12月9日に義父が他界しました。
そして残された義母が昨日29日、義父の後を追うように旅立ちました。
いろいろな機能が低下してきていて、口から食べたものが気管に入り、誤嚥で肺炎を起こしたのが直接の原因でした。
義父がいなくなってからは、喋る言葉もはっきりしなくなり、どんどん弱ってきているのが手に取るようにわかる状態・・・。咳をしても、その咳があまりにも弱いので何も出ない・・ずっと苦しそうな状態でした。
認知症はあったものの、ガンなどではなかったので、胃瘻(いろう)することで少しでも体力が回復するなら・・・と、義姉と主人が決断したその晩から呼吸が荒くなり、結局その処置はされることなく終わってしまいました。
28日深夜1時に血圧低下で呼び出され、駆けつけたもののその後若干安定し、3時に一旦帰宅。
午前10時半頃また病院に行くも、特に病状変わらず。
ただ、酸素マスクをつけられた義母は浅くて苦しそうな呼吸をずっとしており、もうこちらの声に反応することはありませんでした。
夕方、お医者さんと面談して、肺炎を起こしているので、1~2日が限界、と言われ、覚悟しつつも帰宅。
翌朝また連絡あり、7時10分に帰らぬ人となりました。
ほんの20日違いで旅立っていった主人の両親。
苦しむ期間が短かったのが救いなのかもしれません。
怒涛の日々に、曜日や日にちの感覚が麻痺気味の私ですが、気が付けば今日を入れてあと2日で年が変わってしまうんですね・・・。
家の片づけやら大掃除もほっぽらかしだったので、どこかでもうひと踏ん張りして頑張らなきゃいけないんだけど、まあ埃で死ぬことはないから、無理しすぎないようにしたいかな、と・・・。
住む人のいなくなった主人の実家はますますさびしい空気でいっぱいです。
今後の事務処理やら片づけやら・・・義姉と主人は今後もかなり大変なんでしょうけど、息子、娘としての仕事なんでしょうね・・。
少しでも私も支えになっていければ、と思うばかりです。
今年の日記はもう最後かな。
みなさま、良いお年をお迎えくださいませ。
そして残された義母が昨日29日、義父の後を追うように旅立ちました。
いろいろな機能が低下してきていて、口から食べたものが気管に入り、誤嚥で肺炎を起こしたのが直接の原因でした。
義父がいなくなってからは、喋る言葉もはっきりしなくなり、どんどん弱ってきているのが手に取るようにわかる状態・・・。咳をしても、その咳があまりにも弱いので何も出ない・・ずっと苦しそうな状態でした。
認知症はあったものの、ガンなどではなかったので、胃瘻(いろう)することで少しでも体力が回復するなら・・・と、義姉と主人が決断したその晩から呼吸が荒くなり、結局その処置はされることなく終わってしまいました。
28日深夜1時に血圧低下で呼び出され、駆けつけたもののその後若干安定し、3時に一旦帰宅。
午前10時半頃また病院に行くも、特に病状変わらず。
ただ、酸素マスクをつけられた義母は浅くて苦しそうな呼吸をずっとしており、もうこちらの声に反応することはありませんでした。
夕方、お医者さんと面談して、肺炎を起こしているので、1~2日が限界、と言われ、覚悟しつつも帰宅。
翌朝また連絡あり、7時10分に帰らぬ人となりました。
ほんの20日違いで旅立っていった主人の両親。
苦しむ期間が短かったのが救いなのかもしれません。
怒涛の日々に、曜日や日にちの感覚が麻痺気味の私ですが、気が付けば今日を入れてあと2日で年が変わってしまうんですね・・・。
家の片づけやら大掃除もほっぽらかしだったので、どこかでもうひと踏ん張りして頑張らなきゃいけないんだけど、まあ埃で死ぬことはないから、無理しすぎないようにしたいかな、と・・・。
住む人のいなくなった主人の実家はますますさびしい空気でいっぱいです。
今後の事務処理やら片づけやら・・・義姉と主人は今後もかなり大変なんでしょうけど、息子、娘としての仕事なんでしょうね・・。
少しでも私も支えになっていければ、と思うばかりです。
今年の日記はもう最後かな。
みなさま、良いお年をお迎えくださいませ。