多発性のう胞腎との闘い

多発性のう胞腎(PKD)との闘いの日々を綴っていきたいと思います。

この気持ちは何なのか・・・・・

2009-06-26 23:40:55 | 腎臓病
自分は今年2月から人工透析の治療を受けています。
その原因となった病名は「多発性のう胞腎」別名PKDといいます。
この病は遺伝性の病気で私の場合は父親から遺伝したものです。
その遺伝する確立は二分の一と言われていますが、残念ながら我々
兄弟は姉と自分の二人とも遺伝してしまいました。
そして今はその姉も透析中です。

私がこの病名を宣告されたのは21才のときです。
そのとき既に父は透析をいていました。
今から三十数年前ですので、その頃の透析は大変だったようです。
透析時間も今よりは長く、透析効率も現在とは比べられないほど悪かった
ようで、父の透析生活は大変過酷なようでした。
食後には必ず嘔吐のためにトイレに駆け込む。
透析の無い日は殆どゴロゴロ寝ている。
そして口癖は「早くお迎えが来てくれないかな・・・・」であった。

そんな父親を毎日見ていたので、自分は透析に対してはとても強い
恐怖心があった。
「いつの日にか必ず透析になる」そのことを宣告されていらい三十数年
片時もそのことを忘れたことはなかった。

ほんのかすかな体調の変化にも常に「いつかは透析」の恐怖におののいて
いた。

そして今年とうとう透析導入となった。
しかし間違いなく気持ち的には楽になった。

変な話、透析導入となってホットしている自分がいるのである。