今日はクリスマス。
ブルキナの人々は、クリスマスに友人・知人を家に招待し、
豪華にもてなす習慣がある。
しかし偶然にも今日、知り合いのクロードの村で祭りが開かれるとのことで、
私はその祭りを見に出かけた。
テンコドゴ市街から8キロ程離れたところにあるウェゲド村。
今日はこの村で一年に一回開かれるという王様の祭りの日なのだ。
ここブルキナでは、各村々に王様がいる。
ウェゲド村の現王様はクロードの実のお兄さんだ。
兄弟でも身分が違えばこれほどまでに違うのかと驚くほど、
中央に鎮座する王様は威厳に満ちていた。
私が到着した時、ちょうど牛が生きたまま首を掻っ切られ、
生け贄として供えられようとしていた。
祭りの広場にはいくつか石が置かれてあるのだが、
どうやらそれらは歴代の王様の墓らしい。
モシ族の風習として村民は王様の墓に生け贄を捧げ、
その際に流れる生け贄の血を墓の上にそそぎかけるのだ。
広場の真ん中にある墓には、
先ほどの牛から噴き出た血がそそがれていたが、
横を見ると次から次へとヤギやら鶏が生け贄に捧げられていた。
次々に生け贄の首を切っては鮮血を石の上にそそいでいくのは、
見ていて気持ちのいいものではなかった。
むしろこれまでの人生でこのような場面を実際に見たことがなかったので、
最初は直視出来ず、気分も悪くなった。
しかし慣れとは恐ろしい。
これだけ続けざまに見ていると、気付いた時には何とも思わなくなっていた。
さて、儀式を行う場所に到着すれば、必ず王様に挨拶をしなければならない。
その際、平伏すように身をかがめて挨拶をしなければならない。
挨拶の時だけでなく、王様の前では誰もが平伏した姿勢を取っていた。
また常に王様の両脇には僕のような人達が付いているが、
彼らは王様が飲み物を飲む時は必ず大きな団扇のようなもので王様の顔を覆っていた。
聞くと、王様のそのような姿は人々に見せてはいけないのだそうだ。
祭りは進行し、今度は大きなひょうたんで作られた太鼓を抱えた男たちが太鼓を叩き始めた。
これこそが文化人類学者の川田順造氏が研究した「太鼓ことば」である。
モシ族の間では太鼓は単なる演奏楽器ではなく、
叩き出される音が「言葉」として物語を伝える機能を持っているのだ。
私には全然理解出来なかったが、長々と続く太鼓の音は、
歴代の王様について語り、それぞれを讃えていたのだそうだ。
今日、実は普段お世話になっている方から夕食に招待されていたが、
どうも祭りは途中で抜け出せる雰囲気ではなかった。
抜け出すにしても必ず王様に挨拶をしなければいけないということで、
私は結局最後までそこに残った。
そのため招待されていた夕食には間に合わなかったが、
今日は王様の儀式を実際に見る機会を得、すごく貴重な時間を過ごせた。
※後日談
生け贄の儀式だが、やはり自分の考える以上に衝撃が大きかったのか、
この日を境に連日悪夢にうなされ、苦しい夜が続いた。
ブルキナの人々は、クリスマスに友人・知人を家に招待し、
豪華にもてなす習慣がある。
しかし偶然にも今日、知り合いのクロードの村で祭りが開かれるとのことで、
私はその祭りを見に出かけた。
テンコドゴ市街から8キロ程離れたところにあるウェゲド村。
今日はこの村で一年に一回開かれるという王様の祭りの日なのだ。
ここブルキナでは、各村々に王様がいる。
ウェゲド村の現王様はクロードの実のお兄さんだ。
兄弟でも身分が違えばこれほどまでに違うのかと驚くほど、
中央に鎮座する王様は威厳に満ちていた。
私が到着した時、ちょうど牛が生きたまま首を掻っ切られ、
生け贄として供えられようとしていた。
祭りの広場にはいくつか石が置かれてあるのだが、
どうやらそれらは歴代の王様の墓らしい。
モシ族の風習として村民は王様の墓に生け贄を捧げ、
その際に流れる生け贄の血を墓の上にそそぎかけるのだ。
広場の真ん中にある墓には、
先ほどの牛から噴き出た血がそそがれていたが、
横を見ると次から次へとヤギやら鶏が生け贄に捧げられていた。
次々に生け贄の首を切っては鮮血を石の上にそそいでいくのは、
見ていて気持ちのいいものではなかった。
むしろこれまでの人生でこのような場面を実際に見たことがなかったので、
最初は直視出来ず、気分も悪くなった。
しかし慣れとは恐ろしい。
これだけ続けざまに見ていると、気付いた時には何とも思わなくなっていた。
さて、儀式を行う場所に到着すれば、必ず王様に挨拶をしなければならない。
その際、平伏すように身をかがめて挨拶をしなければならない。
挨拶の時だけでなく、王様の前では誰もが平伏した姿勢を取っていた。
また常に王様の両脇には僕のような人達が付いているが、
彼らは王様が飲み物を飲む時は必ず大きな団扇のようなもので王様の顔を覆っていた。
聞くと、王様のそのような姿は人々に見せてはいけないのだそうだ。
祭りは進行し、今度は大きなひょうたんで作られた太鼓を抱えた男たちが太鼓を叩き始めた。
これこそが文化人類学者の川田順造氏が研究した「太鼓ことば」である。
モシ族の間では太鼓は単なる演奏楽器ではなく、
叩き出される音が「言葉」として物語を伝える機能を持っているのだ。
私には全然理解出来なかったが、長々と続く太鼓の音は、
歴代の王様について語り、それぞれを讃えていたのだそうだ。
今日、実は普段お世話になっている方から夕食に招待されていたが、
どうも祭りは途中で抜け出せる雰囲気ではなかった。
抜け出すにしても必ず王様に挨拶をしなければいけないということで、
私は結局最後までそこに残った。
そのため招待されていた夕食には間に合わなかったが、
今日は王様の儀式を実際に見る機会を得、すごく貴重な時間を過ごせた。
※後日談
生け贄の儀式だが、やはり自分の考える以上に衝撃が大きかったのか、
この日を境に連日悪夢にうなされ、苦しい夜が続いた。