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都内散歩 散歩と写真 

散歩で訪れた公園の花、社寺、史跡の写真と記録。
時には庭の花の写真、時にはテーマパークの写真。

安養寺・福寿弁財天 横浜市鶴見散歩

2014-08-13 15:44:02 | 神奈川県散歩
 一到山弥陀院 安養寺   神奈川県横浜市鶴見区 

【住 所】 横浜市鶴見区岸谷1-22-12 Mapion地図
【宗派・本尊】宗派は浄土宗  本尊は 阿弥陀如来
【創 建】僧慶誉が明応9年(1500)に開山
【由 緒】
明応(1492~)の頃、淨蓮社慶譽清岳在道上人(明応9年寂)の開創と伝えられ、当初は子安町字風早、現在の生麦中学校のあたりに在ったといわれております。一草庵だったものを増上寺の嘆誉上人がとりたてて一寺とし、在道上人を住持として居らしめました。以前の本堂は、関東大震災により大破し、昭和2年、第40世 悦譽良善上人によって現在の本堂(7間四方)が再建されました。
 当寺には寺宝の福壽辨財天があります。「近江国竹生嶋天女と同木にて弘法大師御作」と伝えられ、平成23年より鶴見七福神の制定によって、特に正月はより大勢の参詣者の信仰を集めております。 (鶴見区仏教界:http://www.tsurumi-kubutsu.org/shosenji.html:ここより引用)
【 安養寺 : 鶴見七福神】平成23年(2011)に制定された鶴見七福神の弁財天
【安養寺 : 福寿辧財天の説明】
福寿辧財天縁起
抑 當山に安置し奉る福寿弁財天の霊像は近江国竹生島の弁財天と同木にて御丈六寸七分、弘法大師の御作なりと古来より云傳えられる。
この辧財天は辧公の父家、小林某という者、世に奉拝し、しばしば霊験あり。就中今を去る三百三年の昔、元禄十四年(西暦一七〇一)の春、隣村寺尾村の熊澤氏の一男、病久しく薬石効なく危篤に陥りここに近親のもの、辧財天霊瑞を聞傳え最後の救護を祈るに、あら不思議かな病者たちどころに回復に及べり.
これを傳聞せる賽客遠近より雲集所願満足の輩、この霊像を民家に安置するは恐れ多しと翌年十五年の秋、旧二ツ池西の丘に神祠を榮むに至れり。是れ安養寺二十五世即譽辧我上人の時のことなり。
然るに星霜重ね御堂破損に及ぶれば三十三世冲譽義観上人の文化六年(西暦一八〇九)に至り、堂宇の荘厳を加へ、越えて文政八年(西暦一八二五)霊地を今の地に改め四月八日棟上げをなせり。旧地附近に神久保辧財天の地名存するはその由縁による。
辧財天は元来、印度サラスバテー河音を象徴したもので、主として音楽を司り、又招福の神として知られている。この辧財天に諸人祈らば病苦災難悪神の障害を除き子孫長久、商売繁昌の利益を招くこと夢ゆめ疑う事なかるべし。ここに福壽辧財天の来由を述べ、唯々随喜感銘し奉る。
平成十六年十月吉日 一到山 弥陀院 安養寺四十四世 進譽道正 編 

【安養寺の写真】  平成26年7月6日撮影
安養寺の参道

安養寺の山門

安養寺の本堂

福寿弁財天のお堂

福寿弁財天の扁額

福寿弁財天のお堂の中

福寿弁財天の木鼻彫刻は朱塗り

福寿辧財天の説明掲示



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