ミャンマーに美容学校作るのが夢ブログ

日本を飛び出し上海で5年生活した散髪屋さん、経営も軌道に乗ってたのに突然『次はミャンマー!』と言い出した緩めのブログ

上海のリーズナブルな賃貸の探し方①

2019年02月21日 | BAR・BERオ~ナ~の雑記

さて


もうすぐ『平成』は終わり、新しい年号が少し気になる今日この頃

気づけば上海での生活はあっちゅう間に5年が経ちました





上海生活を思い返すと実は住まいを3回も引っ越しておりまして

昔の住まいの近くを通ると今でも当時を思い出します

上海で気持ち良く生活できたのは

部屋を貸してくれた家主さんや

紹介頂いた不動産やさんに本当に恵まれていた事が大きかったです





上海で一番最初に住んだのは3000元のワンルームでした

お世辞にも綺麗とは言えない部屋でしたが

当時、金銭に余裕のない私には十分な部屋でした

ある日帰るとドアに

『生活には困ってないか?何か困ったら連絡ください』

と中国語でメモが貼ってありました

時には部屋の前に差し入れがあった事もありました

親切すぎる50歳前後の家主さんでしたが

昔日本に旅行に行った時、道に迷い日本語も分からず途方に暮れていた時

知らない日本人に親切に助けてもらった事が今でも忘れられないと

理由を語ってくれました





次の引越し先の大家さんはお若い夫婦でした

『日本人は部屋を綺麗に使ってくれる』と快く貸していただきましたが

諸事情で契約を満了できずに引っ越す事となり

ご迷惑をお掛けいたしましたが

理由を承諾いただき笑顔で見送って頂けました





そして、今の部屋は一番長く借りています

家主さんは高齢のお婆ちゃんです

膝が悪いらしく、お一人で遠くに行く事もできません

最初は中国語も話せない異国人に戸惑いもされていたようです

ある寒い日に部屋の様子を見に来られました

中国語の分からない私と上海語しか話せないお婆ちゃん。。。

勿論、会話が成り立つ訳もなく、お婆ちゃんは直ぐに帰って行かれました

帰り際、私は日本から持って来てたホッカイロを手渡しました





契約満了と共に今の部屋とのお別れも近づいています

細かいやり取りは難しいと知人の不動産屋さんに仲介を頼みました

家主のお婆ちゃんとの連絡の後、不動産屋さんから


不『本当に優しいお婆ちゃんね』

私『?どうしてですか??』

不『あの子は中国語も分からないし、心配だって』

私『。。。確かに。。。』

不『でも家賃も1回も遅れる事なく払ってくれたし』

私『。。。』

不『寒い日にカイロをくれた優しい子だから』

私(覚えてくれてたのか。。)

不『どうか最後まで助けてあげてねって頼まれたよ』





貸してくれてる人に感謝

借りてくれてる人に感謝

言葉は通じなくても気持ちは伝わります


お部屋を探す時、あれこれ物件を見に行ったりと

想像以上の労力を必要とします

特に海外では思い通り探せない事も多々あると思います

次の回では私がお世話になった不動産屋さんをご紹介いたします


to be continued























最新の画像もっと見る

コメントを投稿