時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

ひとりの外国人旅行者が日本の一部を変えた日  

2021年01月10日 | 

 

ある外国人旅行者の気持ちが、日本政府をすばやく動かしたことがあった。

とかく対応が遅いと言われがちな日本政府だが、その時の対応は早かった。

なんだ、やればできるではないか・・・と思った覚えがある。

と、同時に、なぜいつもこのようにスピーディに出来ないのか・・とも。

 

 

かつて日本には「トルコ風呂」と呼ばれる風俗店があった。

それは後に「ソープランド」と呼ばれる店だ。

 

これはソープランドがまだトルコ風呂と呼ばれていた頃の話。

あるトルコ人が日本に旅行に来た時、当時「トルコ風呂」と呼ばれていたお店に入った。

遠い異国の地・日本で、母国を思い起こさせる風呂があったら、親近感を持って入りたくなる気持ちはわかる。

私とて、どこか外国に行って、日本スタイルの「銭湯」の店があったら、きっと入りたくなるだろう。

そのトルコ人旅行者もきっと、母国トルコのようなスタイルの風呂なんだろうと思って、多少なりとも母国への思いも馳せながら入ったのであろう。

ところが・・入ってみたら、あらびっくり!

 

裸の女性が出てきて、性の相手をする。

 

旅行者は面食らったそうだ。

 

で、なにかの媒体に向かって、「トルコの風呂は、こういう風呂じゃありません。日本に来て、トルコ風呂があって、入ってみたら性風俗の店だなんて・・。悲しいです。」

という趣旨のことを語ったそうな。

 

すると・・!

この時の日本政府の対応は早かった。確か、国会で議題にあがったのではなかったか。

で、その旅行者の気持ちを「ごもっとも」と言ったかどうかはわからないが、ともかく「トルコ風呂」という名称を禁止(?)し、代わりに「ソープランド」という名称に変更したのだった。

 

てなわけで、長年「トルコ風呂」と呼ばれていた店は、「ソープランド」という名称で呼ばれることになった。

 

トルコ人旅行者は、まさかこんなに素早く対応してるくれるとは思ってなかったらしく、

「ひとりの旅行者の意見を、ここまで大事にとりあげてくれて、しかもこんなに素早く対応してくれたことに感激しています。これからもトルコと日本は末永く友好国であることを願っています。」

という趣旨のことを語った・・・私の記憶ではそうなっている。

 

このニュースを耳にした時、私はふと思った。

なぜ、「トルコ風呂」という名称で呼ばれてきたのだろう・・と。

また、ならば本物のトルコ風呂は、どういう風呂なんだろう・・とも思った。

 

トルコ式風呂は「ハマム」と呼ばれ、基本的にサウナ風呂で、汗をかいた体を「あかすり師」みたいな人があかすり・マッサージ・脱毛などのサービスをする風呂らしい。

男性客には男性のあかすり師が、女性客には女性のあかすり師がサービスを行うらしい。

このへんが、本場のトルコ式風呂と、日本のソープランドと違う点であろう。

日本のソープランド(かつてのトルコ風呂)は、男性客に女性スタッフ(?)がサービスをするが、客に対して店のスタッフがサービスをするという点ではトルコ式風呂と同じなので、「トルコ風呂」という名称で出店し、届け出を出した・・とのこと。

ただし、浴室の中では男性と女性が2人きりになるし、そこから発生する(?)自由恋愛は店側は関知しない・・ということであろう。

店側は、ある意味「黙認」という形なのであろう。建前上。

で、それがかつての日本では風俗店「トルコ風呂」として広まっていったということみたいだ。

 

考えてみれば、接客するスタッフが若い異性であるという点は、かなり大きい要素だと思う。

 

そこが、本物のトルコ式大衆浴場と、ソープランド(かつての「トルコ風呂」)の決定的な違いだろう。自由恋愛(という名の性サービス)があるかないか・・の違いが。

 

ただ、本場トルコの人から見たら、これは国辱ものに感じてもおかしくないやね。

 

その名称をある意味黙認してきた日本側としては、一種のうしろめたさみたいなものもあったのではないだろうか。

だから、トルコ人からのクレームに、素早い対応をしたのだろう。

 

与党の政策に反対の立場をとるのが野党であっても、さすがにいくらなんでもこういう議題には反対の立場はとれなかったであろう(笑)。

 

日本とトルコとは歴史的に長い友好関係にある。

名高いエルトゥールル号事件以来。

皆さんもご存知のように1890年に和歌山沖の海でオスマン帝国(その一部が現トルコ)の軍艦エルトゥールル号が遭難し、500名の犠牲者が出た時、現地の沿岸の日本人住人たちが献身的に生存者を介護し、やがて生存者は日本の軍船で無事に本国に丁重に送り届けられた。

このことは、トルコでは教科書にも記載されているらしく、そのせいもありトルコは親日国であると言われている。

トルコ人のその感謝の気持ちは、1985年のイラン・イラク戦争でイランから日本人が出国できなくなった時、トルコ航空が飛行機を飛ばして日本人を出国させ助けてくれたことでも現れていると思う。そう今度はトルコ人が日本人を助けてくれたのだ。

 

このことは、映画にもなったし、ご存知の方は多いはず。

 

こんな感動的ないきさつもあり、日本とトルコは友好関係にあると言われている。

 

ちなみに、トルコ風呂の名称がソープランドに変えられたのは1984年。

イランイラク戦争でトルコが日本人を助けたのは1985年。

そう、トルコ風呂という名称がソープランドに変えられたのは、イランイラク戦争でトルコが日本人を助けてくれた年の1年前だ。

 

そんなタイミングを考えると、「トルコ風呂」のネーミングみたいな俗的な問題で、せっかく友好関係にある日本とトルコの関係が悪化しないですんでたのは本当によかった。

また、トルコ風呂というネーミングをソープランドという名称に変えても、経済的な損失は特にないように思える。そういう店が禁止になったわけではないのだから。

まあ、そんなこともあって、日本政府の対応は早かったのであろう。

 

とにもかくにも、トルコ人旅行者(留学生?)の「トルコの風呂は、こういう風呂じゃありません。日本に来て、トルコ風呂があって、入ってみたら性風俗の店だなんて・・。悲しいです」・・・という発言は、日本の政府を動かし、その時の対応は早かった・・・そんな一件があったのだ。

そんな素早い対応を、政府はもっと他の分野でもやってもらいたいものではある。

コロナ対応での政府の対応の遅さを見るにつけ、そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 


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