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行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

元日。

2010年01月02日 00時33分32秒 | 日記

31日に熱のあった母が心配で朝から行くつもり。
長男は、朝から用事のためにスーツで出かけていき、私はおせち料理の盛り付けとお雑煮を作り、仏様に供えたあと義父の朝食。
母のところから帰れる時間が分からないと予想して昼食の分を伝える。
(しかし、今日は主人が休みだった。)← こういうことを知らない夫婦です。

いざ母のところへ。
結論。元気でした~
こんな嬉しいことは無いです。
一晩しか間が空いていないのに、もう母は復活していた。。
薬が効いたのでしょうが、それより何より、母の逞しさに嬉しくなりました。
夕飯は食べられなかったようでした。私が残って口に運んであげれば・・と後悔はしましたが、朝食はきちんと食べられてと聞きました。
母に聞いても肩の痛みも治まり腕も上がると喜んで話してくれます。
あの施設の中でしっかり自分を律して生きている母に、さすが! と感じました。

お昼には、大ホールで利用者皆さんとおせち料理を食べるそうです。
スタッフが忙しくテーブルのセッティングをしています。
その片隅の陽の当たる場所で日向ぼっこをしながら待ちました。

正面には、施設課の方たちによる大きな絵が飾られていました。
お見事です。
朝陽が顔出す富士山に、夫婦の鶴が飛び立ち、白波をも乗り越える。
そして千年万年まで元気で長生きしようという気持ちのこもったものと思います。
母とじっくり眺めて、元日を楽しみました。


おせち料理は、それぞれ利用者の制限のあるものに姿は変わっていますが、母にもお赤飯のお粥と、伊達巻・煮豆・かまぼこ・酢の物・抹茶のムースと並んでいました。
それを見てから帰宅しました。
午後からはお風呂のようです。昨日元日に着替えようと持っていった新しい洋服を用意しました。

家に帰ると主人がいまして。。
こちらもなんら変わらず無事に年越しができました。
三男も大洗の海での初日の出を見て帰ってきていました。
次男も夜半に帰ってきたまま寝ていましたが起き出してきてお雑煮を食べました。
その後私は新年のご挨拶に出かけました。

毎年。実家に帰っていました。
近いとはいえ、盆は民宿状態になり、彼岸も義父の兄弟が来るので泊まってくるのは大晦日でした。
とはいえ、夜出かけて元日のお昼には戻るパターンでしたが、昨年から実家がなくなり、里帰りがなくなりました。
大晦日は、息子達と私の両親とでトランプをしたり、ゲームをしたり遅くまでテレビをみて楽しい年越しでした。
今は息子たちもそれぞれの足で出かける年齢になり、私の手を煩わせることもなくなりました。
寂しい反面、私は時間を自分だけにあてることが出来ます。

元日だけがホッとできる日で、そろそろお客さまがお見えです。
1年がちゃんと始まりました。
私の気持ちの中が平穏であることが何よりだと感じています。

どうぞ、今年も悲喜こもごもあるかと思いますが、お付き合いをよろしくお願いします。。