冒険家あっこのワールドたいむず

幼き頃より将来の夢は冒険家。青年海外協力隊、民間会社勤務を経て、目下次の夢へと邁進中!

素晴らしきこの世界~動物との共存編~

2010年11月29日 | 日常@テンコドゴ
自然って、動物って、素晴らしいなあと皆さんお思いでしょう。

だから雄大な自然が広がるアフリカは、

動物がたくさんいるアフリカは、

きっと素晴らしいんだろうなあとお考えでしょう。



確かに、アフリカを見渡せば広大な大地が広がっている!

ここブルキナだって動物の数では負けていないぞ!

実際どんな町に行っても、動物と人間が共存しているんです!

動物と人間の共存・・・

この素晴らしき世界・・・

その模様をちらっと皆さんにお伝えしましょう。



今日昼ごはんを買いに行った時のこと。

いつものように屋台の回りには、ヤギやら豚やら犬やら鶏やら・・・

彼らはその辺に生えている草を一日中食んでいるのだ。

屋台のおばちゃんがサラダ用のレタスを洗っている。

おばちゃん、給水車が来たから少し手を止めてその場を離れた。

するとその辺の草を食んでたヤギが、その延長でサラダ用のレタスを食み出した!

戻ってきたおばちゃん、それを見た瞬間、マトリックス並みに飛び上がり、

そのヤギ相手に見事に華麗な「かかと落とし」を見せてくれた!

一撃をくらったヤギは少しわなないて、よたよたとその場を去って行った。

イスラム教徒のそのおばちゃんは全身布で体を覆っている。

それもあってあんな軽やかに動ける素振り、

今まで一度も見せたことなかったけど、

人間も人間で売り物のレタスを守るのに必死なのだという姿を垣間見た気がした。


そして屋台でいつもご飯をよそってくれる別のおばちゃん。

今日もお鍋にご飯をよそってもらっていると、

おばちゃんの横に鶏が駆け寄ってきた。

するとおばちゃんすかさず鶏を殴り始めた。

ご飯をよそってたそのお玉で・・・

激しく鶏を乱打した後、

何事もなかったかのように引き続きスープをよそい始めた。

そのお玉で・・・


結構人間って、他の動物には容赦ない・・・

私は一生あの「かかと落とし」を忘れない。

鶏を乱打したそのお玉でよそってもらったご飯の味を、私は一生忘れない。

それほどに軽やかで華麗だった「かかと落とし」。

それほどに耳についた鶏のジタバタする音。

おばちゃん達の、生活を守るための防衛手段・・・


素晴らしきこの世界。

動物と人間の共存。

それぞれの、生きて食べていくことの必死さと過酷さ・・・


帰りも道端にはいつものように、牛やロバやヤギや鶏や犬や猫や豚がいて、

人間も同じようにそこにいた。

素晴らしきこの世界。

ああ、素晴らしきこの世界。




コケコッコー!

2010年11月22日 | 日常@テンコドゴ


突然だが、彼らは私の家の裏に住む子ども達だ。

職場に行く途中、必ず彼らに追いかけられる。

最初は追いかけられると理由もなく逃げてしまっていたが、

「なぜ止まってくれないの?」と聞かれ、

そういやあそうだなあと思い、

それからはいつも簡単な交流をして職場に向かう。

結局何人子どもがいるのか、分からない。

いつも家の前で遊んでいるため、

職場に行く時に限らず、

そこを通る度に「アッコ、アッコ!」

と私を呼び止めるのである。

今日もいつも通り呼び止められて、自転車を降りると、

「日本のニワトリはなんて鳴くの?」

と聞いてきた。

「日本のニワトリはコケコッコーと鳴くよー!」

と教えると、

「あはは~本当だあ~!」

とめちゃくちゃはしゃいで喜び出す。

理由を聞くと、今勉強している教科書に、

世界の言葉別にニワトリの鳴き声が載せられていて、

コケコッコーも載っているのだそうだ。

「私達の国ではコッケリコーと鳴くのよ!」

とお姉さん。

フランス語ではそうだが、

ブルキナの人達にも本当にそう聞こえているのだろうか。

ちなみに私には「オエオッオー!」と聞こえる。笑

さて、話は少しそれるがここでニワトリに一言言わせてもらいたい。

ニワトリ、朝の2時半から鳴くのやめてくれー!!

