ぼくのブログ

日々思ったことを書きます。

過去の人生から来る欲望

2020-05-31 01:07:45 | 思索
とあるところからの引用です。

( ゚д゚)ハッ!としたので備忘録です。

「過去の人生からくる欲望は、自分を縛り付けるカルマになる。」




うわー、何だか最近そんな気がしてたのですが、やっぱりそうか〜!

過去の記憶などを反芻して欲望を生じさせてたりすると、未来が開けなくなる、ということでしょうかね。

自分でも身に覚えがあり。
時々いつの間にかやってる気がする。。

欲望がどこから来るか、過去か?というところに注意しないと、、要は、上手く行かなくなるってことか。

これは、心がけるどころか、気をつけないといけないレベルのような気がします(^^;

違い

2018-09-10 20:38:17 | 思索

ここに、同じ車が何台かあったとする。

これらは「同じフェラーリだ」と言えば、みな同じフェラーリである。
これらは「みんなクルマだ」と言えば、どれもクルマである。

ところが、同じフェラーリでも原子レベルの大きさに拡大したならば、その原子や分子の組み合わさり方は異なる。

原子レベルでなくても、幅が数μm違うかもしれないし、塗装の厚みがほんのわずか違うかもしれない。

原子と同じくらいの大きさの人がこれらのフェラーリを見たならば、それぞれ、全く違うものに見えるだろう。

しかし、原子そのものを見てみると、同じ粒で出来ており、例えばこのクルマがカーボンで出来てるなら、
「同じカーボンの物体」ということになる。
この場合、鉛筆の芯も、ダイヤモンドも同じってことになる。

つまり、何を基準にするかによって、同じ物であったり、違う物であったりする。

しかし、そこにある何台ものフェラーリは特に何か変わったわけではない。

違いを作ったのはそれを見た存在の意識であり、意識が設けている基準である。

そうでなければ、そこにある物が、同じか違うかなんて決めることが出来ない。

つまり、「違い」という概念は、意識によって作られている。


これが、「分離の意識」なのでしょう。


なので、本来は「同じ」「違う」という概念すら幻想なのかもしれない。

・・・というヒマなことを今日は考えていました。