬れ”とも。
悪魔は、左目に浮かんだ涙をひぃひぃ言いながら指で掬い
「あー・・・笑った笑ったwわらにぃ殺すつもりかよ」
と言って持っていたボトルを口に運ぶ。
(あんなもの、持ってたっけ?)
的外れな考えが脳裏をよぎったとき、ジョンの姿が一際大きく照らされた。
「!?」
巨大な画面に映されていた砦に、変化が起きたのだ。
そこには、天を貫くような大きな火柱が一本。
徐々に火柱は細くなり、ただの光になって消える。そこに現れたのは二人の友人。
1人は体の殆どを機械化した幻影最強の騎士。
1人は弟と呼び、自分の失態で廃人にしてしまった黒衣の魔術師。
魔術師は宙に浮き、騎士は砦の屋根。
煤けた空を挟んで睨みあう。
魔術師は狂ったように微笑み、騎士は苦虫を噛み潰したように顰めた。
「弟者!ノム3!!」
ジョンを片手で払いのけ、巨大な画面に張り付く。
画面はまるでTVのブラウン管のように冷たく、硬かった。
あんなに顔色が悪かった弟者の顔には生気が満ち、自身の周りに黒くて歪な刃をいくつも漂わせる。
いつも不機嫌そうなノム3は、その顔をいつもの二倍くらいに顰めて右の手の平を宙に翳す。
先程の火柱は、宣戦布告だったと知った。
「ああ・・・あ・・・・」
目の前、と言えば語弊があるかもしれないがそれはまさしく目の前で起きた。
戦いの火蓋。
弟者は空中に漂っていた黒い捩れた刃をノム3に撃ち下ろす。
ノム3はそれを一つ一つ狙い撃って、その隙間から弟者を射殺そうとする。
衝突する二人のエーテルで、画面はときおり真っ白になるほど。
至近距離で撃ち落した為に黒刃の破片がノム3の頬を裂く。
撃ち落しきれずに弾幕を抜けてきたエーテルの槍が弟者のローブの端に穴を空ける。
手加減なんて、そこには欠片だってなかった。
「弟者・・・やめろよ・・ノム3も・・やめ・・・」
喉がひくついて大きな声が出ない。まぁ、TV画面に大声出しても意味はないのだけれど。
「いやぁ、聞こえててもアレは止めねぇよwかはははははw」
イラつく笑い声だった。しかも”アレ”?”アレ”ってなんだ?
激しい弾幕の張り合いは、このままずーっと続くかと思えた。それ程両者の実力は伯仲していた。
が、それを塗り替える出来事が起きる。
いきなり弟者の体に3つの穴が開いたのだ。
「弟者!!!」
致命傷だ。この離れた視点の画面ですら、弟者の胸に空いた穴から向こうの空が見える。
弟者は胸に空いた穴を左手で押さえてゆっくりと・・・・落ちてはこなかった。
ただ、キッと砦を睨む。
「あー?なんか居たかな?」
ちょっと視点変更っと、とジョンが言い、手を画面に翳すと弟者の背後からの視点に切り替わる。
視線の先にいたのは・・・
「あぁ、めぐちゃんかー忘れてたwwww」
パンパンと手を叩き、納得したと言わんばかりのジョン。
そこには確かに、自身より長大な対戦車ライフルを三脚で支え、それを2Fの窓枠から突き出すように構えためぐちゃんがいた。
その表情は能面のように硬い。戦闘モードになっているのが一目で見て取れる。
ノム3に援軍だ!
