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拉致の解決を願って
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第13回藤沢集会13 大沢茂樹さん

2006-01-07 | 藤沢市民集会
『大沢茂樹さんのお話(特定失踪者・大沢孝司さんの兄)』



皆さんこんにちは。
ただ今紹介をあずかりました特定失踪者・大沢孝司の兄、大沢茂樹と申します。
本日は第13回藤沢集会に参加させていただきましてありがとうございます。

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大澤孝司さん(佐渡の曽我さん母子失踪地のすぐ傍で失踪)
失踪年月日 昭和49(1974)年2月24日
生年月日 昭和21(1946)年6月21日
当時年齢 27歳
当時身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
失踪現場 新潟県佐渡郡新穂村

自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。当時事務所には50~60人が勤務、うち15~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我さんと違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。北朝鮮製と思われるマッチが漁の前あたりに落ちていたという。平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
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正直言って私、今日は有本ご夫妻のお話、それと斎藤さんの話、それと荒木先生、高先生のお話を聞くために本日参ったのですが、ここに来たら神奈川の会長から「特定失踪者家族を代表して一言話を」と言われて、非常に困っております。
正直何も考えてきませんでした。
ということで恥をかかない前に簡単にですね。
お話をさせていただきます。
また私の話の前に、本日特定失踪者のご家族が私を含め三家族が来ておりますので、ご紹介させていただきます。

昭和51年の7月30日、神津島で行方不明になられた高野清文さんの妹さんが来ておられます。
高野さん。(高野美幸さん、会場で立ち上がり会釈 会場から拍手)

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高野清文さん
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
当時年齢 19歳
当時身分 電気通信大学2年生
失踪現場 東京都神津島村の民宿から
失踪状況
大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。
※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
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昭和47年の11月1日、東京渋谷区で拉致された生島孝子さんのお姉さんの生島馨子さんがお見えになっておられます。(拍手)
生島さん、大変すみません、時間の都合で帰られたそうです。

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生島孝子さん(脱北者による目撃証言あり)
失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
生年月日 昭和16(1941)年6月14日
当時年齢 31歳
当時身分 港区役所麻布支所交換手
失踪現場 東京都渋谷区

当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
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そしてもう一家族、横浜市戸塚区で拉致された寺島佐津子(てらしま さつこ)さんのお母さんとお父さんが本日参加する予定でございましたが、寺島佐津子さんのお父さんが今朝急に倒れられ、救急車で病院の方に搬送され緊急入院のため、本日お越しになっていません。

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寺島佐津子さん(鎌倉の海岸で失踪)
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
当時年齢 19歳
当時身分 銀行員
失踪現場 神奈川県横浜市戸塚区

失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
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私の弟は昭和49年2月24日に新潟県佐渡島で、曽我さんたちが拉致された真野町の拉致現場から7~8キロしか離れていない、トキの保護センターのある新穂村というところで北朝鮮に拉致されました。
事件当時弟は27歳の独り者で、新潟県庁の出先機関であります、佐渡の農地事務所に勤務する新潟県庁の職員でございました。
今から32年前の事件でございます。
曽我さんたちの約2年半前の事件でございます。

私たちの家族、家族会のご家族も含め年々高齢化して来ております。
ですからもう時間がございません。
一刻も早くこの拉致問題を解決していただかなければならないと思います。
先ほど帰られましたが、生島さんのお母さんは孝子さんの目撃証言も出ており、近々再会出来るものと楽しみにしておりましたが、昨年99歳で残念ながら亡くなっております。

私どもの親も例外ではなく、父親は今現在96歳です。
母親は弟が失踪したショックで体調を崩し、昭和63年に他界しておりませんが、私は父親が元気なうちに弟と一刻も早く再会を果たしてやりたく、このようにしてお話をする機会があれば、微力ではございますが加勢させて頂きます。

私は何が何でも今年中には、小泉さんからこの拉致問題を全面解決していただきたく、今年の1月私の故郷であります新潟県の越後一ノ宮と言う弥彦神社で、今新潟の方は大雪で大変でございますが、2日3日と街頭署名をやり、拉致問題を訴えて多くの方々からたくさんの署名をいただき、また激励やら励ましの言葉をいただき感激して帰ってまいりました。
どうか、私は何が何でも今年中には解決していただきたく、それには更なる皆さま方のご支援とご協力がなければならないと思っています。

どうか今後ともよろしくお願い致します。
ありがとうございました。(拍手)


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