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言葉のパワー

2015-06-29 02:42:40 | 日記
リバーランスルーイットはいい映画だった。THE休日じゃないと絶対に観る集中力が湧かないけど!

しかも、コンディションがTHE休日じゃないと良さを感じれない。ゆったりと人の話を聞く余裕がどこかにないと無理な映画。

アメリカ文学をよく知ってたら、もっと良さを発見できるのかなー?

リバーランスルーイットで最後の名言が「大切な人が助けを請うてるとき助けたくとも相手が拒むかもしれないとき助けを差し伸べても相手が腕からすり抜けてしまうときどうすればいいとか、それはただ愛し続けること」(←※正確ではない)

なるほど~と思った。

守ろう、助けようとする側のスタンスってとても難しいことと思うけど、この言葉はなんか見守る側にとって、とても安心する言葉に感じた。助ける方法がわからないプレッシャーに打ち負けて片方を守れなかったり、あるいは双方とも倒れてしまうなんてことで後に後悔が残る事って多々あると思う。

その後悔を水に流したり守れなかったことを正当化できるわけじゃないけど。

一方で冷静な見方をすると、愛って大義名分でもって、もはやスタンスを取るということが難しさや義務ではなくなるだろうと無意識に感じさせるような言葉のロジックみたいのがあり、欧米人的な言葉のうまさを個人的に感じた。

でも非常に抽象的だし、実際問題となると具体策を立てて取捨選択するしかない。究極の決断をするしかない。

だから私は大人になるにつれ文学って好きじゃなくなった。極端な話、個人的に、活字はミステリーか実録しか読む価値がないなんて思ってるところもぶっちゃけある。

ただ言葉にはパワーがある。
同時にそれは気休めでしかないとも思う。物事の解決って結局、その問題と向き合うか立ち向かうかして自らの経験や実績にして初めて次に進めると思う。ストイックなことを、言うが易しで綴ってるけど、言葉のパワーに依存するとそれこそ言うが易しの如く言葉を並べで終わる。
女子会の最後は、やっぱさ頑張ろ☆で終わる建設的でない飲みの時間のような笑。

光陰矢の如し、話してる場合じゃない、何か行動しなくちゃいけない。

その行動の一つに勿論「話し合い」はあるけど。話し合いも誰かが何かしなくちゃ進まないしまとまらない。

だからやはり私は文学は嫌いです。一応大学で、とても学んだとは言えないけど文学科に入って唯一出た答えはそれだった。とにかく言葉が嫌いになったし言葉を並べるしか術がない自分が嫌だった。というか、そもそも自分の無能さってだけで文学を否定する資格は甚だないんだけど、でも太宰治とか石川啄木とかカスとしか思えねぇし、私ごときが言う資格はないとか関係なく、まずあいつら自分で自分のことそう言ってそれで自殺するような連中だし、男としてもないわ。功績はデカく偉大とは思うけど、やっぱ生産性ない。詩人もろくでなしのイメージしかない。

そういう時代に生きてるんだと思う。もっと言うと、言葉のパワーの価値やポイントは、それでいかに利益を生むか、例えば広告だとかエンタメだとか。生きるエネルギーやきっかけにはなるから。でも結局自分が行動しないとダメだし。これが私の文学の見方ですわ。

最後、すげー批判的に終わったな。

だけど傷ついた心、ショックが与えられた心には言葉はやはりパワーを持つんだな。祖母が死んだ時、祖父が死んだ時、葬式の度にそれを思った。

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