これで2対1。
「めぐちゃ・・・」
その援軍の名を呼ぼうとした時、弟者に変化があった。
両手を空に向けて挙げ、また黒い刃を生み出す。
今までと違ったのは、その黒い刃の大きさがノム3と撃ち合っていた時のモノとくらべて10倍程大きかった事だ。
めぐちゃんを睨む弟者。
射殺そうと雷撃の荒らしを弟者に降り注ぐめぐちゃん。
弟者は無数の穴を胸や腕に開けられているのにも関わらず、まったくの無表情で振り上げた両手を
「めぐちゃんにげ―」
下ろした。
砦に黒くて尖った何かが突き刺さっている。
2Fの一つの部屋をそのまま抉り潰すように。
「はい、ごしゅーしょーさまだ。かはははwあそこに居た人は死にました。でっどえーんど!!!王大人死亡確認ってなwwwwかはははははw」
ぱちぱちぱちと拍手が聞こえる。手を打っているのはもちろん、悪魔。
「ジョン!!!なんでだ!!!!」
画面を背に、悪魔と向き合う。
悪魔は「理由?うーん」と唸り、腕を組んで考えだした。
「なんでこんな!!・・・こんな酷いこと・・・」
右手に血が滲む程、剣を握り締める。
ジョンは”あそこに居た人は死にました”と言った。あそこに居た人・・・めぐちゃん・・・・。
「あー・・・うーん・・・」
あーでも無いこーでも無い、と頭を捻るジョン。
突然その頭がぐぃと上がり、悪魔はその理由を言った。
「楽しそうだと思ったから?」
腕の一本くらいもぎ取ってやろうと、剣をジョンに振りかざした。
無味無臭の朝、なんてものがあればきっとそれは今みたいな時だろう。目が覚める原因となったものが何一つ無い、完全な自然起床。尤も、今は朝では無いはずだ。今の記憶に至った過程を思い起こす。自分は何故”目覚め”なければならなくなったのか。
それよりも、だ。
それよりも最初にしなければならない事がある。それは、目を開くことだ。
確かに、集中して考え事をするときには目を瞑る。それは視覚情報をカットして、余計な事に頭を使わせない為だ。思考能力を余すところ無く使いたい時、目を瞑って思考する事になる。
だが、今はそんなに悠長に構えている時では無いように思う。理由は、”目覚める”事になった原因を突き止めるに至っていない事なのだが・・・。
まぁいい。とりあえず現状を知らなければまずかろう。
目を開こう。
目を開かなければ。
おかしかった。
何がおかしいって、どうやら自分はいつからか知らない内に目を開いていたようなのだ。目蓋が下りて、また上がる感覚がある。筋肉の動きを感じられる。
なのにもかかわらず、世界はいまだ目を閉じた時のように真っ暗だった。一応、体の感覚が麻痺している可能性を考えて左手を顔の前まで持ってくる動きをする。
左腕はまったく問題なく、顔の前まで持ち上がった。はずだ。
見えないからわからないのだけれど、自分の腕の感覚は完璧にある。腕はそこにある。
でも、見えない。仰向けに寝ているはずなのに、空も何も。
左手を顔に近付ける。まったく見えない。もしかすると自分はもう死んでしまっているのではないだろうか?
中指がつい、と眉間に触れた。どうやら、先程の考えは思い過ごしのようであった。
安堵したのも束の間、そんなに目の前にあるはずの手の平が見えない。
つつつ、とそのまま指を滑らすと左手の人差し指が眉毛に触れる感触。中指は丁度両眉の間、鼻筋の上だ。
今自分の視界は左手の手の平によって制限されている。のにも関わらず、やはり視界は左手を上げる前とまったく変わらない。
そのままさらに左手を動かす。人差し指が目蓋の縁、左目の眼球寸前まで降りる。
そのまま、左目に触れてみた。
微かな違和感と共に左手の人差し指が眼球に触れる感触がした。
目は、開いていた。
「あぁ、暗かったか。ごめんよ」
突然声が聞こえた。その声はどこかで聞いたことがある・・・なんてレベルでは無く、そう・・・旧知の声。
