行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

児童書=人生の参考書

2009年10月26日 08時05分04秒 | 日記

ハリー・ポッターを皆さんはご存知でしょうか?^^

1999年。

JKローリングという女性が、シングルマザー時代に赤子をベビーカーに乗せたまま、とあるカフェで書き綴りはじめたという。

これが全世界で翻訳され愛されたことは誰もが驚くことだったと、日本での翻訳を始めた松岡佑子さんは語る。
彼女もまた旦那様を亡くし、小さな出版社をどう維持していくか・・と翻弄されていた時期。

簡単にあらすじを言うと、人間として伯父に虐げられながらも生活していた少年が実は魔法使いだった。
そして、額の傷は、最強の悪の魔法使いから受けた傷。
赤子だったハリーを、母親がその魔法使いから死をとして守りぬいた際に付いた傷。
魔法界では誰もが知りうる事件・出来事だった。
その彼がいよいよ、魔法学校に入学する年になる。
そして両親の命を奪い、今ですらハリーの身辺を脅かしながら復活していく「例のあの人」との戦い。


毎年1巻づつ話は進み、日本では今年の夏第6巻目が映画館に来た。
残す最終章。
書籍はもう2年前に私の手元にあり、DVDも今までのところ5巻までは手元にある。

この数年には私にもさまざまなことがありました。
その都度、ハリーも頑張っているのだからと自分を勇気付けてきました。
児童書が? たかが小説が?と思うかもしれませんが、この中にたくさんの愛情が溢れているんです。

両親が息子へ捧げる無償の愛。
限りない友への愛。勇気。
絶大なる平等の大きな校長・ダンブルドアの愛。

そして、命を堕とす最期の最期まで誓いを守ったスネイプの実現しなかった愛。

昨日。最終章を再度や見返すことが終わり、最後が知りたくて流し読みをした2年前には気が付かなかったことが深く意味があることを改めて知り、滂沱の涙にくれていました。

  ※ ご存知の方はこの第32章 ニワトコの杖のこの一言に鳥肌が立ったでしょう。
    「僕を・・・・・見て・・・・・くれ・・・・」

人は、亡くなった後から、思い出話を繰り返し亡き人を供養しますが・・・

私は、母に生きているうちに、たくさんの思い出話をして、その時の母に感謝をしていることを伝えなくちゃいけない。
母に寄り添っても痛みや辛さは私には分けてもらえない。
だったら、私が生まれた時のこと、東京から越してきたときの頃、幼稚園・小学校・中学校の生意気な頃、高校に無事合格し、成人して行き、嫁つぐまで、たくさんの愛情を受けたことを1つ1つ思い出し、ありがとうを伝えなくちゃいけない。

今、自分が息子を持ち、育てているからこそ思うこと。
まだまだ、手のやける息子たちのこと、ついこの前に生まれてきたように思う。
それは大人になってからの時間の経ちかたが早いから、私の10年なんてあっという間だった。でもそれを息子達に当てはめたら、10歳も子供が成長するのはなんて大きいことなんでしょう。

私が手にとるように生まれた瞬間や些細なことが思い描くことが簡単なことでも、息子達はすっかり忘れている・もしくは記憶にない。
どれだけ可愛くて、どれだけ愛おしくて、うれし涙を流しながら一緒に生きてきただろう。

それを思うと母に私は、たくさんの愛情を貰ってきたのも良く分かる。
だから今言葉にして母に伝えよう。そう思う。

ハリー・ポッターは、児童書だけど、私にとっては人生の参考書になりました。

最終章には、ハリーたちの19年後が記されています。
そう・・繰り返されていくんです。。
子もいつかは親になり、親にならなければ分からないことがたくさんある。
今はまだ、息子達にも分からないことがあるだろう。
手もやき、肝を潰している私の気持ちを汲んでくれる日がいつか訪れるだろうと、今はまだ母親として私が我慢する時なんだろう、とそう思う。