宝円寺の続きです。
宝円寺の境内がどうなっているかよくわからなかったので、本堂の
ところまで戻ってきたら、重要物の写真が載った地図があったので、
それを頭に入れて移動してから最初に撮った写真がこれ。
説明札も撮ったけど読めるかなぁ。
前田利家が慶長4年(1599)2月徳川家康の暴走を止める為、
伏見城に乗り込む直前に死を覚悟し自画像を描かせた上、
髪を切り遺品としたものを納めたのが御影堂と御髪堂みたいだね。
地図を見て、次に行ったのがここ。
俵屋宗達の墓碑。
俵屋宗達は豪商かなぁと思っていたけど、江戸時代初期の
絵師なんだね。
この絵を描いたと言われると、宗達の名前が頭の中の
どこかの引出しからでてきそうな感じもするなぁ(笑)
一枚上の写真に柵が映っているでしょ。
柵のところから見晴らしがいいんだよね~
こんな感じで柵にそって歩道があるんだよね。
歩道の右側が墓地だよ。
つまり、墓地の奥まで行くと、ここに出るんだよね。
手前の黄色のイメージがよかったのでズームで撮ってみたよ。
前田家の墓地の上にも、こんな柱が立っているみたいだけど、ここが
どうかはわからないなぁ。重要物の地図の写真を撮らなかったので。
なんでも写真に撮っておかないとダメだね~(笑)
(つづく)
(5月21日撮影)