goo blog サービス終了のお知らせ 

やまがた好日抄ーⅡ

低く暮らし、高く想ふ! 
山形の魅力を、日々の関心事を、気ままに…。

師走

2021-12-29 | やまがた抄
今年も、あと三日になりました。
昨年に続き、仕事もプライベートもコロナヴィルスに翻弄され、中身の薄い一年でした。

大晦日に食べる生そばを買ひに出かけました。
一寸早いのですが、30日は用事があり、31日では大混雑でせうから、今日の買ひ物でー。
行く道すがら、護国神社の鳥居が、久しぶりに晴れた青空の下で鮮明でした。


穏やかな日になりましたので、この後はまた雪になるでせう。

半端に溶けた雪道をガクンガクンと走り、
酒井製麺の直売場に着きました。


家で蕎麦にするときは、いつもここの生そばです。
特に、田舎そばの生めんがおいしく、店内も多くの人が買ひ求め、皆10人前や20人前と頼んでゐました。
今年は、帰省の人も多いのかもしれません。

大晦日にかけてまた寒波がくるやうですが、その前の、穏やかな師走です。

酒井製麺のHPありました。
https://www.sakaiseimen.com/






奪衣婆

2021-12-21 | やまがた抄
寒河江市にお住ひの鹿間廣治氏の『奪衣婆-山形のうば神-』(東北出版企画)といふ本を読みました。


山形県内の奪衣婆(だつえば、と読みます)を足で探してまとめた本です。
登山の時に、なるほど道の途中に奪衣婆の姿はかなり見ることがあり、写真も撮った記憶があるのですが、PC内のファイルを探したのですが見つかりませんでしたー。間違って、削除してしまったかー⁈

奪衣婆は、三途の川の手前で死んで来た者の衣類を非情に剥ぎ取り、懸衣翁といふ相棒のジイさんをあごで使ってその衣類を近くの樹に掛けさせ、その枝のしなり具合(つまり、生前の罪の重さ)を閻魔大王にチクるといふ、とても大事な役目に日夜奮闘してゐる老婆です。

調査報告を受けた閻魔大王が、裸にされた亡者の行く先、つまりか極楽か地獄か、地獄も色々な階級があるのでどの地獄にするか、を判定するわけです。
とても大事な役目を仰せつかってゐます。小生は、奪衣婆は閻魔大王の配下でありながら実は愛人であると、また、三途の川周辺の実権は本当は奪衣婆がすべてを握ってをり、閻魔大王はカイライ政権だ、と常々思ってゐますがー。

まあ、そんな話はともかく、本の中では、かなり素敵な奪衣婆の姿もありましたので、少しずつ手を合はせに行かう、と思ってゐます。







漆山陣屋

2021-12-17 | やまがた抄
現在の家に住まひ始めてすぐ、漆山陣屋といふ遺構があるのは知ってゐました。
同じ町内会ではありませんが、出羽地区といふ場所の一角でした。
町内会の清掃やら、近くの神社のお祭りやらで、界隈は歩いてゐました。

ずっと気にはなってゐましたが、忙しさにかまけて調べることもないままでした。
先日、戊辰戦争の時、この地を駆け抜けた事件を、高橋義夫先生がお書きになった小説をやっと図書館で見つけられました。
『吹きだまり陣屋』(新人物往来社)です。

小説の主な舞台になるのは、現在の上山市、山形市、天童市、寒河江市、大江町あたりですので、強大な薩長軍の前に笹の小舟のやうに翻弄される陣屋の人々と村民たちの姿にとても親近感をもって読み終えました。

……薩長はどうでも奥羽の地を血で染めねば引かぬつもりだ。…
……列藩同盟趣意書に署名したことは、奥羽の中に孤立した分領の陣屋として周囲の大藩に脅迫されてやむを得ずやったのだといういいわけは、 新政府にたいしても藩にたいしても成立しない。そもそも武士として心ならずも誓約するなどということがあろうか……

小生、山形に移住してかなりの時間が過ぎましたが、移住してすぐに戸惑ったことは、山形弁と戊辰戦争への違和感でした。
山形弁に関しては、当初、東京弁を話す変な現場監督がゐる! といふことで、職人さん達は一向に指示に従ってはくれず、かなりの苦労がありました。まあ、今は昔の話ですがー。

