どんな事があっても人を殺して良いと言う事は絶対にありえない。
耳かき店の女性が殺された裁判について考えさせられる点があった。
彼女の勤務していた耳かき店は性的な行為はないものの風俗店と変わらない。
ひざまくらをして耳かきをして高額な金を取る。その職業自体疑問がある。
まじめな仕事とはとても思えないし、資格とかとって行っていた医療か何かではなさそうだ。
他に地道な仕事はなかったのだろうか?親は当たり前の仕事と思っていたのだろうか?
だからと言って逆恨みして殺人をする事は絶対にいけないが、また来てねと言わなかったのだろうか。
売り上げる為に媚を売らなかったと言い切れるのか。
途中でストーカーの様な彼が鬱陶しくなったのではないのか?
その男性の心を、感情を弄んでいなかったのだろうか?それは今となっては分からない。
押尾学被告で薬物でなくなった女性の時も思った。
薬物でなくなった遺族の気持ちは悔しかったり憤りがあるかもしれない。
しかし、妻や子供がいる芸能人と付き合い、押さえつけられて飲まされた訳ではない筈。
それも数回その様な関係が続いている。
もし、私がなくなった人の肉親だったら恥ずかしくて「なぜ早く救急車を呼ばなかったのか」とは言えない。
自分が育てた娘が、不倫して薬を飲んだ。娘の落ち度を恥じると思った。自業自得と思うかも知れない。
そして、その娘を育てた自分の育て方が悪かったと自分を責めさいなむ、そんな気がする。
殺人を擁護する気持ちは一切ないが、原因がなければ結果は生まれない事もある。