鋭幸の庵

寺なし坊さん四苦八苦

ブッダは「さとって」どうなった?(道元禅師の教え①)

2024年09月01日 | お坊さん、余命一年。
 仏教は「ブッダの説いた教え」または「ブッダになる教え」といいます。お釈迦さまはシャカ国生まれの実在した「ブッダ」ですが、ブッダとは「真理をさとった聖者」という一般名詞なので、私たちも教えに従って修行すれば、お釈迦さまのようなさとりを開く事ができる、という前提から、多くの仏教者がお釈迦さまのようなさとりの追体験を求めて、修行の道に一歩を踏み出してきた訳です。
「お釈迦さまは十二月八日、明けの明星が輝く瞬間に『我と大地と同時に成道せり』と宣言された、と仏教書にあるけれど、それってどんな感じなんだろう?」と仏教に憧れる人びとは想像をかきたてられ、
「きっと世界の全てが輝いて見えるんだろうな」とか
「死ぬことを含めて、あらゆる苦しみがなくなるんだろうな」とか
「それは空を飛ぶ鳥のように、自由な心境なんだろうな」
と「さとり」のイメージは人びとの憧れによって、どんどん膨らんでいきました。
 ところがそうした憧れは、目の前の修行や、難しい学問といった「面倒くさい」ことの積み重ねに人びとの関心を向ける力にはなりません。むしろ「結局、大事なのは『さとり』でしょ? だったら修行とか学問の話しに抜きにして、自由な気持ちで、死ぬ事でも何でもポジティブに受け入れていったら、この世の全ての苦しみがなくせるじゃん」といった、安易な仏教理解が広まって行きました。
 こうした仏教理解に異を唱えたのが、道元禅師です。
「仏の教えは普通の人には分からない。仮にお釈迦さまの心の中が分かる人がいたら、その人はすでに仏である(正法眼蔵「唯仏与仏」)」
「仏の心の中を見通す眼はなくても、仏は何をされたのか、その足跡を見る事はできるのだから、まずはその行いを見習いなさい(正法眼蔵「唯仏与仏」)」
「仏の立ち居振る舞いを、日々行じている『行仏』は、さとりの自覚がなくとも、仏道修行の道に自らを向上させようとまい進している(正法眼蔵「行仏威儀」)」
「最近の中国では『さとりが大事』だといって『さとりの開ける日』を待つだけの坊さんがいるけれど、さっさと良い先生について学べば良いものを、何もせずに道を間違えているんだから、仏が現れても救いもさとりも得られない(正法眼蔵「大悟」)」 
 道元禅師の主著「正法眼蔵」は「さとりの内実を説き明かした」本といわれますが、むしろ「さとった仏が何をしたのか、まずその行いを学び、自らも同じように行う事が修行であり、自らを仏弟子として証明する事なのだ」というメッセージに溢れているのです。そんな道元禅師がお釈迦さまを語っている一文を読むと、
「慈父釈迦牟尼仏は、十九歳から深山で修行し、三十歳で『大地と有情と同時に成道』なされた。それから八十歳で亡くなるまで、山で修行し、お寺で修行したのである。(元は王国の王子だったが)王宮に戻る事も、国のお金や土地を手にする事もせず(ボロ布を縫った)お袈裟を身につけて一生替えなかったし、食器の鉢も一生の間に新しいものに替えなかった。(人びとを導くために)一時一日とて弟子たちと離れて過ごさなかったし、人びとからの供養を拒まず、他流の思想家からの謗りに耐えられた。その一生は人びとを教え導く修行の生活そのものである。お袈裟を身につけ托鉢で食べ物を得る仏の威儀はすべて、修行生活の形なのである」(正法眼蔵「行持・上」)
とあるように、さとった後もさとる前と変わらない修行生活をされたお釈迦さまの姿こそ、道元禅師が憧れた仏の姿だったのです。
 また正法眼蔵「供養諸仏」には、眼の見えないお弟子(恐らく従兄弟のアヌルッダ)がお袈裟を縫えずに困っていると、お釈迦さまが縫い物を手伝ってあげるエピソードが登場します。そうした平凡な営みをいとおしむような、お釈迦さまの行いをお手本にして、道元禅師と門下のお坊さんたちは、修行の日々を重ねたのでした。
 
