歌詞がつかないメロディが、たくさんある。
その一方で、メロディがつかない歌詞もたくさんある。
ならば、歌詞がつかないメロディの断片に、メロディがつかない歌詞を乗せればいいじゃないか・・とも思うが、ことはそう単純でもない。
というのも、メロディの断片が浮かんだ時に、おぼろげにだが、「こんな歌詞が乗せられたらいいな」というイメージがあるからだ。
それは具体的なものではないことも多い。
具体的なイメージがある場合は、歌詞を書き始めることも可能だったりする。
また、歌詞にしてもそう。
歌詞を書いた時に、おぼろげにメロディのイメージが頭にある場合もあって、すでに持っている「歌詞のついていないメロディ」は、イメージに合わなかったりして、ドッキングさせる気にならなかったりする。
また、あまりにもイメージがおぼろげすぎて具体性が見えてこない場合、余っているメロディと余っている歌詞を、試しにドッキングさせようとしたこともあるのだが、メロディの抑揚に合ってなかったり、歌詞の言葉のアクセントにあまりにも合っていなかったり。
根本的に曲調や、歌詞の内容に合っていなかったりもする。
なんでもドッキングさせればいいというものでもないし。
そんな場合は、もっとふさわしいメロディや歌詞が浮かぶのを待つことになる。
で、「待ち」の状態になると、そこから時間がかかってしまうことになる・・。
中々浮かんでこないうちに、忘れてしまったりもする。
あるいは、その「待ち」時間の間に、自分の趣味が変わってしまうこともある。
そんなこんなで、大量に残されたメロディの断片の山、歌詞の山。
カセットやMDの時代に、メロディの断片が大量にメモ録音されたカセットやMDがあるのだが、特にカセットなど今はほとんど聞く機会はなく、断片の山は、私の記憶の中にしかない。
録音した時は、あくまでも「メモ録音」でしかなかったものだから、わざわざそれをデジタル保存するほどの代物でもなく。
人間の記憶だけ・・ということだと、当然「忘れる」ということもあるわけで、忘れてしまったら、もうそれは「無い」のと同じ。
それでも、ある程度気に入っていた断片だと、何かの拍子に思い出すこともある。
もしくは、無意識のうちに、まるで新たに浮かんだ断片であるかのように「戻ってくる」ものもある。
実はそういう断片こそ自分にとっては「使える」断片。
忘れてしまって、二度と戻ってこない断片は、たとえそれが浮かんだ時に曲として完成したとしても、あまり納得できる出来にはならなかったりする。
忘れて戻ってこない断片に関しては、そう思うしかない。
ただ、何年も・・あるいは何十年も忘れることなく覚えているメロディも少なからずあって。
いつか歌詞が浮かぶんではないか・・・と思ってはいるのだが、結局つかないままで。
これが生ものなら、どっくに賞味期限は過ぎている(笑)。
だが、生ものではないから、いつまでも自分の中で宙ぶらりんなままで漂ってい続けている。
いくつは、どうにかしておきたいのだが・・。
どうしてもメロディ、もしくは歌詞をつけておきたいものもあるので。
これだけ長い期間、その断片に合うメロディや歌詞が浮かばないでいると、もう自力では無理ではないか・・・と思うこともある。