子供の頃転校ばかりしていた。別に悪いことしてたわけじゃないですよ。中学生まではいたって表向きは自画自賛では良い子。
小学校で8校、中学校で3校、高校は2校、大学も2校。
中学までは父の仕事の関係だった。あ、変な職業じゃないですよ、公的機関です。念のため。
引越しは主に春や秋が多かったので大人になるまで春と秋が嫌いだった。
順当に春の転校だと最初の1ヶ月近くは物珍しさでまあいいのだが、4月の後半くらいからイジメが始まる。大体は集団でやられるのでボロカスになる。私はチビだが気だけは強かったので絶対に降参しなかったので余計にボロボロにされる。最近のイジメなんて陰湿ではあるが大した事無いなと思ってるくらい。
前歯は高校の頃までに上下共に全部差し歯になってしまった。右目も殆ど見えない。ラガーマン並みですね。体育館の2階から落とされて骨折したこともあったし、何故か大人も混じっていたので今思うとあれは犯罪だよな・・・
でも慣れたものでやられた相手に勝てる方法考えてから5月後半位から一人ずつ待ち伏せして仕返しし始めて、夏休みの頃には仲良し・・というかなんというか・・になるというパターン。結果的にはかえって私のほうがいじめっ子だったのかも知れない。子供っていうのは体格に関係なく強気に出たほうが勝つのも一つのパターンだということですね。もちろんその逆もありましたが。ただ今でもあの大人たちは許せない。
でも、いつも急な引越しになり、友達にさよならも言えないままに転校していた。
一番ショックだったのは中学の寮に入っていたとき授業中に校長先生から呼び出しがあり、そのままいきなり父の職場関係の人の車に乗せられて転校。私だけ修道院に入れられて半分隔離生活。新しい学校には行ったが大人の送り迎えつきで半年ほど自由は無かった。
何がなんだか訳がわからなかった。自分なりに頑張って入った学校だったし、思春期の初めくらいだったのでかなりショックだった。おまけに事情があって友達にも転校先は告げられない。もちろんやましいことは無いですよ。ただ私達家族の安全のためだけ。その生活のあと今の土地に引っ越してきた。
最近になってようやく当時の事情が少しわかってきた。親父の辛さは今でも想像できないくらいのものだったのだろうな。
今住んでいるこの土地まで来てようやくその辺から開放されたら、今度は病気で学校に行けなくなった。私立だったので授業料はもちろん私の入院や手術費用やおまけにその時期は父と別居生活だったので公務員だった親父の財政では持たなくて転校。公立に移って卒業したが、その内の1年半は入院生活。今に繋がる仕事はこの入院中にし始めた。もちろん、出席日数は全然足りない。おまけに退院後は学校とケンカ状態でサボりまくってたしね。
でもまぁそこはそれ・・・卒業はした。
今思い返すと、転校は辛かったが、悪いことばかりではなかった。自分自身が精神的に成長できたし、色々な文化に触れられた。経験というものはマイナスもプラスも自分自身でどうにか出来るもののような気がする。
ただ感謝しているのはその時々に多くの人に支えられた事だ。支えられるというのも助けてもらうだけでなく、批判をされたり苛められたりケンカしたりする負の部分も含めてのことで、その経験が確実にその後の自分を支えてくれた。大体子供の頃は自分と人を比較するという知恵が決定的に私には欠如していた。
元々体も精神も弱い自分を少しだけでもマシにしてくれたのは経験だろう。
やはり日々感謝だ。いつも喜んでいよう。
小学校で8校、中学校で3校、高校は2校、大学も2校。
中学までは父の仕事の関係だった。あ、変な職業じゃないですよ、公的機関です。念のため。
引越しは主に春や秋が多かったので大人になるまで春と秋が嫌いだった。
順当に春の転校だと最初の1ヶ月近くは物珍しさでまあいいのだが、4月の後半くらいからイジメが始まる。大体は集団でやられるのでボロカスになる。私はチビだが気だけは強かったので絶対に降参しなかったので余計にボロボロにされる。最近のイジメなんて陰湿ではあるが大した事無いなと思ってるくらい。
前歯は高校の頃までに上下共に全部差し歯になってしまった。右目も殆ど見えない。ラガーマン並みですね。体育館の2階から落とされて骨折したこともあったし、何故か大人も混じっていたので今思うとあれは犯罪だよな・・・
でも慣れたものでやられた相手に勝てる方法考えてから5月後半位から一人ずつ待ち伏せして仕返しし始めて、夏休みの頃には仲良し・・というかなんというか・・になるというパターン。結果的にはかえって私のほうがいじめっ子だったのかも知れない。子供っていうのは体格に関係なく強気に出たほうが勝つのも一つのパターンだということですね。もちろんその逆もありましたが。ただ今でもあの大人たちは許せない。
でも、いつも急な引越しになり、友達にさよならも言えないままに転校していた。
一番ショックだったのは中学の寮に入っていたとき授業中に校長先生から呼び出しがあり、そのままいきなり父の職場関係の人の車に乗せられて転校。私だけ修道院に入れられて半分隔離生活。新しい学校には行ったが大人の送り迎えつきで半年ほど自由は無かった。
何がなんだか訳がわからなかった。自分なりに頑張って入った学校だったし、思春期の初めくらいだったのでかなりショックだった。おまけに事情があって友達にも転校先は告げられない。もちろんやましいことは無いですよ。ただ私達家族の安全のためだけ。その生活のあと今の土地に引っ越してきた。
最近になってようやく当時の事情が少しわかってきた。親父の辛さは今でも想像できないくらいのものだったのだろうな。
今住んでいるこの土地まで来てようやくその辺から開放されたら、今度は病気で学校に行けなくなった。私立だったので授業料はもちろん私の入院や手術費用やおまけにその時期は父と別居生活だったので公務員だった親父の財政では持たなくて転校。公立に移って卒業したが、その内の1年半は入院生活。今に繋がる仕事はこの入院中にし始めた。もちろん、出席日数は全然足りない。おまけに退院後は学校とケンカ状態でサボりまくってたしね。
でもまぁそこはそれ・・・卒業はした。
今思い返すと、転校は辛かったが、悪いことばかりではなかった。自分自身が精神的に成長できたし、色々な文化に触れられた。経験というものはマイナスもプラスも自分自身でどうにか出来るもののような気がする。
ただ感謝しているのはその時々に多くの人に支えられた事だ。支えられるというのも助けてもらうだけでなく、批判をされたり苛められたりケンカしたりする負の部分も含めてのことで、その経験が確実にその後の自分を支えてくれた。大体子供の頃は自分と人を比較するという知恵が決定的に私には欠如していた。
元々体も精神も弱い自分を少しだけでもマシにしてくれたのは経験だろう。
やはり日々感謝だ。いつも喜んでいよう。