※追記 現代の仏教学は、東南アジアに伝わる上座部仏教で伝承される「お釈迦さまは二十九歳で出家して、三十五歳で成道した=さとりを開いた」説を採用していますが、道元禅師は大乗経典の「十九歳で出家して、六年苦行した後に、菩薩たちと六年坐禅して、三十歳で成道した」という伝承を学んでいます。
ですから道元禅師の坐禅修行のイメージは、決して苦行ではなく、道を求める菩薩たちが共に修行した六年に重なるイメージでもあるのです。 
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正しさについて

2024年09月01日 | お坊さん、余命一年。
 お釈迦さまの時代にも、様ざまな思想家・宗教集団がいて、ケサプッタ村のカーラーマ族のもとにも、たびたびそうしたグループが来ていたようです。
 あるグループが教えを説いて、村の人たちが「ああなるほど」と思ってその通りにしていると、別のグループが前のグループの教えを全否定するような教えを説いて、村の人たちがまたそれに従っていると、さらに別なグループが前のグループの教えを全否定して…の繰り返しに村の人たちはホトホト疲れてしまい、そこにやって来たお釈迦さまに「コレってどうしたら良いんでしょうか?」と質問すると、お釈迦さまはこう答えたそうです。
  「皆さんが、迷ったり疑うのは当然です。疑いは疑うべき所に起こるのです。
   カーラーマの皆さん、①「また聞き」を信じてはなりません。
   ②「言い伝え」を信じてはなりません。
   ③「評判」を信じてはなりません。
   ④「聖典の言葉」でも、信じてはなりません。
   ⑤「論理的な解釈」でも、信じてはなりません。
   ⑥「哲学的な推論」でも、信じてはなりません。
   ⑦「常識(表層的な様相)」でも、信じてはなりません。
   ⑧「自ら熟慮した見解」でも、信じてはなりません。
   ⑨「語り手が堪能」でも、信じてはなりません。
   ⑩「先生の言う事」でも、信じてはなりません。
皆さん自らが、①この教えは、良くない、
②この教えには、問題がある、
③この教えは、賢者の教えに背くものだ、
④この教えの実践は、無益で苦しみをもたらす
と思うならば、そんな教えは信じなくていいのです。しかしその反対に
① この教えは、善である、
② この教えは、問題がない、
③ この教えは、賢者の教えに合致する、
④ この教えの実践は、有益で楽をもたらす
と思うならば、その教えは守るべき教えなのです。」
 (「南伝大蔵経 第十七巻・増支部経典一」三集大品「カーラーマ経」より)
 
 ああ、なるほど!
 宗派や宗教の異なる方との会話でジレンマを感じてしまう事として、なるべくお互いの立場を尊重したい思いはあるものの、反社会的カルトの問題を考えると、単純に「どの宗教も素晴らしい」とは言えません。またお坊さんとしてお話しする機会もありますから、そんなときは自分の宗派の教えを、自信を持って語れなくては困ります。
 けれどもお釈迦さまのこの教えを参考にすると、神仏や霊魂の存在するかしないか、あの世や輪廻はあるかないか、といった実証できない話しは一度ひとまず置いておいて、具体的な行為の正しさや影響の善悪こそが問題なのだと分かりますし、その人に合った考え方や方法の違い、分野の住み分けで複数の正しさが共存できる、とも考えられる訳ですね。
 さて国際協力や平和を考える学習会などで、他宗派のお坊さんや違う宗教の方とお会いする事があります。そうした場でお会いする、この世の中を平和で生きやすくしようと頑張っておられる方には、本当に頭が下がります。彼らにとっての社会の理想像は恐らく、彼らの信じる「天国」や「極楽浄土」でしょうから、私が見た事のない世界であっても否定すべきではない事は分かりますし、こういう素敵な人たちが信じている世界だったら、きっと素敵な世界なのだろうな、と素直に思います。
 そして例えば、そういう牧師さんから「あなたに神のご加護がありますように」なんてお声をかけて頂けると、神さまを信じていない私でも、鳥肌がゾクゾク立つくらいに感激してしまうんです。この感じって分かりますかね? だってこの言葉って、牧師さんが私の幸福を祈って下さるのに、最もしっくり来る表現の言葉なのでしょうし、牧師さんが神さまを口にするんですから嘘ではないでしょう。
 