耳元で普通に喋られたようでもあり、遠くから聞こえてきたようでもある、不思議な声。方向は・・・わからない。
「光を」
声の主がそう言うと、天井だか空だかわからない・・・とにかく頭の上から光が射した。
一組の少し大振な丸机と、二つの椅子。どちらも木製で、なんだか酷く暖かく感じた。
「”光あれ、するとそこに光があった”か。かはは、神みてぇだろ?」
自分から見て奥の椅子には、針金を思わせる痩身の男が座っていて、真っ赤に充血した目でこちらを見ながら両手を大仰に広げて哂った。
そのボロボロの白衣、その天を突くような髪、その痩身、その人を食ったような哂い方。
自分には覚えがあった。
「ジョン・・・・」
またの名を”白谷の悪魔”
悪魔は名前を呼ばれると、にっこりと微笑んだ。
「ジョン・・・ここは?」
促されるままに椅子に座ってジョンと正対する。
丸机の上にはスコッチと、適当に割ったと思われる氷が一つ入った透明なガラスコップが二つ。四角い銀色の灰皿が一つだけ乗っている。
「まぁまぁ、とりあえず一杯飲みねぇ」
ジョンは質問には答えず、おれのコップにスコッチのビンを傾ける。
「あぁ・・・悪いね」
そう言いながら手に持ったコップを見てぎょっとする。
中に注がれたスコッチは、真っ青だったからだ。
「なんだ・・・・?青色一号?」
つい最近発売されて少しだけ話題になった飲み物に使われていた着色料。発がん性物質を含むらしい。
よぼどマヌケな声を出してしまったらしい。
ジョンは一瞬だけ真顔になり、それから無邪気に笑った。
「かはははははははw」
「なんだよぅ」
もしかすると、今この飲み物は流行っているのかもしれないな、と思った。
知らなかった事を自然と恥じて、憮然とした声を出してしまう。
ジョンはまだ顔に微笑を浮かべたまま、自分のコップにも青色の液体を注ぐ。
「いやいやwそっか・・・わらにぃにはそう見えるのか・・・」
「・・・?」
「ほい、これでどう?」
ぴっとおれのコップを人差し指でジョンが指す。つられてコップを見ると、液体は琥珀色に変わっていた。
「おおおお!?」
「じょんずまーじーっく!かははははw」
コップを手に取り、上から注ぐ光に透かしてみる。液体は綺麗な琥珀色だった。
「これ・・・飲めるんだろうな・・・・」
「大丈夫だってw」
くふふ、と笑いを零しながらジョンは毒見をするように一口飲む。
「ほら、なんともないw」
また大仰に両腕を開いて微笑む。
それをジト目で睨んで、やっと一口目を飲む事にした。
コップは一度空になり、タバコは3本目。
いつも饒舌なジョンは、今日に限って聞き手に周りゆっくりとコップを傾けている。
話題はなんてことない雑談なのだが、それをとても楽しい話のように聞くジョン。
なんだか・・・不気味だった。
「あ、そうだ」
思い出した。真っ暗な部屋や色の変わるお酒、ジョンの奇妙な態度ですっかり後回しになっていた事がある。
「弟者は?弟者はどこだよ」
そう、おれは弟者に連れてこられたんだ。
異様に冷えた手の平の温度が記憶に蘇る。しかし、その手を取ってから目覚めるまでの記憶がどうやっても思い出せなかった。
ジョンは目を瞑り眉間に皺を寄せ
「あー・・・今はちょっと出てるんだ」
と言ってそのままコップの中身をまた一口飲む。
「弟者・・・怪我がまだ良くないんじゃないか?体温が低かったし・・何よりなんか苦しそうだった」
いつもちょっと猫背気味ではあった弟者だけれど、あの手を差し伸べてきた時は更に前屈みで・・そう、腹を抱えているようにも見えた。
「術後の経過は完璧さ、それは保障するよ」
ジョンはまた元の笑顔になってじっとこちらを見ている。
なんだか、観察されているようで気味が悪い。
「でも・・・顔色があまり・・・」
そこまで言った所で、ジョンは今までの笑顔をぐらっと崩し、眉を八の字にして「ハァー」
と長いため息を付いた。
「ジョン?」
「いつもいつも”弟者弟者”ってほんとにもう・・・過保護っつーかなんつーか・・」
