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「が」の本質的意味は古代でも現代でも変わりない

2024-04-06 10:04:12 | 日本語文法

>岩波古語辞典補訂版 p1487
>「が」 本来、「我が国」「妹が家」の様に連体助詞で、
>所有・所属を示し体言と体言の関係づけをするのが役目であった。
>それが年月のうちに次第に変化した結果、室町時代以後、
>本来の日本語になかった主格の助詞として働くようになった。

岩波のこの説明は、わかりにくい。
なぜ「が」は「所有・所属」を表していたのか?
さらに時代が下るにつれて「主格の助詞」になったのか?

私の説は簡単で

・「が」は「kor=持つ」という動詞であった。
・それが横訛りして「が」になった。
・なので「が」は所有・所属を表していた。
・もともと「持つ」という動詞だから、所有所属しか表していない。

・時代が下るにつれて「主格の助詞」にも使われるように「感じた」。
・「感じた」というのは、主格の格助詞のように感じたという意味です。
・でも本来の意味は「が=持つ」の意味しかない。

君が代、我が国、我が家、象は鼻が長い…の「が」は「持つ」という動詞です。
格助詞と主格助詞は説明通りなので、接続助詞の例を説明します。例えば…

>https://kb-study.com/part-ganiwo/
>例文『単純接続』
>⑴落ち入りける時、巳(み)の時ばかりなりけるが、日もやうやく暮れぬ 〔今昔物語集〕
>(現代語訳:(海に)落ちこんだときは、午前十時ごろであったが、日もしだいに暮れてしまった)

「が」を単純接続としているが、これも「持つ」という意味だ。
「巳(み)の時ばかりなりける+が+日もやうやく暮れぬ」
=巳(み)の時ばかりなりける+持つ+日もやうやく暮れぬ

「巳(み)の時ばかりなりける」は「持っている」と言っています。
何を持っているかというと、「日もやうやく暮れぬ」を持つ・持っている、
そういう文だ。単純接続か、逆説接続かは文意・文脈による。

現代文でも、例えば私の考えたた文だが…

「ブラジルとサッカー が ありました が 日本が勝ちました」

この意味は日本人ならばわかるはずだ。これを日本語にもう一回訳すと

「ブラジルとサッカー + が + ありました」
=ブラジルとサッカー + 持つ + ありました

「ブラジルとサッカー」という予定・行事・計画がある。
その「ブラジルとサッカー」は「持つ・持っている」という。

んじゃ、何を「持っているか」というと「ありました」を持っている。
つまり「ブラジルとサッカー」という予定・行事・計画は「あった過去」になった。
平たく言うと「ブラジルとサッカーがあった」という事です。

そして
「ブラジルとサッカーがありました + が + 日本が勝ちました」
=ブラジルとサッカーがありました + 持つ + 日本が勝ちました

「ブラジルとサッカーがありました」という行事の結果は「持つ」という。
んじゃ、何を持っているかというと「日本が勝ちました」を持っている。
平たく言うと「ブラジルとサッカーは日本が勝った」という事だ。

さらに
「日本が勝ちました」
=日本 + 持つ + 勝ちました

日本は「勝ちましたを持つ・持っている」という事です。
平たく言うと「日本が勝ちました」という事です。

ここの「が」は全部「持つ・持っている」と解釈すると文を理解できる。 
「が=持つ」という動詞の意味は古代から現代まで少しも変わっていない。

岩波の連体助詞から主格の助詞の意味も表すようになったというのは、
辞書の編集者がそう感じているだけで、本来の意味は古代でも現代でも
「が=持つ」で少しも変わっていない。



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