 さて翻って、反社会的カルトは論外だとしても、例えばそれがどんなに理論的な矛盾がなくても、信じる人により良く生きる事や、この世をより良くする事を励まさない宗教には、人に向けて説く意味はないでしょうし、私だったら説かれても困ります。
 それでは私が語ってきた事は、ちゃんと人に説くに値する「教え」であったかどうなのか。努力はしているつもりですが、これは死ぬまで修行ですねぇ。
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「ゆるす」ことと「になう」こと

2024年09月01日 | お坊さん、余命一年。
 宗教は人をシンプルにします。避けられない死や、理不尽な困難を受容させる事で、人の苦悩を和らげ、そして己の愚かさや弱さの内省から、他者との和解を促す役割を果たすものだからです。
 ただ宗教のこうした特性は、ややもすると、信者の罪悪感や依存を助長させる反社会的カルトなどに悪用される事や、人災の責任を問う思考を中断させる事があるのです。
 広島におけるカトリック信徒の中にも、原子爆弾の被害を神からの試練と受け止める発想から、反戦や反核兵器の運動に否定的な意見があったといいます。そうした状況を打ち破ったのは、一九八一(昭和五六)年十二月に広島を訪れた、ローマ法王・ヨハネ=パウロ二世の「平和アピール」でした。
 平和記念資料館の石碑には「平和アピール」の一節が日英併記で刻まれています。
  「戦争は 人間のしわざです。
   戦争は 人間の生命を奪います。
   戦争は 死そのものです。
   過去を振り返ることは 将来に対する責任をになうことです。
   ヒロシマを考えることは 核戦争を拒否することです。
   ヒロシマを考えることは 平和に対しての責任を取ることです。」
 人の意志や行為と無関係に起こる天災とは違い、戦争や差別、暴力などの人災は人の手によって引き起こされます。それが「誰の身にも起こって欲しくないもの」であるならば、人が再び過ちを繰り返さないための、起きた事を学んで風化させない努力や、これからどうすべきかを考える、不断の努力が重ねられなけばいけません。
 さて仏教においても、寛容はもちろん美徳です。しかし「人に対する態度」と「事態に対する態度」が同じであってはなりません。
 未来の平和は「誰かを吊るし上げても作れない」ものでしょうし、人に対する態度は寛容であるべきですが、その時に誰のどんな発言が事態を動かしたのかという教訓のためには、個人の発言は知られるべき事でしょうし、戦争や人災そのものに「仕方なかった」といった容認や寛容の姿勢を取るべきではないでしょう。それはむしろ、将来の誰かを戦争や人災から守ろうとする「慈悲」を著しく欠いた態度だと、私は思います。
 この世に戦争が存在し、難民として苦しむ人がいるという事は、つまるところ、人類にはまだまだ愛が足りないか、知恵が足りないかの、問題なのだと思うのです。
 慈悲が単なる観念にとどまり、行為を伴わない状態にある限り、他者の苦しみを除いて、楽を与える力を持つ事はありません。私たちに出来る事はあまりに小さいものですが、人類のうち一人として共同責任の一部を担う意識を持ちたいですし、学ぶ事や伝える事といった小さな行為を積み重ねたいと思っています。
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「自己責任」と共業

