前回書いた、土曜日の会合でのことです。
ひととおり終わっての帰り際、さそってくださった方にあいさつにうかがいました。
まわりに大勢の方がいらっしゃったので、顔を見せるだけでもと思っていたところ、「どうだった?」と直接尋ねられたので、とっさに「勉強になりました」とつい答えてしまいました。
お金払って勉強しに行っているので間違いではないんですが。
するとすぐさま、「おいおい、そんなありていな感想だけで済ますなよ」とたしなめられました。
あわててメモを思い出しながら具体的なポイントを挙げながら説明して納得していただきましたが・・・。
いわれてみれば、「勉強になりました」という言い回しは、勉強になっててもなってなくても言えます。思いが入っていないぶっきらぼうな答え方だなと反省しました。
勉強会に出ておいて「勉強になりました」という感想は、ラーメン食べておいて「ラーメン食べました」に近い感覚ですね。
会話を続ける気が失せてしまう悪い返事です。
そういうところをすぐに注意してくださる方はありがたい存在です。
わたしには、自分の喜怒哀楽を強くアピールする表現を良しとしない主義があるようなので、コミュニケーションの場面では判りやすい自分であるように意識する必要があることを再確認しました。
ひととおり終わっての帰り際、さそってくださった方にあいさつにうかがいました。
まわりに大勢の方がいらっしゃったので、顔を見せるだけでもと思っていたところ、「どうだった?」と直接尋ねられたので、とっさに「勉強になりました」とつい答えてしまいました。
お金払って勉強しに行っているので間違いではないんですが。
するとすぐさま、「おいおい、そんなありていな感想だけで済ますなよ」とたしなめられました。
あわててメモを思い出しながら具体的なポイントを挙げながら説明して納得していただきましたが・・・。
いわれてみれば、「勉強になりました」という言い回しは、勉強になっててもなってなくても言えます。思いが入っていないぶっきらぼうな答え方だなと反省しました。
勉強会に出ておいて「勉強になりました」という感想は、ラーメン食べておいて「ラーメン食べました」に近い感覚ですね。
会話を続ける気が失せてしまう悪い返事です。
そういうところをすぐに注意してくださる方はありがたい存在です。
わたしには、自分の喜怒哀楽を強くアピールする表現を良しとしない主義があるようなので、コミュニケーションの場面では判りやすい自分であるように意識する必要があることを再確認しました。