行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

久しぶりの太陽。

2009年10月03日 08時36分53秒 | 日記

おはようございます。。

とりあえず、義父の朝食も済み、洗濯機が何度も稼働中の中のブログ時間。
義父の様態は、安定していると思います。良かった。。
昨日は、思いもかけずに仕事が忙しく、母のところに寄っても普通に帰れると思いきや、遅くなってしまった。
母のところに行くと、スタッフの方達は、今までになく優しくしてくれた、との母の言葉に嬉しかったです。
こちらの気持ちを伝えて良かったと思いました。
こちらも、感謝の気持ちをいつも大切にし、母の介護を気持ち良く受け入れてもらえるよう、お互いのコミュニケーションは大切なことと思いました。

母はというと。
入れ歯との付き合いは時間・・・これしかない。
お粥にしてもらって食べられるょとは言いますが、私の顔を見ると食欲がない・・とか、めまいがするとか、始まります。
それは全て、私への依存からきている寂しんぼ病なんです。
顔を見れば、そう言いたくなる。言われると、どっぷりとそれに応えられない自分にも腹が立ち、母にも堪えてほしいという気持ちから、私さえ行かなければ、母は自立できるんだろうか・・・? と私の中の悪魔が思うんです。

利用者の皆さんの表情を観察すると。
まるっきり痴呆の方は、自分の世界に入り込んでいます。
スタッフの接し方になんの文句も無いように見受けられます。
また、全身に病気がある方は、無言で自分と戦い、スタッフの介助にただ身を任せているように見えます。
では、母は?
意識レベルもまだまだ元気であることで、声をかけてもらうと満面の笑みで答え、介助してもらうと、感謝の言葉を言い、表面的には、無理をしているんじゃないか・・? というのが家族としての見方なんですよね。
愛想笑いとはいかなくても、母は母なりにもっと親切にしてほしい、もっと自分をかまって欲しい、もっと何も出来ない人と同じように優しくしてほしい・・というのが母の気持ち。

でも、それは、いろんな人たちの中では受け入れられないこと。
だから、私たちが母にたくさんの時間をとらなくてはいけないんです。
そして、それは私たちにも家庭や状況があり、母に向ける時間の少なさに、いかに充実した時間にするかによって、母の満足度が違ってくる。

頭では分かるんです。
理屈ではそうなんです。
ただ、本当にそれができずにいる。
母がわがままや依存的なことを言うと、ついついはねつけてしまいたくなる。
その時の言葉選びをすることで許してもらいたい・・・・・

「この中にいれば、めまいを起こしても、体調が悪くなっても安心なんだからね。」
「1人であの家で寝るより、看護士さんもいるし、みんなと一緒なんだからね。」

決まって、この言葉で母を無理やり納得させて帰ってきてしまいます。

昨日もそんな感じでした。
炊飯器の保温には、きっとご飯がないだろう・・と、炊飯の時間を計算しながら車を走らせる。
家まで30分の道のり。
炊飯には48分かかる。義父が食卓につくのは、7時前。
もう、若干の時間のずれは良いだろう。と強気で帰る。自分をそう言い聞かせる。
主人がいた。
無言のまま、炊飯の用意をして、買い物に出かける。
近くのスーパーでそそくさと買い物をして、すぐさま夕飯の用意をして、間に合う。

何事もなかったように、息子たちの帰宅を待つ。

洗濯場に、母の洗濯物が2つ、ビニール袋に名前入りで置いた。
それを見たからといって、施設に行ってきたのか? ということを聞いてこない。
だから私も言いもしない。
まあ、そんな洗濯物に目が止まれば大したもんだ。。

逆に、自分の母親の面倒は良くみるくせに・・という思いがあちら様たちにはあるのかもしれない・・・・・

いゃいゃ・・思うまい。

ささ。いつまでもぼやいていないで、秋のバラの写真でもアップしましょ。。