2024年09月01日 | お坊さん、余命一年。
 マスコミで「自己責任」という言葉を耳にするようになったのは、アメリカのブッシュ政権と蜜月関係だった小泉政権時に、米軍の攻撃にさらされたイラク市民の状況を、日本に伝えようとしたジャーナリストや、イラク市民のために出来る事を模索していた市民運動家の人びとが拉致された「イラク人質事件(二〇〇四年)」がきっかけだったように思います。彼らを助けようと多くの人が声を挙げ、イラクの人びとも彼らの意図を理解して、彼らは無事に解放されたのですが、帰国後の彼らを待っていたのは「国の避難勧告を無視した自己責任」として「救出に国が要した費用を彼らに支払わせろ」といったバッシングでした。
 しかしこういう自己責任論を演繹していくと、困っている人(イラク市民・人質にされた彼ら)の問題は本人が自力で解決してくれよ、困っている人なんか助けたってダサイし、何も得する事なんかないんだから助けない、という事になりそうですが、これって長い目で見たらみんなが損する事になると思うのです。
 そもそも弱い立場の人が置かれている状況は、一般の人からは少し見えづらい事が多いので、本人もしくは代弁者が「助けて下さい」と声を挙げてくれないと、なかなか気付いても貰えません。けれども「自分の問題は自分で解決しろ」といわれ続けていたら、「助けて」の声さえ挙げづらくなるでしょう。そして声が挙がらなくなるという事は、問題が社会に共有されるチャンスが減る、という事でもあります。
 さて人生に「まさか」は付き物ですから、誰しも自分の力で解決できない問題で、誰かに「助けて」を言わなくてはならない状況が来ないとは限りません。でもそのとき世の中に、困っている人を助ける仕組みそのものなくなってしまっていたら、みんなが今まで人を助けないで来たしっぺ返しを、みんなで受ける事になります。
 ところで自己責任論が登場するときは、それとセットのように「自業自得」という仏教語を目にする機会が増えます。業とは行為の影響や報いをいいますから、この言葉は「自分の行為の報いは自分が受ける」という意味になりますが、「業」とは必ずしも個人単位の責任だけを指す言葉ではありません。例えばイラクの人びとが大変な状況である事を知っていながら、誰一人として何の手も差し伸べようともしなかったならば、それは日本に暮らす人びと全体の印象となる訳です。
 一九八五(昭和六〇)年、二一五人のイラン在留の日本人全員が、トルコ航空機でイラン・イラク戦争の危機から救出されました。それはトルコ政府が、エルトゥールル号の遭難事故(一八九〇=明治二三年)で救助にあたった日本人への恩義から、飛行機をチャーターして救助にあたったのだといいます。
 エルトゥールル号は、日本との親善使節団を乗せたオスマン帝国の軍艦で、横浜からの帰路に台風にあおられて和歌山県串本町沖で座礁し沈没しました。この事故は犠牲者=五八七名、生存者=六九名の大海難事故だったのです。このとき地元住民は、不眠不休で生存者の救助と犠牲者の遺体捜索にあたり、生存者は日本海軍の軍艦でトルコに帰還しています。
 つまり、かつての日本人の「善業」が、その九五年後に、日本人の命を救った訳ですね。
 社会全体の関心や無関心が、その後の社会や環境に影響を及ぼすという「共業」の考えに立てば、社会や環境などの大きな問題は「みんなの共同責任」で解決すべき事であり、善なる行為とその影響(業)は、後のちまで何かしらの善なる影響を及ぼすのです。
 「義を見てせざるは勇なきなり(論語)」あるいは「情けは人のためならず」で、ちょっと昔まで困っている誰かに手を差し伸べる事は、美徳でした。私はイラクで人質にされてしまった彼らについて、批判もあるのでしょうが、その行動は「イラクの人びとを忘れなかった、希有な日本人」の証左として、この国の財産だと思っています。
 そのイラク人質事件のとき、イラクのイスラム教指導者は人質解放に向けて武装勢力を説得してくれていましたし、瀬戸内寂聴さんはそれ以前からイラクの平和を祈って断食を行い、支援物資を届けています。地球のあちらとこちらで、宗教者が異教徒のために祈り、行動していた美しさを、私は忘れる事ができませんし、忘れてはならないと思っています。
 そして「みんなの共同責任」は、誰かを「助けてあげる」人だけでなく、そのお手伝いを申し出る人や、積極的に「助けてもらう」声を挙げる人がいる事で、全体として果たされるものではないでしょうか。
 自分が困っている事を「すぐ誰かに話して助けを求める」のは、言い慣れていないと恥ずかしかったり、不安だったりしますから「そういう事を言い合える」関係を作る事は、それなりに時間もかかります。しかし「相手の人からも言って貰いやすい」人間関係を作る事は、その人の生活圏を「生き心地良い」ものに変える力になると思うのです。
 私の闘病にしても、もしも私一人で抱え込んでいたら、きっと耐えられなかった事でしょう。家族や友人に泣きついて、支えてもらえているのです。その恩義はせめて「書き残す」事でお返ししようと思っていますが、なるべくなら生きて、何かしらのお手伝いをさせて貰えたらいいな、と思っています。
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ファンのプライド

