途中、京都サンガFCに期限付き移籍したもの、J2時代から2007シーズン半ばまでアルビレックス新潟で大いなる活躍と足跡を残した鈴木慎吾には、アルビレックス新潟サポーターの多くがたくさんの思い出と思い入れを持っていることでしょう。
現在は10番や20番といった背番号入りのレプリカユニフォームを着用する新潟サポーターが目立ちますが、2007シーズン以前は18番、「1+8」ユニフォームを着る人が目についてましたからね。
そう、単なる「18」でなく、足して「9」となるよう「+(足す)」を付けた背番号の衣類。
J2時代、1シーズンだけ背番号9を付けてて、それでそんなレプリカユニフォームを作ったんでしょうね。
みなさんが慎吾で真っ先に思い浮かべることは、きっと新潟がJ1に昇格して初めて勝った試合、アウェイ柏戦でしょう。
後半アディショナルタイムに慎吾とエジミウソンが立て続けに得点して逆転勝ち。
慎吾のそれは、新潟がJ1に昇格して最初に記録した得点でもあり。
次いでみなさんが思い出されたのは、敵チーム大分の選手として、新潟を一敗地に塗みれさせて、アルビレックスに有終の美を飾らせなかった2007シーズン最終戦でしょうか。
ブレ球シュートをぶち込み、森重真人(現FC東京)の得点に直結するフリーキックを蹴って。
結果、他力本願でアルビレックス新潟は6位となったけど、場合によっては慎吾のせいで、8位以下も有り得たわけで。
手痛い恩返しでしたよね。
筆者が鈴木慎吾で一番に思い出すのは、2006シーズン5月の大型連休最後の日に行われたホーム清水戦。
2得点1アシスト、あわやハットトリックの大活躍でエスパルスに大勝した試合。
あの試合の慎吾は凄かった。
「凄かった」という言葉でしか表現できないほど、凄かった。
拙が観た試合の中で、慎吾の最高試合。
次いで思い浮かぶのは、契約更改交渉の大トリ。
他の選手たちがサインを済ませたっていう発表が相次ぐのに、彼のはなかなか表に出ない。
だから、ツイッターのない当時は2ちゃんねるや老舗と呼称された掲示板で、慎吾の去就を巡る書き込みが溢れて。
それが毎シーズン1月の風物詩でした。
原博実FC東京監督(現日本サッカー協会専務理事)が、慎吾に御執心で。
慎吾は東京に移籍するんか?とハラハラでした。
慎吾に関して残念極まることが二つ。
一つは、新潟で優勝経験を共有できなかったこと。
京都サンガFCでは全日本サッカー選手権、大分トリニータではJリーグヤマザキナビスコカップの優勝を味わえた慎吾。
尤も、ナビスコは出場停止で決勝に出られず、メダルは掛けてもらえなかったけど。
一番長く在籍したチームでは優勝できず、逆に彼が期限付き移籍中に新潟がJ2優勝とJ1昇格を果たすという皮肉。
彼と歓喜を分かち合えなかったのが心残り。
もう一つは、日本代表に呼ばれなかったこと。
終ぞジーコ日本代表監督は、彼を選ばなかった。
ジーコは関東と関西のJ1クラブからしか代表を選抜しない、そんな噂もあったくらい地方クラブ選手に冷淡。
が、鈴木慎吾は違うんじゃないか、新潟初の代表招集選手は彼では?
そんな期待があったのに、実際新聞報道で彼の名前が挙がったけど、呼ばれなかったのが今なお残念でなりません。
慎吾は、又聞きですが、どこぞのチームのコーチ就任の話があるとのこと。
そこでの活躍と健闘をお祈りします。
今までお疲れ様でした。
ありがとう。
現在は10番や20番といった背番号入りのレプリカユニフォームを着用する新潟サポーターが目立ちますが、2007シーズン以前は18番、「1+8」ユニフォームを着る人が目についてましたからね。
そう、単なる「18」でなく、足して「9」となるよう「+(足す)」を付けた背番号の衣類。
J2時代、1シーズンだけ背番号9を付けてて、それでそんなレプリカユニフォームを作ったんでしょうね。
みなさんが慎吾で真っ先に思い浮かべることは、きっと新潟がJ1に昇格して初めて勝った試合、アウェイ柏戦でしょう。
後半アディショナルタイムに慎吾とエジミウソンが立て続けに得点して逆転勝ち。
慎吾のそれは、新潟がJ1に昇格して最初に記録した得点でもあり。
次いでみなさんが思い出されたのは、敵チーム大分の選手として、新潟を一敗地に塗みれさせて、アルビレックスに有終の美を飾らせなかった2007シーズン最終戦でしょうか。
ブレ球シュートをぶち込み、森重真人(現FC東京)の得点に直結するフリーキックを蹴って。
結果、他力本願でアルビレックス新潟は6位となったけど、場合によっては慎吾のせいで、8位以下も有り得たわけで。
手痛い恩返しでしたよね。
筆者が鈴木慎吾で一番に思い出すのは、2006シーズン5月の大型連休最後の日に行われたホーム清水戦。
2得点1アシスト、あわやハットトリックの大活躍でエスパルスに大勝した試合。
あの試合の慎吾は凄かった。
「凄かった」という言葉でしか表現できないほど、凄かった。
拙が観た試合の中で、慎吾の最高試合。
次いで思い浮かぶのは、契約更改交渉の大トリ。
他の選手たちがサインを済ませたっていう発表が相次ぐのに、彼のはなかなか表に出ない。
だから、ツイッターのない当時は2ちゃんねるや老舗と呼称された掲示板で、慎吾の去就を巡る書き込みが溢れて。
それが毎シーズン1月の風物詩でした。
原博実FC東京監督(現日本サッカー協会専務理事)が、慎吾に御執心で。
慎吾は東京に移籍するんか?とハラハラでした。
慎吾に関して残念極まることが二つ。
一つは、新潟で優勝経験を共有できなかったこと。
京都サンガFCでは全日本サッカー選手権、大分トリニータではJリーグヤマザキナビスコカップの優勝を味わえた慎吾。
尤も、ナビスコは出場停止で決勝に出られず、メダルは掛けてもらえなかったけど。
一番長く在籍したチームでは優勝できず、逆に彼が期限付き移籍中に新潟がJ2優勝とJ1昇格を果たすという皮肉。
彼と歓喜を分かち合えなかったのが心残り。
もう一つは、日本代表に呼ばれなかったこと。
終ぞジーコ日本代表監督は、彼を選ばなかった。
ジーコは関東と関西のJ1クラブからしか代表を選抜しない、そんな噂もあったくらい地方クラブ選手に冷淡。
が、鈴木慎吾は違うんじゃないか、新潟初の代表招集選手は彼では?
そんな期待があったのに、実際新聞報道で彼の名前が挙がったけど、呼ばれなかったのが今なお残念でなりません。
慎吾は、又聞きですが、どこぞのチームのコーチ就任の話があるとのこと。
そこでの活躍と健闘をお祈りします。
今までお疲れ様でした。
ありがとう。