がたんっ。
ジョンはそう言っていきなり席を立ち、おれの横を通り背中側に周って立ち止まる。
「はいちゅーもーく!」
どこか能天気な声に、振り向く。
それを見て、持っていたコップは地面に落ちて割れてしまった。
「・・・・なんだこれ?」
ジョンの声に振り返った目の前に、つい一瞬前までは存在しなかった風景が広がっている。
赤土の荒野に立つ、白亜の砦。所々から煙や爆発を纏っていて、一目で戦闘中だとわかる。
視点は上空、砦を空から斜めに見下ろしたような感じ。
砦の周りには黒い黒い点が大量に浮かんでおり、それがどうやら砦に対する攻撃勢力らしかった。
空中の攻め手が10程砦に滑空していく。一筋の光が一瞬だけ瞬き、滑空していった攻め手は盛大な爆発に巻き込まれ塵に変わる。砦の屋根には射手がいたのだ。
次に滑空を開始しようとしていた攻め手が、その爆発に怯み少しだけ後退。
余程強力な射手らしい。雑魚だったのかもしれないが、10もの目標を一撃で焼き払うなど並の実力では無い。
一目射手を見ようと目を凝らす。
その前に気がつくべきだった。
あの赤土に立つ砦が、どこか見覚えがある、と。
射手はノム3だった。
「ジョン!!!」
がたりと大きな音と立てて椅子から立ち上がる。
「いやー・・・かははははw」
ジョンは画面に向かって右側に針金みたいな腕を組んで立って哂っていた。
「これは・・・リアルタイム?」
もしかすると、ジョンが作った映像かもしれない。そうあって、欲しかった。
「かはは・・・もちろん」
「なら早く助けに行かないと!!!」
画面の中のノム3はかなり辛そうだった。周りに支援する仲間も見えない。援護も無い。あの大量の敵を相手に、屋根で1人きりだった。
「あー・・・いや、それは困る」
ジョンは腕組みをしたまま
「だって、これはおれがしてるようなモンだから」
そう言って、また「かははw」と哂った。
「え・・・・?ええ?」
今、ジョンはなんて・・・・?
「だから、これはおれがやってんの、かははははw」
ジョンの楽しくて仕方ないみたいな表情に比べて、今の自分の顔はどうなっているのだろうか?かなりのマヌケ面になっているのは間違いないのだろうが。
喉の奥がひりひりする。膝の裏や腰がぞっとする。
「だって・・・ジョン・・・ノム君1人だぜ?」
考えがまとまらずよくわからない事が口から漏れる。
「いやー、あの砦には・・えーーと・・・ノム君にバージル君にkr君にニレちゃんにめぐーに悪女ちゃんに司っぴにすまっぴに無ちゃんにのりちゃんがいるぜぃ」
「みんなを・・・どうするつもり・・なんだ?」
脳はまだよく理解していない。よく解っていない。
だって、ジョンだ。弟者の実弟。弟者を助ける為に日夜研究を続けていた。弟者が元気だった頃は、力を合わせて戦いもした。
みんなで馬鹿話をした。楽しかった。
ジョンだ。そのジョンが敵だと云う事を、脳は理解できていない。
「いや、皆殺しにしようかなって、かははははw」
苦笑、とも取れる笑顔に向けて刃が走る。
脳は理解できなくても、体は反応してしまっていたらしい。
「かははwこりゃあなんだい?わらにぃ」
剣先をぴんっと人差し指で弾いて哂う。
「や・・・止めるんだ」
どうしても、そのまま剣を突き立てれずに喉元で刃は止まる。
おれは気まずい事この上なく、情けない事にジョンの顔を見れないまま俯いて声を絞り出した。
「かはははははっw止めなきゃどうすんだ?ええ?髭でも剃ってくれちゃうの?ww」
かはは、かはは、と悪魔は身を捩って哂う哂う。
「脅しじゃないぞ!」
言ってから”それはチンピラのセリフだ”と軍曹に言われた事を思い出す。
”抜いたら斬れ”とも。
悪魔は、左目に浮かんだ涙をひぃひぃ言いながら指で掬い
「あー・・・笑った笑ったwわらにぃ殺すつもりかよ」
と言って持っていたボトルを口に運ぶ。
(あんなもの、持ってたっけ?)