赴任した当初、不眠症になるかと思った。

というのは隣の家がニワトリを飼っていて、

朝の2時半から鳴き始めるからだ。

タイミング悪くその時間帯に目を覚ましてしまうと、

もう寝られない。

でも2時半から鳴き始めるのは、

何も隣の家のニワトリだけじゃない。

ニワトリのコミュニケーション力、すごいなあと感心するのだが、

お互いの鳴き声に呼応するように、

市内全域でニワトリが鳴き続けるのだ。

何をそんなに話すことあるのかなと思うくらい、

毎日2時半に規則正しく起きだして、

市内のニワトリが一斉に鳴き合うのだ。

でも最近は静かだ。

というか定期的に静かな夜が来る。

その時は、ああ、調理されたんだなあと思う。


まあニワトリ話はこれくらいにして、

今日彼らと話して、改めて『教育』ってすごいなあと思った。

この子ども達も、こうやって他の国のことを知って、

そこでは違う言葉が話されていて、

違う生き方や考え方があるということを学んでいくんだなあと思った。

そしてやっぱり「知る」って、

人間にとっては楽しくて嬉しいものなんだなあと感じた。

同時に、今日のように、教科書の中の知識でしかなかったことが、

実際に日本人の口から音で「コケコッコー」と聞いた経験が、

彼らの中に何らかの影響を与えていってくれたらと強く願った。


床屋さんにて。

2010年11月16日 | 日常@テンコドゴ
今日はイスラム教の祝日。

イスラム教徒にとっては大切なイベント「タバスキ」の日だ。

お馴染みの仕立屋ウスマンもイスラム教徒で、

かなり前から、タバスキの日はモスクに連れてってやると言ってくれていた。

私もかなり興味があったので、昨日もウスマンの店に押しかけ、

「明日は絶対モスクに連れてってね!」と念を押しておいた。

さて、約束の9時より少し前にウスマンの店に行くと、

え、店が完全に閉まっている・・・

まあブルキナベの時間感覚からして、

たとえ9時に会う約束をしていたとしても、

その時間に来ることはないか~と思いながら、

隣の床屋さんに挨拶に行った。

床屋のアブドゥライェもイスラム教徒。

でも彼は朝から働いていて、

ウスマンが来たら一緒にモスクに行こうと言ってくれた。

そしてウスマンが来るまで床屋の中で待たせてもらうことに。



それにしてもこの店内の雰囲気。

私にとっては結構感動的だったりする。

というのは国立民族学博物館(みんぱく)に、

アフリカの床屋の店内を再現したコーナーがあったのを記憶しているからだ。

みんぱくが好きで好きでたまらず、実家から近かったこともあり、

絶対100回は足を運んでいる気がする。

それくらい大好きで、行くたびに展示品を見てまたは触れて、

まだ見ぬ土地の空気や人の生活に思いを馳せて来たのだった。

こうやって今、当たり前のようにアフリカで生活しているが、

今でも色々な場面で昔から憧れて来た風景と出会って、

一人でものすごく感動することがある。

そして不思議な気分になる。

あの時みんぱくにいた自分は、まさか十数年後、

本当にアフリカで生活出来るなんて想像もしていなかったなあとか、

あの時は別世界のものとしてとらえていた風景の中で、

自分は今、普通に生活を送っているんだなあとか、

昔から憧れてきた風景と出会う度に、

どう感謝していいのか分からない感謝の気持ちで心がいっぱいになる。


さて、ウスマンはなかなか現れない。

もうお客さんも5人入れ替わった。

アフリカ人の髪質は私達のとは全然違う。

だから髪の切り方、整え方も全然違うので、見ていて飽きない。

途中女の子が、坊主にして欲しいと言って入ってきた。



一緒に来た友達も面白そうに見ている。

長い髪だったが、見事に丸坊主になって帰って行った。


はあ、もうウスマンは来ない。

ガーナで生まれ育ったアブドゥライェは英語を話せるので、

私は久々に英語を話せて楽しかったのもあり、

もうウスマンは諦めて、彼と喋るために床屋に居続けた。

彼も話しだしたら止まらない。

気付けば「愛」について50分語っていた。

28歳の彼、いい人が現れてくれと、私も願ってあげずにはおれなかった。



それにしてもモデルとして張り出されている後ろの絵の男。

なんとも男受けする顔である。

こんな人、実在するのかなと思いつつも、

どうしても気になるので、後で一枚どアップで写真を撮って帰った。

結局ウスマンは現れなかった。

後日、ウスマンに店に行くと、

「あの日、疲れていたから、家からそのままモスクに行ったんだ」

との言い訳が返ってきた。

あははは・・・まあ、いいか。

パーニュで服作り!

