早稲田松竹が「観たい映画を観客サイドから選んでもらおう!というコンセプトのもと行っている参加型プログラム,第3回ドレミる?シネマ 岩井俊二特集の第1週」に行ってきました。
詳細はWEBサイトにありますが,4月中旬から5月31日までの約1ヵ月半の間に、合計4,128もの票が殺到。あまりの盛り上がりぶりに、当初2作品(1週間のみ)だった上映予定が急遽4作品(2週間)に拡大するという異例の事態に発展しています。
今週は,2位の「Love Letter」と4位の「スワロウテイル」の上映で,来週は,1位の「花とアリス」と3位「リリイ・シュシュのすべて」を上映予定です(なぜか早稲田松竹さんの宣伝みたいになっていますが・・・)。
今週の2作品は以前にも観たことがありますが(「Love Letter」はビデオだったかな),改めて感想を。
「Love Letter」(1995)
岩井俊二監督の劇場用長編映画の第1作と言われる作品(もっともそれ以前にも当初ドラマだった「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」や「PiCNiC」・「undo」等の作品を監督はしている)。
小樽のイメージがとても強かったけれど,改めて観てみると神戸と小樽だったのかって感じです!おそらく関西人の自分が神戸の存在をあまり感じなかったのは,“雪”のイメージが強かったためと思われる(なぜ他人事のような表現になるかはギモン)。
その位,雪・光・風がとても印象に残ります。例えば,中学の図書室で揺れるカーテンや髪,朝焼けに浮かぶ山など挙げ始めればきりがないほどです。
博子の「お元気ですか?私は元気です」という繰り返し山へ叫ぶシーン。
その叫びに込められた,長い時間ずっと自分の胸のうちに秘めてきた想い・・・
複雑で,そしてとても切ない想い・・・
中山美穂さんはこのシーンにそれまでの全ての経験を乗せることができたのではないかとさえ思えます。そのことに劇場用長編映画の第1作で成功した岩井監督に脱帽です。
あえて苦言を呈するとすれば,微妙な関西弁や神戸という街のもつ魅力や空気が薄い(感じられない)点でしょうか。しかし,それを割り引いてもこの映画には他の作品にない清澄な空気が存在していると思うし,何回観ても,というよりはこれから観る方がむしろ良さが見えてくる映画だと言って良いと思う。
柏原崇さんと酒井美紀さんのふたりがあの頃から輝いていたことを再発見できることも何だか嬉しくなるポイントです。
「スワロウテイル」(1996)
就職して生まれて初めて関西を出た頃,観た記憶の強い映画。Akko(MY LITTLE LOVER)の繊細でそれでいてデジタルのなかにあるアナログ的な懐かしさに惹かれていたあの頃を,昨日のように思い出す。
”むかしむかし、円が世界で一番強かった頃、いつかのゴールドラッシュのようなその街を、移民たちは円都(イェンタウン)と呼んだ。でも日本人はこの名前を忌み嫌い、逆に移民たちを円盗(イェンタウン)と呼んで蔑んだ。
ここは円の都、イェンタウン。円で夢が叶う、夢の都。
…そしてこれは、円を掘りにイェンタウンにやって来た、イェンタウン達の物語。”
”胸にアゲハチョウの刺青がある娼婦のグリコ(Chara)は、歌手を夢見ていた。ある夜、数日前に引き取った孤児のアゲハ(伊藤歩)に絡んで来た客とのトラブルが、殺人事件に発展してしまう。恋人フェイホン(三上博史)や仲間達と墓地へ向かい、死んだ客を埋めようとすると、死体の腹の中から一本のカセットテープが出てきた。録音されていたのは、往年の名曲、『マイ・ウェイ』。しかしそのテープには磁気データが仕込まれていた。フェイホンの仲間、ラン(渡部篤郎)によって解読されたデータの中身は、偽札の製造方法だった。かくして円の金脈を掘り起こし、億万長者になったフェイホンは、ライブハウスのオーナーになり、ライブハウスごとグリコにプレゼントする。何もかもが希望に溢れた道が広がる一方で、黒い影が忍び寄る。テープの持ち主であった、マフィアのリョウ・リャンキ(江口洋介)だ。やがてフェイホン達は、黒社会の血なまぐさい抗争に巻き込まれていく。”(早稲田松竹WEBサイトから引用)
賛否両論あったのは当時から知っていますが,僕にとっての岩井俊二といえば「スワロウテイル」ですね。勿論桃井かおりや三上博史の存在感も圧倒的ですが,個人的には伊藤歩が当時とても素晴らしいなと思いました(最近ではサントリーTHE SUNTORY OLD「父の上京」篇が秀逸でしたね。「チェケラッチョ」では誰もが憧れる年上のお姉さん役を自然にこなしていたのも印象的です)。
映像も音楽も実験的な要素が沢山あることも分かるし,そこに議論があるのだと思うけれど,自分的には(アジアや中近東の雰囲気の混在した感じも含め)空気がとても好きです。