的外れな考えが脳裏をよぎったとき、ジョンの姿が一際大きく照らされた。
「!?」
巨大な画面に映されていた砦に、変化が起きたのだ。
そこには、天を貫くような大きな火柱が一本。
徐々に火柱は細くなり、ただの光になって消える。そこに現れたのは二人の友人。
1人は体の殆どを機械化した幻影最強の騎士。
1人は弟と呼び、自分の失態で廃人にしてしまった黒衣の魔術師。
魔術師は宙に浮き、騎士は砦の屋根。
煤けた空を挟んで睨みあう。
魔術師は狂ったように微笑み、騎士は苦虫を噛み潰したように顰めた。
「弟者!ノム3!!」
ジョンを片手で払いのけ、巨大な画面に張り付く。
画面はまるでTVのブラウン管のように冷たく、硬かった。
あんなに顔色が悪かった弟者の顔には生気が満ち、自身の周りに黒くて歪な刃をいくつも漂わせる。
いつも不機嫌そうなノム3は、その顔をいつもの二倍くらいに顰めて右の手の平を宙に翳す。
先程の火柱は、宣戦布告だったと知った。
「ああ・・・あ・・・・」
目の前、と言えば語弊があるかもしれないがそれはまさしく目の前で起きた。
戦いの火蓋。
弟者は空中に漂っていた黒い捩れた刃をノム3に撃ち下ろす。
ノム3はそれを一つ一つ狙い撃って、その隙間から弟者を射殺そうとする。
衝突する二人のエーテルで、画面はときおり真っ白になるほど。
至近距離で撃ち落した為に黒刃の破片がノム3の頬を裂く。
撃ち落しきれずに弾幕を抜けてきたエーテルの槍が弟者のローブの端に穴を空ける。
手加減なんて、そこには欠片だってなかった。
「弟者・・・やめろよ・・ノム3も・・やめ・・・」
喉がひくついて大きな声が出ない。まぁ、TV画面に大声出しても意味はないのだけれど。
「いやぁ、聞こえててもアレは止めねぇよwかはははははw」
イラつく笑い声だった。しかも”アレ”?”アレ”ってなんだ?
激しい弾幕の張り合いは、このままずーっと続くかと思えた。それ程両者の実力は伯仲していた。
が、それを塗り替える出来事が起きる。
いきなり弟者の体に3つの穴が開いたのだ。
「弟者!!!」
致命傷だ。この離れた視点の画面ですら、弟者の胸に空いた穴から向こうの空が見える。
弟者は胸に空いた穴を左手で押さえてゆっくりと・・・・落ちてはこなかった。
ただ、キッと砦を睨む。
「あー?なんか居たかな?」
ちょっと視点変更っと、とジョンが言い、手を画面に翳すと弟者の背後からの視点に切り替わる。
視線の先にいたのは・・・
「あぁ、めぐちゃんかー忘れてたwwww」
パンパンと手を叩き、納得したと言わんばかりのジョン。
そこには確かに、自身より長大な対戦車ライフルを三脚で支え、それを2Fの窓枠から突き出すように構えためぐちゃんがいた。
その表情は能面のように硬い。戦闘モードになっているのが一目で見て取れる。
ノム3に援軍だ!
これで2対1。
「めぐちゃ・・・」
その援軍の名を呼ぼうとした時、弟者に変化があった。
両手を空に向けて挙げ、また黒い刃を生み出す。
今までと違ったのは、その黒い刃の大きさがノム3と撃ち合っていた時のモノとくらべて10倍程大きかった事だ。
めぐちゃんを睨む弟者。
射殺そうと雷撃の荒らしを弟者に降り注ぐめぐちゃん。
弟者は無数の穴を胸や腕に開けられているのにも関わらず、まったくの無表情で振り上げた両手を
「めぐちゃんにげ―」
下ろした。
砦に黒くて尖った何かが突き刺さっている。
2Fの一つの部屋をそのまま抉り潰すように。
「はい、ごしゅーしょーさまだ。かはははwあそこに居た人は死にました。でっどえーんど!!!王大人死亡確認ってなwwwwかはははははw」
ぱちぱちぱちと拍手が聞こえる。手を打っているのはもちろん、悪魔。
「ジョン!!!なんでだ!!!!」
画面を背に、悪魔と向き合う。
悪魔は「理由?うーん」と唸り、腕を組んで考えだした。
「なんでこんな!!・・・こんな酷いこと・・・」
右手に血が滲む程、剣を握り締める。
ジョンは”あそこに居た人は死にました”と言った。あそこに居た人・・・めぐちゃん・・・・。
「あー・・・うーん・・・」
あーでも無いこーでも無い、と頭を捻るジョン。
突然その頭がぐぃと上がり、悪魔はその理由を言った。
「楽しそうだと思ったから?」
腕の一本くらいもぎ取ってやろうと、剣をジョンに振りかざした。