
藤子不二雄Aさんこと、安孫子素雄先生の他界は、寂しいことだった。
子供の頃から藤子作品に親しんできた者としては、特に。
好きな作品は多かった。
忍者ハットリ君、怪物くん、まんが道、笑ウせぇるすまん、魔太郎がくる、ブラック商会変奇郎、その他名作・傑作、ヒット作は多数あった。
またひとりレジェンド漫画家がいなくなり、悲しい限りだ。
安孫子先生の訃報をきっかけに、私は先生の「まんが道」という作品を読み返してみた。
すると、以前読んだ時にはスルーしていた部分に気付いた。
それは・・藤子不二雄先生・・・安孫子先生と藤本先生がトキワ荘に入居した時には、少なくても当初は漫画家ではない一般人の入居者もいたようだ。
もし「まんが道」に描かれてたトキワ荘の様子が事実なら。
まあ、多分そうだとは思うが。
最初に手塚先生が入居しており、その後寺田ヒロオ先生が入居してきて、やがては安孫子先生と藤本先生も入居し、その後には石ノ森先生や赤塚先生なども入居することになったわけだが、映画などでトキワ荘が描かれる場合、漫画家以外のトキワ荘の住人にはあまり触れられない。
なので、ちょっと見では、トキワ荘にはまるで漫画家しか入居していなかったような錯覚を覚えがちだった私だが、よく考えればトキワ荘というのは最初から漫画家を多数入居させる目的で建てられたアパートではなかったはず。
なので一般人の入居者がいても、本来はちっともおかしくない。
「まんが道」によると、藤子先生たちが入居した時、一般の素敵な女性も住んでいたようだ。
まあ、その「まんが道」でも、トキワ荘の漫画家以外の入居者に関しては、話が進むにつれほとんど描かれなくなっていったので、漫画家以外の住人の推移はよくわからない。
とにもかくにも、寺田先生の意向もあり、トキワ荘は漫画家の梁山泊みたいなアパートになっていったわけだが、寺田先生、藤子不二雄先生、石ノ森先生、赤塚先生などが入居していた頃のトキワ荘の「それ以外の住人」はどんな人たちだったのだろう。
前述の「素敵な女性住人」に関しても、いつまでその女性たちが入居していたかはわからない。
まんが道には、先住人の「素敵な女性たち」は藤子先生たちが入居したばかりの頃には作品中でも出てきたが、やがて全く登場しなくなったので、ほどなくして転居していった可能性はある。
そして、空いた部屋に漫画家たちが入ってきた・・・ということかもしれない。
もしも・・トキワ荘に寺田先生、藤子両先生、石ノ森先生、赤塚先生などが同時に住んでた頃に、漫画家以外の一般の入居者がいたのだとしたら、そういう人たちにとって同じアパートに漫画家が多数入居しているのは、どういう感覚だったのだろう。
漫画家たちは誰かの部屋に集まって即席パーティやったり、誰かの作品を手伝ったり、アイディアを練ったりしてたわけだし、そこには雑誌の編集者も頻繁に来ていたはずだ。
漫画家ではない一般人入居者は、漫画家同士の集まりには参加していなかったとは思うし、だとしたらたまには彼らの仲間に入れてもらいたくなったりしなかっただろうか。
だが、漫画が描けない以上、彼らと対等に話しあったりはできなかったろうけれど。
もしかしたら必死に夢を追いかける若手漫画家たちの姿を見て、自分も何かを目指そうという強い気持ちにさせられたかもしれない。
あるいは、同じアパートの住人として、うるさく感じることもあったのかもしれない。
もしくは、同じ目標を持つ人たちが集まって、団結してエネルギッシュに活動しているのをうらやましく思ったかもしれない。
とりあえず、ミュージシャン志望の人たちが集まっているよりは静かだっただろうとは思う。
ミュージシャン同士だったら、部屋でセッションとか始めそうだし、楽器を弾いたりもしただろうし、歌を歌ったりハモりの練習をしたりもあっただろうから、静かだったとは思えない。
その点漫画家というのは、いざ漫画を描いている時は静かなはず。
まあ、BGMで音楽を流すことはあったかもしれないが、それは普通の一般人の入居者にもありえることだし。
世にはトキワ荘の物語では、そこに集っていた漫画家の話が語られるが、同時に当時入居していた一般人の視点によるトキワ荘の物語というのは見たことがないし、読んだこともない。
なので、そんな人たちの視点によるトキワ荘物語などもあれば興味深かったかもしれない。
いわゆる「もうひとつのトキワ荘物語」ということで。
ただ・・・トキワ荘に住んでいた漫画家たちは多くの人がすでに他界されている。
ということは、同時に入居してた一般人も他界されてる可能性はある。年齢的に。
ということは、「もうひとつのトキワ荘物語」という切り口の物語は、今となっては難しいのだろうね。
個人的には、その点は少し残念。
職種でいうと会社員、工場の工員、飲食店の店員だろうか。
マンガ家さんは、徹夜の仕事が多いですから、昼頃から起き出して
1日が始まるので一般の方と生活のリズムが、異なります。
また、昭和30年代ですとマンガという媒体が、まだまだ一般に
文化として認知されておらず、マンガ家というと一流のマンガ家以外は
なにかアヤシイ職業と思われていた節があります。
あの頃の日本人は、勤勉でマジメな人間が評価された時代でしたから。
マンガ家志望の子供がいても、親も学校も猛反対した時代でした。
ですから、マンガ家さんと一般の方たちとの交流は、あまりなかったのかも
知れません。
またマンガ家さんと付き合うと、自分がマンガのネタにされる
リスク(?)があるような気がします。
マンガの似顔絵の極意は、その人の顔の欠点を誇張して
描くことですから、(イヤミの出っ歯・ダヨーンの大きな口)
ネタにされた人はあまり気分の良いものではないでしょう(笑)
とりあえず優しく感じのいい女性でした。
同じアパートの住民の漫画家を多少は気にかけながらも、特別視はしてない印象でした。
今は漫画家の地位も上がってますから、今ならもっと特別視したかもしれないですね。
漫画家と付き合うとネタにされる…なるほど、確かにそれはありますね。
良い印象で描かれればいいけと、そうじゃない印象で描かれるのは、ちょっと困るかも(笑)。
だとすると、迂闊には交流できないかも(笑)。
安孫子素雄先生がトキワ荘に住んでいた頃にああいう住人がいたのでしょうか?
その女性達がどういう仕事をしてるかはわかりませんでしたが。
子供の頃、小柄(3月生まれだし)でいじめられっ子だったと言うのは知っていましたが、お寺の息子さんだったというのは初耳でした。
上京してから、電車に長時間乗っていろいろな人を観察していたと言う話が面白かったです。
そう言えば「魔太郎がくる!!」で若い漫画家が魔太郎が虐められているのを見て、それを題材にした作品を発表したエピソードがありましたね
ある意味それもネタ探しなのでしょう。