2024年09月01日 | お坊さん、余命一年。
 時どきお坊さんや仏教学者という人の本で「仏教は全ての人の味方をする教えです」というフレーズを目にすることがあります。それはまぁ良いとしても、それに続いて「ですから仏教は、様ざまな意見の対立があるような、社会的な問題には立ち入れないし、立ち入るべきではないのです」と言われると、私は首をかしげたくなります。
 本当にそうですか?
 もしも、お釈迦さまのサンガ(教団)が社会と関わらず、好きな事だけやっている集団ならば、在俗者にとっての「信者になる理由」やサンガに「お布施する理由」は何でしょう?
 もちろんお釈迦さまがされた事は、自分のサンガ内での事ではありますが、戦争に巻き込まれそうになった人をかくまい、女性たちを弟子として受け入れています。これは取りようでは、奴隷商人が儲けるチャンスを意図的に奪う行為でもある訳ですが、お釈迦さまは在俗信者に向けて「私の教えを奉ずる人は、武器商・奴隷商・酒商・屠肉商・毒薬商を生業としないで下さい」と仰っています(増支部経典五集第十八・優婆塞品百八十八)。罰則規定はないとはいえ、これはもうすでに社会的なメッセージの筈ですし、教団に大勢の人びとを受け入れるには、在俗信者の負担増や意見の相違といった、教団内外の反発をおさえ、説得するプロセスも必要だった事でしょう。
 さらに罪を反省して生き直しを望んだアングリマーラの弟子入りに至っては、お釈迦さまは、殺人犯の引渡しを望むコーサラ国の波斯匿(パセーナディ)王と直談判して、コーサラ国の軍隊に帰って貰っているのです(但し、お釈迦さま没後に制定された「律」では、犯罪者の受刑逃れや、借金を抱えた人の返済逃れで出家する事は、禁止されています)。
 お釈迦さまは、社会的な理由で苦しむ人にも、その苦しみを和らげるために手を差し伸べる事を惜しみませんでしたし、ときには批判の矢面に立って、弱い立場の人を守っているのです。そしてその事が社会に良い影響をもたらしていると感じた人がいたからこそ、在俗信者が現れて、サンガにお布施をしてくれたのではないですか。
 私にはそんなすごい事はできませんし、できなくて当たり前だと思っています。人それぞれ抱える事情は違いますし、するべき事をする事も、できる範囲でしかありません。
 しかしお釈迦さまのファンとして心がけている事は、お釈迦さまを「自分程度」の小ささに解釈しないという事です。自分にできない事や興味のない事を、お釈迦さまや仏教の名を借りて「すべきでない」話しにする前に、せめて本当にお釈迦さまがそう言ったのか、お釈迦さまが身を挺してされていた事と矛盾はないのか、まず学びましょう。
 そもそも「全ての人の味方」を自称する人は、結局は誰のためにも動かない人になりやすい、と私は思っています。
 姑息な政治家のやり口ですが、例えば差別で困っている人がいても「これまでの慣習を変えたくない人からの反対がありまして」とでも言っておけば、何らその状況を変えずに済ませる口実ができますし、実際にお釈迦さまが女性の弟子を受け入れた際に立ち塞がったであろう問題は、まさにこの差別のジレンマそのものです。
 私は坐禅もしていませんし、朝夕のおつとめもさぼり通していますが、それでも自称お釈迦さまのファンです。ファンなので私がどうしてお釈迦さまを「推す」のかは、いくらでも語れますし、解釈の違いはあるにしても「推し」のやった事をねじまげて、自分に好都合な話しをでっち上げるような真似はしない事こそ、ファンのプライドだと思っています。
 お釈迦さまのお話しを学べば学ぶほど、自分が「足元にも及ばない」事に慄然とします。それで私は「お坊さんらしく振る舞う」事をあきらめてしまいましたが、それでもファンの一人としてお釈迦さまを「推し」続けようと思っています。
 ですから私のお話しは、自分の事を棚に上げてしまうのですが、なるべく純粋に、私の憧れを伝えたいと思っています。またそれを語る事が、私が生きる力になっているのです。
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