2010年11月07日 | 日常@テンコドゴ
こちらブルキナでは、カラフルな様々な柄の布「パーニュ」が至るところで売られている。

パーニュ屋さんでパーニュを買って仕立屋に持って行き、服を作ってもらうのだ。

既製服よりもオーダーメイドが一般的で、仕立屋さんの数も多く、

一つの市場の中だけでもざっと数えて30軒はある。

大げさではなく、至るところに仕立屋さんがひしめいているという感じなのだ。

そんなわけで、ここテンコドゴに移住した直後、

どうやって自分の仕立屋さんを見つければ良いか、かなり悩んだ。

そんななか出会ったのが仕立屋ウスマンである。

私がパーニュを求めて市場を彷徨っている途中、たまたま知り合ったのだが、

本当に親切で働き者であり、私が勝手に頼りにしている人物である。

この街で生まれ育った彼は、街のことなら何でも知っており、

濾過器のネジがゆるんだ時も、それを持っていけば、

彼が知り合いの修理屋に連れて行ってくれ、直してくれた。

そんなわけで別に用事がなくても、私はここに毎日のように遊びに来ている。




服はオーダーメイドで一応サイズは測るが、

実際は笑ってしまうほどアバウトだ。

何回言っても、出来上がるのはいつもドデカくて、

毎回作り直してもらうことになる。

それでも朝に頼めば夕方には出来上がっているので、まあいい。


そんな彼は、あるとき私のために服を作ってくれた。

電話で取りに来いと呼び出すので取りに行ってみると、

何やら目を疑うほどド派手なシャツが一枚・・・



最高の傑作が出来たとのことで、きっと私によく似合うと言ってくれたが、

う~ん、どうだろう・・・

というかどこでこれを着ればいいんだろう・・・

まあ彼からのプレゼントということで、

有り難くいただくことにした。

ただ私はそのころ別の店でも仕立ててもらいたいと、新しい店を探し始めていたのだが、

またウスマンに借りを作ってしまい、結局もう一着、服を頼んでしまうことになった。


さて、ようやく別の仕立屋さんを見つけることが出来た。

そこは一度嵐のとき、快く雨宿りをさせてくれた店だ。

その時は私を入れて4人が、結局2時間近く雨宿りしたが、

店の主人は嫌な顔一つせず、最後は笑顔で送り出してくれた。


早速パーニュを購入、その店に持って行って仕立ててもらった。

ここまで読んで、一体何着服を作るんだと思った方もおられるだろう。

実はこれ、私の月一の楽しみなのである。

パーニュの豊富さと、仕立てた服が出来上がる時のウキウキがたまらず、

病的に服を作りたくなるのだが、それじゃあ破産してしまうので、

毎月1着ずつ、作ってもらうことに決めたのである。

そして今までに出来上がったのがこちら。



左が2010年10月モデル、右が11月モデルである。

毎月1着ずつだと、単純計算して2年間で24着作ることになるし、

私の性格からして途中で飽きてしまう可能性も否定できないが、

今は意地でも24着作ってやろうと思っている。

日本に帰ったら結局パジャマとかになるんだろうなあとか思いながら・・・


この前は短パンも作ってもらった。

柄的にサーフパンツっぽいのが出来るのではと思い、

イメージを伝えた結果、仕上がったのがこちら。



結構かわいい。

さて、新しい仕立屋グウェムによると、

なんと一枚のパーニュで2着作れるとのこと。

あれ、ウスマンは余った布、何に使ってたんだろう・・・

まあ、いいか。

だからこのパンツも、10月モデルのシャツの余りの布で作ってもらった。

11月モデルの布の余りで、今度は何を作ってもらおうかな。

こうして色々と考えるときが、実は一番楽しかったりする。