貧しい生活をして宣教師から聖書を知り、
神が将来、神の国を築いて地上の楽園’天国’を現わす。
信じる者は救われて入れると、純粋に信じて夢見た人らが、
迫害にあって拷問され死ぬ。
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棄教を迫るための拷問は、どれも凄惨を極めるものであった。
火あぶり、、雲仙地獄責め、竹鋸引きなど、残酷な方法が採られた。
火あぶりは、柱にくくりつけ、周囲に薪を置いて火をつける。苦しみを長引かせ、信仰を捨てさせるため、薪は柱から離してとろ火で焼いた。背教したければ逃げ出せるよう、くくる縄は弱く縛ってあったという。
他にも両手両足を引っ張って、回転させながらあぶることもあった。その際、口から煙が出たという。
また簑踊りという火刑は、手足を縛り簑を着せ、火をつける、と言うものであった。苦しみもだえる様が踊っているように見えることから、この名が付いたのである。
雲仙地獄責めというのは、雲仙の硫黄沸き立つ熱湯を、柄杓に入れて少しずつかける、という熱湯責めであり、気絶したり死にそうになったら手当てして同じ拷問を繰り返したという。
竹鋸引きというのは、路傍の柱にキリシタンを括りつけ、首に刀傷を付けておく。そばに竹鋸を置いておき、通行人にそれを引かせた。竹鋸のため切れが悪く、苦しみが長引いた。ホントに人間のやることか、とか思ってしまう。
他にも、木馬責め、切・支・丹の焼印押し、硫黄と灰を鼻に押しあて口を閉じさせる、前回書いた穴吊り、など苦しみが長くなかなか死なないような拷問が数多く採用された。
これらの拷問を考え出したのは、島原領主松倉重政、唐津領主寺沢広高、長崎奉行竹中重義らであった。彼らの非人道的な拷問はキリシタンに、過酷な重税による圧政は農民達に、それぞれ反感を買わせ、それが島原の乱へと繋がっていくのであった。
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当時の人は本当に嬉しそうに感激し、それを夢見て信仰する純粋な人達だったと思われる。
それを凄惨な拷問の末、殺すのである。
こんな光景を聖書の神ヤハウェが見たら、どう思うだろうか?
激昂するに決まっているのである。