「火垂るの墓」を見た。
初見である。
私も妹がいるので、その状況下であったならば・・・などと思うと・・・。
父母にしてもそうだが、高齢の伯母に戦時中の話は聴いているものの、
母方の曽祖父は近衛の職業軍人で御付武官やら大佐であったので資料も多少あるが、
第二次大戦の中盤からは予備役であったし、その息子である私の祖父は会社勤めであったので、
この「火垂るの墓」の世界とは少し違っていたようだ。
一番それに近いのは、昭和8年生まれであった父その人に違いない。
今、私の住んでいる佐賀は、一般には空襲は無かったということで言われているのだが、
そんなことはなく、空襲で家は焼かれて市内の近所ではあるが親戚の家を間借りしていたこととか、
貯金通帳が焼けてしまい、戦後に一銭の金もその分は取れなくて、
父の大学への資金などもおじゃんになった話など散々聞かされている。
私は子供の頃に、名古屋駅近辺や栄などに母に連れられてお出かけした時に、
片腕や片足の無い老人の乞食がいて、その人について母に尋ねると
「傷痍軍人(もしくは、戦争で被害を受けた人)」という説明を受けた。
「傷痍軍人」の意味がわからなかったので、帰宅後に辞書で調べてショックを受けた覚えがある。
子供ながらに、「大変なご苦労の人生だったのかなぁ」と。
戦争下という非常時に守らねばならないものがあり、
生きるためには火事場泥棒さえしなければならない状況を、
子供時代に体験するということは、現代ではなかなか考えられない。
今であれば、親などからの虐待に耐えて生きる為に己を殺すとか、
生きるために盗むという悲しい事実が巷には溢れているようだ。
「誰も知らない」もそういった話だったしね。
初見である。
私も妹がいるので、その状況下であったならば・・・などと思うと・・・。
父母にしてもそうだが、高齢の伯母に戦時中の話は聴いているものの、
母方の曽祖父は近衛の職業軍人で御付武官やら大佐であったので資料も多少あるが、
第二次大戦の中盤からは予備役であったし、その息子である私の祖父は会社勤めであったので、
この「火垂るの墓」の世界とは少し違っていたようだ。
一番それに近いのは、昭和8年生まれであった父その人に違いない。
今、私の住んでいる佐賀は、一般には空襲は無かったということで言われているのだが、
そんなことはなく、空襲で家は焼かれて市内の近所ではあるが親戚の家を間借りしていたこととか、
貯金通帳が焼けてしまい、戦後に一銭の金もその分は取れなくて、
父の大学への資金などもおじゃんになった話など散々聞かされている。
私は子供の頃に、名古屋駅近辺や栄などに母に連れられてお出かけした時に、
片腕や片足の無い老人の乞食がいて、その人について母に尋ねると
「傷痍軍人(もしくは、戦争で被害を受けた人)」という説明を受けた。
「傷痍軍人」の意味がわからなかったので、帰宅後に辞書で調べてショックを受けた覚えがある。
子供ながらに、「大変なご苦労の人生だったのかなぁ」と。
戦争下という非常時に守らねばならないものがあり、
生きるためには火事場泥棒さえしなければならない状況を、
子供時代に体験するということは、現代ではなかなか考えられない。
今であれば、親などからの虐待に耐えて生きる為に己を殺すとか、
生きるために盗むという悲しい事実が巷には溢れているようだ。
「誰も知らない」もそういった話だったしね。