ローマの信徒への手紙 3章。
10 次のように書いてある、/「義人はいない、ひとりもいない。
11 悟りのある人はいない、/神を求める人はいない。
12 すべての人は迷い出て、/ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、/ひとりもいない。
13 彼らののどは、開いた墓であり、/彼らは、その舌で人を欺き、/彼らのくちびるには、まむしの毒があり、
14 彼らの口は、のろいと苦い言葉とで満ちている。
15 彼らの足は、血を流すのに速く、
16 彼らの道には、破壊と悲惨とがある。
17 そして、彼らは平和の道を知らない。
18 彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。
*義人とは、聖霊から正しい信仰を得た者=聖徒のことです。
今の時代に聖霊が現れないと神に対する本当の義人が出現しないわけです。
他の章に書いているが、聖霊を神ヤハウェが回収すると、全人類は死滅するだろうと書かれています。
何故かというと、聖霊が本当の聖書の内容を教える役割なので、その者がいないと聖書の永遠の命までの道のり(避難場所の神の城含む、全て。)が成立しないわけです。
人類の結末は死滅になるわけです。
19 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。
20 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。
21 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。
22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。
*全ての口はふさがれ、全世界が神の裁きに服する=現代の嘘コロナにより、偽りを信仰する罪人はコロナ恐怖症になりマスクを装着する。
イエス・キリストを信じる信仰によって神の義となる =イエスキリストは真実を司る生きた神= 真実の書 = 聖書。
つまり、聖霊が教える聖書の正しい内容を信じる者は神ヤハウェにとって義(聖徒)となる。
罪人以外のすべての人に信仰のチャンスはある。だから差別はない。
23 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。
*全ての人の罪=原罪 → イエスキリストによる新しい血の契約(神ヤハウェに身をささげる)で原罪を消し去り、神ヤハウェに2度目の人生を全人類に約束させる。
現代で第1の復活した者に無料で、神の恵み(聖霊)に聖書の正しい内容を教えて貰い、義(聖徒)とされるのである。
25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、
26 それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。
*今まで書いてる内容と重複しているので説明省く。
神みずからが義となり= 神ヤハウェの懐にいた神である聖霊が地上に降りて、聖書を正しく読み解く、そして聖霊自身が神ヤハウェにとって義となる。
ここでのイエスは聖書の正しい内容のこと。
27 すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。
28 わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。
29 それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある。
30 まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。
31 すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法は確立するのである。
*信仰に人種差別も何も差別はない。
正しい信仰を得た者は神ヤハウェにとって義される。