澤 竜次『ブルジョワの午後』

ミュージシャン澤 竜次のブログ。

時には昔の話を。

2017-06-10 01:44:26 | ブログ
2月に黒猫チェルシーのニューアルバム「LIFE IS A MIRACLE」を発売して、そのツアーが先日終わった。
各地ツアー、それからリリースイベントなどにも足を運んでくれた皆さん、本当にありがとう。
5ショット撮影も照れ臭かったけど、楽しかったなあ。
燃え尽きた。



俺セレクトのツアー会場BGMはこんな感じ。





・「No More Fighting Cats, OK?」/Des Ark
・「Bumblebeee」/Kasabian
・「Ignoreland」/R.E.M
・「Frivolous Tonight」/XTC
・「Charlotte's Room」/Martin Newell
・「No Tomorrow/Suede
・「I'm All Over It」/Jamie Cullum
・「Drive Me Down」/Velvet Crush
・「I Don't Want Control Of You」/Teenage Fanclub
・「Let's Be Other People」/The Wonder Stuff
・「Turn It Up」/Blur
・「Moonage Daydream」/David Bowie
・「Wake Up」/Arcade Fire
・「Dear Prudence」/The Beatles
・「The Diary Of Horace Wimp」/Electric Light Orchestra
・「Play The Game」/Queen
・「Teenage FBI」/Guided By Voices
・「This Charming Man」/The Smiths
・「Life on Mars?」/David Bowie




良い曲ばっかりでしょ。
こちらも楽しんで貰えたなら幸い。




そしてツアーでも言って来たけど、黒猫チェルシーは今年の3月で結成10年を迎えた。
恥じらいも誇張もなく、ただただ「10年か。」という気持ち。
「もう10年か。」でも「まだ10年か。」でもない。
大々的に言っていないのはそういうメンバーの気持ちもありつつだけど、勿論意識はしている。


あとだいぶ時間が経ったけど、ちょうど結成10年の時期に開催した3月21日の神戸マージービート&バックビートのビルでの黒猫チェルシー企画、1週間前の告知にも関わらず来てくれた全ての皆さん、急な誘いにも関わらず出演してくれた皆さん、それから今はマージーを離れて別の仕事をしているにも関わらず、細かい所まで気を遣って協力してくれた柴藤さん、本当に本当にありがとうございました。



俺らにとっても大切な日だったので改めて。





言葉にし尽くせないけど簡単に説明すると、マージービートとバックビートは黒猫を結成する前から俺とけーちゃんは中学時代から前のバンドで出演していて、バンド活動の拠点のほぼ全てだった。

黒猫結成後、初めてライブをした場所もバックビートだった。
日テレの「音燃え!」という番組への応募を薦めてくれたのも当時バックビートの店長、西山さんだった。
後のデビューのキッカケ。

協力してくれてバーカウンターも担当してくれた柴藤さんは、黒猫を組む直前に俺が高1の時にけーちゃんとやっていたCrazyという前のバンドをやっていた時にあのビルの店員として働き始めた。
その後高2で黒猫を組んでからは、柴藤さんがブッキングを担当するようになり、当日出演してくれたクワレアルギ筆頭にあのビルでの交友が一気に増えた。
あの企画に出演してくれた人達は皆その頃から知っている。
メンバーやバンドが変わったり、形が変わったりはしているけど。

柴藤さんがいなければ当時神戸のあの界隈のバンド達の盛り上がりは絶対にあり得なかったし、刺激しか無かった。
俺らも刺激を与える事に必死だったし。

そう、黒猫結成のキッカケもあのビルだったな。

俺らが上京して2年程経った頃、柴藤さんがマージーを離れると連絡をくれた。
当時マージーでは女王蜂やキュウソネコカミが出演していた頃で、女王蜂の噂はよく聞いていてライブも当時初めて観た。
勿論ブッキングが全てとは言わないけど、あのビルに集めて引き合わせる役割は柴藤さんだし、常に面白いバンドが集まる事に感動していたし、誇りに思わせてくれた。
もっと頑張らないと、とも思った。
でもそんな柴藤さんが離れてしまう事が本当に寂しかったし、どうなってしまうんだろうと思った。

それでも、その後もマージーやバックビート、スタークラブで特別な企画がある際には柴藤さんが関わってくれて、黒猫含め当時のバンド達が集った。


なので、あそこは特別な場所なのだ。








そして、久々のフルアルバムを作り終えてツアーも終え、ようやく自分達の手から色んな人の手にアルバムが渡っているのだという実感を得ている。

正直、もっと買って欲しいし買われるべきだけど。
しかし少なくとも、本気で大切に聴いてくれる人達がいるという事を肌で実感出来た事が純粋に嬉しかった。
こういう風に悔しさとか怒りよりも、前向きに考える事を覚えた俺は、どうだろうか、くだらない大人になりつつあるのか。
誇っているけど。

4年半前はこんな事感じられなかった。「HARENTIC ZOO」は素晴らしいアルバムだけど、あの時の自分は色んな事を消化し切れていなかった。
それに、思い返せば当時の黒猫に4年半後なんて無かった。