そして、戊辰戦争ー。
きっかけは定かな記憶がないのですが、気にし始めて調べてゆくと、結局、薩長連合のクーデターによる政権奪取といふことになります。
今年の初め、東南アジアの国でありました。
そして何よりも、現在の新潟県を含めた東北6県が奥羽越列藩同盟を結成し、クーデター連合と対峙したことです。まさに、内戦です。
戊辰戦争のことを書き出すと止まらないのですが、やはり、ツートップだったはずの仙台藩と米沢藩の軟弱さと情報不足と戦略不足が顕著に見へてきます。
そして、その指示を充分に受けられない小藩は保身のために寝返りが頻発する。三春藩しかり、秋田藩しかり、そして山形県では天童藩と新庄藩ー。
敵は薩長連合だったはずが、同じお国言葉を話す人々同士が相まみえる戦ひになってゆくー。
そのあたりの悲劇を『吹きだまり陣屋』は描いてゐます。

最近、地区のコミュニティセンターで、出羽地区の歴史マップを見つけました。
春になったら、ゆっくりと散策してみるつもりです。

ちなみに、高橋義夫先生とはささやかな交友をさせていただいてゐます。
先日も、干し柿とサトイモとサツマイモをお持ち致しました。いつも、先生が入れられるコーヒーをご馳走になりながら、四方山話をいたします。
この次に伺った時には、漆山陣屋の話をたくさんお聞かせ願ふつもりです。


鉄門海といふ生きかた

2021-12-06 | やまがた抄
山形は、全国でも屈指の即身仏が多い地です。

小生の知り合ひで、中近東の方ですが、即身仏にとても興味を持ち、庄内までは無理でしたが、山形市郊外の寺を紹介したことがありました。
彼は、Self made mummy と云ってゐましたが、拝顔してとても感動した、と興奮して話してゐたのを覚えてゐます。

鶴岡市の注連寺に、鉄門海上人の即身仏が大切に守られてゐます。
芥川賞作家の森 敦の名作『月山』の舞台になったところです。
奥様が庄内の方といふこともあったのでせうが、森 敦はこの地を舞台にした難解な小説を紡ぎだし、一躍著名な作家になります。

小生もこの寺が好きで、幾度となく足を運んでゐますが、七五三掛(しめかけ)桜といふ桜があって、段々と色を変へてゆく桜なのですが、何せ寒さ厳しく雪の多いところゆゑ、よいタイミングではお目にかかれません。

以前の写真を載せます。




そして、この寺に安置されてゐる鉄門海上人です。

以前、NHKの歴史番組で取り上げられ、その後半に鉄門海の半生を追ひ、かなりの反響もあったに聞きます。
小生も、以前から鉄門海の名は聞いてをりましたが、その短いドラマを見て、至極胸を打たれ、コロナが収束したら庄内で彼の足跡を訪ねる予定をしてゐます。
番組のダイジェストのHPがありました。
こちら-1
こちら-2
です。
鉄門海の特異なところは、一説によれば、武士を切り、逃げるやうに仏門に入り、凄まじいまでの山岳修行をし、やがて即身仏を志向するも、病死でその志しをとげられなかったことです。
そして、その遺志を村人たちが受け、彼の屍を海水で清め、石室に安置し、数年の後に即身仏として蘇らせたといふことです。
確かに、注連寺内に安置されてゐる鉄門海の姿は、とても保存のよいミイラの姿のやうです。

NHKの番組でも紹介されてゐましたが、自利利他円満、の言葉通りに鉄門海は生前も死後も、尊敬され、敬はれ、仏として手を合はされてゐます。

続くコロナ禍にあって、人と交はることが少なくなってゐる今、人とはどうあるべきか? の、小さな答へがあるやうな気がします。


再開

2021-12-02 | やまがた抄


ブログを再開できました。

4年ぶりです―。すっかり、時間が過ぎてしまひました。
パスワード等を失念し、仕方なく、その弐として再開しました。

4年の時間の間に、義父母を送り、我が母も送りました。
4年の時間の間に、住まひも移り、畑付きの中古住宅を買ひました。

そして、1000年に一度といはれた大震災の後に、
いまは、100年に一度といはれるコロナヴィルスのパンデミック禍、です。

世の中の景色がすっかり変はり、
まう、2年近く、飲み会やカラオケ等々の集まりもなく、
まあ、小さな食事会くらゐはありますが、バカ騒ぎをすることもなくなりました。

果たして、この先に、どんな景色が見へてくるのか、もちろん、誰もわかりません。
ただ、両足が地面についてゐる生活だけは送りたいと思って、ブログを再開したところです。


写真は、山形県立中央病院です。
山形県の、コロナ対策や治療の最前線の病院です。
小生の、ウォーキング・コースからの壱枚です。

我が母や、義父母たちも幾度となくお世話になった病院ですが、
救急のエリアでは、いつでも戦場のやうな景色に幾度も遭遇しました。

山形県のコロナの第5波をなんとかやり過ごし、いまはひと息して、
また次の戦ひに向かふべく、凛と、前を向いてゐるやうな姿でした。