もっと言えば、結成した10年前には10年後なんて、まっさらさらに無かった。



ここまで書いて、回想に走るか話を進めるか迷ったのだが、回想してみようと思う。
結成してから10年が経ったし、色々頑張った事だってちょっとはあるし、多少のノスタルジーに付き合ってくれたって良いでしょう。

このブログはそういうもので良い。















10年前。


元を辿れば俺が入試目前で兵庫県立伊川谷北高等学校から、兵庫県立鈴蘭台高等学校へと志望校を変えた時点から始まる。

志望校を変えた理由は、一瞬は憧れたブレザー制服が急に嫌になったという事と、仲の良い友達が一緒の方が楽しそうだと思ったから。

仲の良い友達の中の1人は黒猫チェルシーのドラマー、けーちゃんだ。



無事試験に合格したのち、けーちゃんを含め小中学生の頃から仲良しの3人が同じクラスに配属された。

入学式当日、体育館の場所が分からず入学式に遅刻した俺は、その後の学校生活も遅刻及び早退、及び欠席を繰り返し、その堂々たる姿勢を評価され、何と学年最優秀生の称号を授かり、2年間をもって誰よりも早く卒業する事になるのだが。



その短い期間で仲良くなった、あまりにも少な過ぎる友達の中の1人が、黒猫チェルシーのボーカリスト、渡辺だ。




入学式から数日後、けーちゃんと三宮のイシバシ楽器へ出向いた際に何となく見覚えのある色白で猫背の猿みたいな人物が、挙動不審にギターの弦を物色している現場に遭遇した。
どうやら同じクラスの人物だ、とけーちゃんの耳打ちで知る。


その人物こそが、渡辺である。




同じクラスにいても特に会話をするような仲でも無く関わりが無かったが、けーちゃんがすぐに親しくなっていた。


その事を俺はあまり良くは思っていなかった。


何故なら俺は、小中学生から仲の良い2人とそれまでと同じように、バカみたいな事で小さく盛り上がっていられればそれだけで良かったからだ。
というより、それしか楽しみが無かったから2人に新しい友達を増やされると1人で居る時間が増えるので、都合が悪かったのだ。

残念ながら、俺らの高校には軽音楽部が無かった。

なので、ロックを演奏したい俺達生徒諸君は軽音楽部を新たに創設すべくあらゆる先生達に直談判したが、結局実現出来ずに日々その事について愚痴を垂れていた。
その中に、渡辺がいた。



ただ1つ、「ギター部」というエレキギター禁止のフォークギター部があった。



念の為にいうがこれは、2000年代も中盤を過ぎた時代の話だ。



そして、ロックをやりたい連中はそのギター部を乗っ取って軽音楽部へと変えるべく、渋々入部する。

不思議な事にギター部は、エレキベースは許され、エレクトリックアコースティックギターをアンプに繋いで鳴らす事は許されていた。
ドラムは学園祭以外は禁止なので、練習では雑誌を積んだ自作のドラムセットで演奏していた。



もう一度言うが、これは2000年代も中盤を過ぎた時代の話だ。


その後渡辺は、”日本版ビッグバンズ”という名のバンドをギター部の連中と組み、人生初めてのライブを行う事になる。

ドラムはけーちゃんだった。

会場は、神戸マージービート。
高校生限定のコンテストイベントだった。


そのバンドのメンバーはけーちゃん以外は皆初めてのステージだった事もあり、正直全く期待せずに観に行った。
友人としての付き合いで。
乗り始めたばかりのスーパーカブで、神戸の片田舎から三宮まで。



ライブ直前のサウンドチェックは、聞き慣れたドラムの音と緊張したギターとベースの硬い音。

そこへ渡辺が、見馴れたステージの真ん中へ立つ。
メンバーは全員、学生服を着ている。




「ダサい。安直過ぎるやろ。」




と思った。


しかし、真ん中に立つ渡辺は足を開いて目をひん剥いて堂々と歌っている。
普段は何を喋っているのか分からないような奴だったのに。

曲もスリーコードで分かりやすい。


次第に俺は略奪心を覚えた。
これで俺がギターを弾けば、”完璧”だと。

3ピースバンドをやっていた俺にとってステージの真ん中に立つ渡辺の姿は、あまりにもしっくり来て最後のパズルのようにはまったのかもしれない。



ライブが終わった直後、隣に居た同じくギター部に所属する友人に、



「俺、渡辺とバンドやるわ。」



と宣言した。



ライブハウスを出ると、螺旋階段で汗を拭く渡辺が見えた。
そこで俺は、




「お疲れさん!バンドやろうや!」






と3階に向かって言った。



すると、その言葉に応えるように渡辺は精一杯、











「°##&?=🎶¥×%$\○♪*%#℃¥€♬+!!」










と言ってくれた。







俺はスーパーカブのエンジンを掛けながら、新たなバンドへの想いを巡らせ、ニヤニヤと笑みを浮かべて走り出した。


























と、始まりはこんな感じだった。





結成10周年イヤー、まずは小ぢんまりと祝いつつ、盛り上げて行こうと思う。


誰にってわけじゃないけど、ありがとう。



ちなみに本文にがっちゃんだけ出て来てないけど、付き合いが長過ぎて書くと長くなるので、また気が向いたら。









それでは、おやすミッドナイトシャッフル。